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トマトのように赤い(rouge comme une tomate)

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こんにちは。バゲットです。

私が子供のころ、千葉の農村地帯では三世代、四世代が同居するのが当然で、私も幼年時代は曾祖母・曾祖父に子守をされて育ちました。保育園に通うようになったのは、5歳の四月。小学校に入学する一年前です。

保育園は私の家からは2キロ以上も離れた大きめの集落にあって、その周辺に住んでいる子供たちはお互いに知り合いで友達も多かったのに対し、私には「友達」と呼べるような者は一人もおらず、入園当初はいつも寂しい思いをしていました。

まだ四月だったかもう五月に入っていたのか、強い雨が降ったある日、私は母が買ってくれた水色の雨ガッパを来て、保育園に行きました。園に着いてカッパを脱ぐと、皆が私を見て大笑いする。最初、なぜ笑われているのかわからなかったのですが、下を見ると、私はカッパと一緒にズボンまでも脱いでいたのです。自分で自分の顔が赤くなるのが、はっきりとわかりました。「恥ずかしい」という感情を生まれて初めて感じたのは、あのときだったように思います。 

   ※      ※      ※

   さて、フランス語には、「トマトのように赤い(rouge comme une tomate)」という言い回しがあります。恥ずかしさや怒りで顔が赤くなったとき、たとえば、“Elle est devenue rouge comme une tomate(=彼女はトマトのように赤くなった)”のように用います。

トマトのように赤い

「トマト」の他にも「雄鳥(un coq)のように」「サクランボ(une cerise)のように」「ヒナゲシ(un coquelicot)のように」「シャクヤク(une pivoine)のように」「ザリガニ(une écrevisse)のように」「ロブスター(un homard)のように」もあるそうです。

形容する対象が男性か女性かによって、また赤くなる理由が怒りなのか恥ずかしさなのかによって、使い分けが必要になるでしょう。私のような中年男が恥ずかしさで顔を赤らめるとしても、「ヒナゲシのように」とは言わないww、ということです。

ですから、たとえば「彼は激怒した」は、“Il est devenu rouge comme un coq(=雄鳥のように)”で、若い女性について「彼女は頬を赤らめた」なら、“Elle est devenue rouge comme une cerise(=サクランボのように)”ですね。

※      ※      ※

さて、話は飛びますが、トマトの原産がアメリカ大陸であることは、ご存知の方も多いでしょう。メキシコで栽培されていたのを、16世紀にスペイン人の征服者たちがヨーロッパに持ち帰ったのです。最初は観賞用で、その後イタリアや南フランスで食用にされていたのですが、フランス革命の際に南仏から人々が大挙パリに押し寄せて、その結果フランス全土に普及したそうです。

そんなトマトは、今やフランス料理には欠かせない食材の一つ。ニース風サラダ(salade niçoise)等のサラダにも用いますし、ラタトゥイユ(ratatouille)の材料としても不可欠ですし、またケチャップやソースを作るのにも必要です。

ジャガイモ(pomme de terre)もアメリカ大陸が原産ですが、やはりフランス料理では重要な食材です。他方、人気料理のクスクス(couscous)は北アフリカが起源で、第一次世界大戦中に工場労働者が大量に不足して、当時植民地だったアルジェリアから多くの人々を呼び寄せたことで、フランス本土に広まったものです。 そのように考えると、世界に誇るフランス料理も、決してフランス一国だけで確立されたものではないことがわかります。「正統派」と言われるフランス料理も、ちょっと歴史を遡れば、他国や他地域との交流によって生まれた「バイブリッド(hybride=雑種)」だったのですね

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もう、うんざり!(J’en ai assez !)

こんにちは。バゲットです。 このブログを定期的に読んで下さっている方はお気づきのことと思いますが、最近の記事で「もう、うんざり!」という意味の表現を三つ紹介しました。せっかくですので、ここで整理しておきましょう。 出てきた順番に再度記せば、J’en ai marre !/J’en ai ras le bol !/J’en ai ras le cul ! en avoir marreをネットで検索してみると(https://fr.wiktionary.org/wiki/en_avoir_marre)、en avoir assez(もうたくさんだ)、ne plus supporter la situation(もはやその状況に耐えられない)とあります。したがって、日常的な日本語では「もう、たくさん」、「もう、うんざり」。反復・継続する状況、事柄(+それをする人)に対する「怒り」や「疲れ」、ケースによっては「飽き」を意味します。 たとえば、職場の先輩が何度も何度も同じ小言を言うから「わかったから、もういい加減にして下さい!」とか、友人が会うたびに愚痴を言うから「お前の愚痴はもう、聞き飽きた!」とか、山のように仕事があっていくら働いても終わらないから「もう、疲れたよ・・・」とか、そんなときに使いますね。 好きなことでも、あまりに続いて飽き飽きすれば、言うそうです。ラタトゥイユ(ratatouille)の好きな人が五日連続でラタトゥイユを食べさせられて、「もう、いいよ(=飽きた)」などの場合です。 de+名詞/動詞をつけて、「うんざり」する理由を明示することもできます。たとえば、J’en ai marre d’attendre (待つのはもう飽きた)、J’en ai ras le bol de ce travail (この仕事にはもううんざりだ)など。 上のサイトの定義にあった en avoir assez も含めて比較すると、おおむね、J’en ai assez !<J’en ai marre !<J’en ai ras le bol !<J’en ai ras le cul !(発音注意、「キュ」です)の順で、「くだけた」言い方になります。特に最後の文(←cul は「(人、動物の)尻、ケツ」を意味する語)は「下品(vulgaire)」と感じる人も多いようなので、上司やお客さんの前等、品格が求められる場面では使わない方がいいでしょう。 ※      ※      ※ さて、私の日常生活で「うんざり」することって何だろう、と考えてみました。授業中の学生の私語、廃品回収車のスピーカー、マンションに一台しかないエレベーター等々、いろいろありますが、結局どれもたいしたことではありません。で、最後に思い当たったのが、パソコン! パソコンについての私の知識や技術は初心者レベルで、それゆえ完全に使いこなすことはできず、私のパソコンにはしばしば些細な不具合が生じます。それは本当に些細な、どうでもよい不調なのですが、私はそれを修正することができません。結果として、その不調を伴ったまま、パソコンを使い続けることになる。 たとえば、Windows Vista を使っていたときだったように記憶しているのですが、私がネットに接続しようとすると、実際には接続できているにもかかわらず、「接続できませんでした」という表示が出ます。毎回、必ず出るのです。そんな不具合、どうでもいいと言えば、どうでもいい。しかしそれが300回とか500回とか続くと、いかに粘り強い(?)私も、J’en ai marre (もう、勘弁して)と言いたくなる・・・。 そんな次第で、私はWindows の新ヴァージョンが出るたびに、新しくパソコンを買い換えています。いつもお金がなくて、ピーピー言っているにもかかわらずw。

聖霊降臨祭

キリスト昇天祭と聖霊降臨祭(L’Ascension et la Pentecôte)

こんにちは。バゲットです。 私が若いころ、毎年、私の誕生日(anniversaire=記念日)になると、旧ソビエト連邦の赤の広場で、盛大な軍事パレードが催されました。その日、11月7日は私が生を受けた日であると同時に、1917年にロシアで共産主義革命が勃発した日、すなわち「革命記念日」だったのです。 当時は米ソ冷戦の真っ只中。明言する人はあまりいませんでしたが、日本にとって旧ソ連は「仮想敵国」です。その国が私の誕生日を軍事パレードで祝うのです。私はテレビでその光景を見るたびに、プライドをくすぐられると同時にバカにされているような、腹立たしいと同時に誇らしいような、何だかわけの分からない、ひどく不思議な気分になったものでした。 その後、大学に入ってフランス文学を勉強し、11月7日がアルベール・カミュ(Albert Camus)の誕生日であることを知りました。私とカミュは誕生日が同じなのです。カミュの小説や戯曲は好きだったので、こちらの方は素直に喜び、友人たちにも自慢しまくりましたw。そんなこともあって、後に知人の一人がドストエフスキー(Dostoïevski)と同じ誕生日(11月11日)だと知ったときは、微妙な「敗北感」を感じたものですがw。 で、ここで話は大きく飛躍しますw。最近フランスでは、キリスト教関連の二つの大きなイベントがありました。「キリスト昇天祭(今年は5月30日/祝日)」と「聖霊降臨祭(同じく6月9日/翌月曜日は休日)」です。「これも一種の記念日(anniversaire)だなぁ」(←ちと、強引かもしれませんがw)と思い、何を「記念する」日なのか、ちょっと調べてみました。 ※      ※      ※ イエス・キリストは金曜日に十字架にかけられて死去し、翌々日の日曜日に復活します。それを祝うのが「復活祭(Pâques)」。 復活したイエスはいろいろな人の前に姿を現わします。弟子たちの前にも現れて、福音を全世界に伝えるよう命じます。そして彼らが見ているなか、イエスは天に昇るのです。「復活祭」から数えて40日後のこと。そのことを祝うのが「キリスト昇天祭(L’Ascension)」だったのです。 復活祭が日曜日ですから、昇天祭は自動的に木曜日になります。複数のフランス人に確認したところ、当日は教会でミサが行われ、家族によってはお墓参りに行ったりするそうですが、それ以外に特にパーティーを催したりする習慣はないそうです。ただ、翌日の金曜日を休みにして、四連休になる職場も多いとのことでした。 昇天祭の10日後が「聖霊降臨祭(la Pentecôte)」、こちらは日曜日です。イエスは昇天する直前、弟子たちに「近いうちに聖霊が降る」と予言していました。そしてその日、イエスの弟子や身内たちが「エルサレムの上の部屋(le Cénacle de Jérusalem)」(←「最後の晩餐」が行われた部屋)で祈っていると、「猛烈な風(vent impétueux)」のような音が聞こえ、天から「舌の形をした炎(langues de feu)」が各人の上に降って、「彼らは皆聖霊によって満たされた(ils furent tous remplis du Saint Esprit)」のです。このことを祝うのが聖霊降臨祭ですが、この日も特にパーティー等は行わないそうです。翌月曜日が国民の祝日です。 エリック=エマニュエル・シュミット(ピラトによる福音書) さて、フランスの作家エリック=エマニュエル・シュミット(Éric-Emmanuel Schmitt/国際的に著名な劇作家)に『ピラトによる福音書(L’Évangile selon Pilate)』という小説があります。イエスを十字架にかけたローマ総督ピラトの視点から、イエス・キリストの復活を描いた小説です。私は原書で読みましたが、設定が独創的でストーリーも面白く、大いに楽しむことができました。邦訳もあって、タイトルは『小説 イエスの復活』(https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000053702001.html)。現在は「品切れ」ということですが、興味をお持ちの方は図書館で探してみたらいかがでしょう。なお、原文も平易なので、フランス語の得意な方は原書でどうぞ。

フランスの祝日

フランスの祝日(Fêtes et jours fériés en France)

こんにちは。バゲットです。 日本は「国民の祝日」が年間16日もあって、世界で三番目に多い国だそうです。日曜日と重なったときの「振替休日」や、「祝日」に挟まれた平日を休日とする「国民の休日」も考慮すれば、順位はもっと上がるのかもしれません。 私が10代のころは年間11日~12日だったのですが、働き過ぎの是正とか観光業の振興とかいろいろあって、「祝日」の数はどんどん増えました。今のところ六月には一日もありませんから、近いうちにもう一日増えるのではないかと期待している方も、いらっしゃるのではないでしょうか。 では、フランスの「祝日(jours fériés)」事情は、どうなっているのでしょうか。 ウィキペディア・フランス語ヴァージョンの「フランスにおける祝祭日(Fêtes et jours fériés en France)」の項目によれば、フランスの祝祭日は年間に11日あります。「世俗祭(Fêtes civiles)」と「宗教祭(Fêtes religieuses)」に分類され、「世俗祭」は、「元旦(Jour de l’An=1月1日)」、「メーデー/労働の日(Fête du Travail=5月1日)」、「第二次世界大戦戦勝記念日(Fête de la Victoire=5月8日)」、「革命記念日(Fête nationale française=7月14日)」、「第一次世界大戦休戦記念日(Armistice=11月11日)」の5日です。 「元旦」は単に一年の始まりというだけですが、フランス革命で1日、世界大戦の終戦で2日と、歴史上極めて重要な日が祝日になっています。個人的に興味深いのが、「メーデー」。19世紀の末、アメリカの労働組合(後の「AFL/アメリカ労働総同盟」)が、一日8時間労働を求めてストライキを開始した日だそうで、現在ではOECD(経済協力開発機構、フランス語ではOCDE)加盟国のほとんどを含む、80以上の国で祝日になっているそうです。 一方、「宗教祭」は「復活祭の月曜日(Lundi de Pâques=移動祝日、18年は4月2日)」、「キリスト昇天祭(Ascension=移動祝日、同じく5月10日)」、「聖霊降臨祭の月曜日(Lundi de Pentecôte=移動祝日、同じく5月21日)」、「聖母被昇天祭(Assomption=8月15日)」、「諸聖人の祝日(Toussaint=11月1日)」、「クリスマス(Noël=12月25日)」の6日です。 当然、すべてがキリスト教の祭日です。お恥ずかしいことに私はかなり年齢を経るまで知らなかったのですが、イエス・キリストが刑死したのが金曜日で、復活したのが日曜日。それを祝うのが「復活祭」で、翌日が休日になるのですね。 ※      ※      ※ 以上のように、フランスの祝日はそのほとんどが、歴史的・宗教的に重要な意味を持った日です。ひるがえって、ここ日本では、「みどりの日」、「山の日」、「海の日」など、休日を増やすためだけに作ったとしか思えない祝日もありますし、「建国記念の日」(=紀元前660年、神武天皇が即位したとされる日)のように、「ちょっとヤバそうw」というか、国民の間で意見が分かれそうな祝日もあります。 まあ、日仏はそれぞれ異なった歴史と国内事情を抱えているわけで、「どちらが良い」という問題ではないわけですが、改めて「お国柄の違い」を感じますね。

本の虫, 図書館のネズミ

図書館のネズミ(rat de bibliothèque)

こんにちは。バゲットです。 私は高校時代、日曜日や休暇中は、一日中図書館で勉強することを習慣にしていました。自宅では集中力が途切れ、ボーっとしてしまうことが多いので、皆が勉強している場所で勉強することにしたのです。 その習慣はその後も続き、大学時代はいつも文学部の図書室で勉強していました。朝、大学に来て授業に出、空き時間は図書室で勉強し、夜8時過ぎまでそこで過ごして、帰宅する。夕方、休憩を取って大学近くの喫茶店に行き、夕暮れの街を見ながらコーヒーを飲んでいると、すごく充実した時間を過ごしているような気がして、不思議な幸福感に包まれたのを今でもよく覚えていいます。 さて、フランス語に「図書館のネズミ(rat de bibliothèque)」という表現があります。前回紹介した「外国語作文が得意な人(fort en thème)」と同様、私は「ガリ勉」の意味で理解していたのですが、この記事を書くに当たって改めてネットで調べてみると、「とても頻繁に図書館に通う人(personne qui fréquente très souvent les bibliothèques)」、「書物を読んだり参照したりして時間を過ごす人(personne qui passe son temps à lire et à compulser des ouvrages)」と出てきます(https://fr.wiktionary.org/wiki/rat_de_bibliothèque)。「英訳は bookworm (本の虫)」。必ずしも悪い意味ではなさそうですが、「ときに軽蔑的(parfois péjoratif)」ともありますから、「ガリ勉」等、侮辱的な意味で用いることもあるようです。 語源に関しては、別のサイトに「参照してみたどの辞書にも、『図書館のネズミ』という表現の起源についての歴史的な注釈は存在しない(parmi tous les dictionnaires consultés, il n’y a pas de commentaire historique sur l’origine de l’expression “rat de bibliothèque”)」とありました。 でも、「歴史的な注釈」なんか無くても、誰でも思いつきそうで、「なるほど」と思わせる表現ですね。 ※      ※      ※ 上記のように、私は青春時代の多くの時間を図書館で過ごしたのですが、後になって考えてみると、私にとって図書館は、勉強の場であったばかりでなく、同時に「出会い」の場、「交流」の場でもあったことに気づきます。と言うのも、図書館の自習室には同年代の男女が集まって来るわけで、頻繁に顔を合わせていれば挨拶ぐらいするようになりますし、時には、親しく話すようになることもあるからです。 実際、高校時代に私が入り浸っていた市立図書館で、ある日、私の中学の後輩で隣の女子高に通っている女の子に偶然会ったのですが、私が一緒にいた友人にその子を紹介したところ、その後二人は交際するようになり、大学卒業後には結婚してしまいました。 私自身も、図書館に関しては、高度にプライベートで、ここには書けないような思い出がたくさんあります。まあ、「ガリ勉」にも「ガリ勉」なりの青春がある、ということですね。

マルグリット・ド・ナヴァール

スタンダール流女の子の口説き方(la manière stendhalienne de séduire une fille)(3)

こんにちは。バゲットです。 スタンダール(Stendhal)の『赤と黒(Le rouge et le noir)』で、美しく高慢な侯爵令嬢マチルド(Mathilde de La Mole)は、16世紀、宗教戦争の時代の王妃マルグリット・ド・ナヴァールに憧れ、彼女のような波瀾万丈の人生を送りたいと考えています。 そのため、自分が発した侮辱的な言葉に、ジュリアン・ソレル(Julien Sorel)が激怒し、壁に掛かった剣に飛びついて鞘から剣を引き抜くと、マチルドは感動してしまうのです。そして自室に戻り、「うっとりとして(ravie)」、「殺されそうになったという幸福(le bonheur d’avoir été sur le point d’être tuée)」に浸ります。 こうして、マチルドは本当に恋に落ちてしまいました。さて、有名か否かは知らないのですが、私が大好きな場面です。 マチルドは、ジュリアンのことをあれこれと考えながら、何気なく画帳に鉛筆でいたずら書きをしています。すると描き上がった横顔が、ジュリアンにそっくりなのです。 「描き上げたばかりの横顔の一つを見て、彼女は驚き、狂喜した。それは驚くほどジュリアンに似ていたのだ(Un des profils qu’elle venait d’achever l’étonna, la ravit : il ressemblait à Julien d’une façon frappante)。『これは天の声だわ!恋の奇跡よ(C’est la voix du ciel ! voilà un des miracles de l’amour)』、彼女は熱狂して叫んだ(s’écria-t-elle avec transport)」。 マチルドは、今度は真剣に、熱中して、ジュリアンの似顔絵を描こうとします。しかし、どうしてもうまく描けません。 「彼女はとても熱心に、ジュリアンの似顔絵を描こうと真剣に努力したが、うまくいかなかった。先ほどいい加減に描いた横顔が、やはり一番似ていた(Elle s’appliqua beaucoup, chercha sérieusement à faire le portrait de Julien, mais elle ne put réussir ; le profil tracé au hasard se trouva toujours le plus ressemblant)。マチルドはすっかり嬉しくなってしまい、これこそは熱烈な恋の明らかな証拠だと思った(Mathilde en fut enchantée, elle y vit une preuve évidente de grande passion)」。 世界の文学史上有名な恋愛小説はたくさんありますが、恋に酔いしれる女の子の幸福な気持ちを、これほど生き生きと描写した場面が、他にあるでしょうか。 ※      ※      ※ このようにジュリアンとマチルドは、かなり早い段階から、お互いに熱烈に愛し合っています。ところが二人とも、無意味にプライドが高かったり、つい迂闊な言葉を口にしたりして、彼らの恋はなかなか進展していきません。ジュリアンはマチルドを嫉妬させるため、好きでもない他の女性に言い寄って、何通もラヴレターを送ったりもします。 「愛し合っている男女が、愛し合っているにも関わらず、些細なアクシデントや誤解やすれ違いのためになかなか結ばれないで、読者(あるいは視聴者)をやきもきさせる物語」を「ラブコメ」と呼ぶのなら、『赤と黒』のジュリアンとマチルドのやり取りは、まさに「ラブコメ」です。 この作品が書かれたのは、1830年。今ではもう190年も昔のことですが、今読んでもすごく面白い。恋する男と女の心理は、190年を経ても、あまり変わらないのでしょう。 (了) (註)文中の写真は1997年放映のテレビドラマ(DVDは98年)。マチルドを演じるのは、ジュディット・ゴドレーシュ(Judith …

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