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ジル・ド・レ、あるいは青い髯(Gilles de Rais ou la Barbe bleue)

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こんにちは。バゲットです。

前々回はジャンヌ・ダルク(Jeanne d’Arc)について書きましたが、彼女の周辺、と言うか当時の宮廷では、相当にクセのある人物たちが暗躍していたようです。まず国王シャルル7世のお后の母で、権勢の限りを尽くすヨランド・ダラゴン(Yolande d’Aragon)。王室侍従長として策謀を巡らし、私腹を肥やすラ・トレモイユ(Georges de la Trémoille←カトリーヌ・ド・メディシスの高祖父!)。その宿敵で敬虔なキリスト教徒、「正義の人(Le Justicier)」アルチュール・ド・リッシュモン(Arthur de Richemont)。

そして、今回紹介したいのが、神をも恐れず悪のかぎりを尽くした男、ジル・ド・レ(Gilles de Rais)です(↓)。

ジル・ド・レ(Gilles de Rais)
ジル・ド・レ(Gilles de Rais)

ジルは1403年頃、ロワール渓谷周辺に広大な所領を持つ大貴族の家に生まれます。11歳のときに両親を相次いでなくし、その後は強欲で悪名高い祖父に育てられますが、長じて軍人になると、遠縁のラ・トレモイユに引き立てられて宮廷に入ります。1429年、26歳のときに、当時17歳のジャンヌ・ダルクと出会い、彼女に伴って軍を進めてオルレアンを解放。その後も彼はジャンヌと行動を共にし、フランス本土からイギリス軍を駆逐することに貢献します。

ジャンヌが処刑されたころから宮廷を離れて、ほとんど所領に閉じこもってしまいますが、凄まじいのはそれから。湯水のようにお金を使って享楽にふけり、錬金術や黒魔術にまで耽溺する。さらには領内の何百人もの美少年を居城に召し抱え、あるいは単に誘拐して、性的快楽の対象として陵辱し、虐殺する。1440年に聖職者とのトラブルが元で逮捕され、裁判の結果、絞首刑、死体が火刑になっています。37歳、ジャンヌの火刑から9年後のことでした。

このようにジルは理不尽な殺戮を繰り返したため、シャルル・ペローの童話「青髯(la Barbe bleue)」のモデルになったとも言われます。もっともジルの容姿に関しては史料が全く無いそうで(註・上の肖像画は1835年)、本当に青々とした髭を湛えていたのかどうかはわかりません。彼はまたマンガやゲームにも、悪魔的なキャラクターとして登場するようです(↓)。

マンガやゲームのジルの容姿

なぜジルは、上記のように、ほとんど「狂気」とも言えるような悪行に走ったのでしょうか。小説家たちは、その原因をジャンヌの処刑に求めています。

たとえば、ミッシェル・トゥルニエ(Michel Tournier)の小説『聖女ジャンヌと悪魔ジル(Gilles et Jeanne)』では、ジルはジャンヌを「聖女」として崇拝しており、彼女が火刑になったことで絶望して、狂乱。外見がほとんど男の子のようだったジャンヌ(←いつも男装していた)のイメージを追い求めて、美少年たちを陵辱し続けるのです。

また、藤本ひとみさんの『ジャンヌ・ダルク暗殺』(文庫本タイトルは『聖女ジャンヌと娼婦ジャンヌ』)でも、ジルはジャンヌに対し友情と崇拝が交錯する奇妙な感情を抱いていて、彼女の処刑後に「復讐」を誓います。「神のいないこの世で、思うまま悪を行ってやる、それが復讐だ」と。

しかし調べてみると、歴史上ジルとジャンヌの実際の関係がどのようなものだったのかは、よくわかっていないようです。ジルはラ・トレモイユの指示でジャンヌを監視していたのか、絶対的な忠誠と献身があったのか、それともほとんど無関心だったのか。

ジャンヌ・ダルクとジル・ド・レについては、日本語で読める文献もたくさんあります。興味のある方は調べてみたらいかがでしょう。

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日本のイメージ in France (l’image du Japon en France)フランス語

こんにちは。バゲットです。 来年春の新天皇即位と改元まで、とうとう1年を切りました。もうすぐ平成も終わりです。 29年前、昭和天皇が崩御し、平成が始まったときには、私はフランスのボルドーに留学していました。テレビは持っていなかったので、いくつか新聞を買って読んだのですが、ボルドーの地元新聞「シュド・ウエスト(Sud Ouest=南西)」の記事に唖然としたのを覚えています。 日本の天皇制や元号について説明し、「昭和」や「平成」を仏訳する(「平成」はl’accomplissement de la paix=「平和の成就」でした)のはよいのですが、例えば・・・ 「新天皇(empereur=皇帝)アキヒトは、太陽の女神(déesse du soleil)アマテラスオオミカミの125代目の子孫である」(←違ってるように思いますがw) 「アキヒトは、三つのオブジェ(trois objets=「三種の神器」でしょうね)を受け継ぐことになる。日本の最初の天皇は、それら三つのオブジェを用いて、八つの頭を持つ恐ろしいドラゴン(dragon=「八岐大蛇」でしょう)を退治したのである」(←これも違ってるように思いますがww) と、まあ、こんな感じで、天皇の神話的な側面を極端に強調し、しかも微妙に間違っているのが笑える記事でした。 ※      ※      ※ さて、最近(といっても1ヶ月ぐらい前ですが)、フランスの国営放送「France 2」の夜のニュースで、日本を紹介するルポルタージュがいくつか放映されました。 一つは、日本では外国からの「難民(réfugiés)」の受け入れが極端に少ない、というお話。もう一つは、日本では定年(65歳)退職後も働く人がたくさんいる、というお話。さらに、「日本のハイテクサラダ(les salades high-tech au Japon)」というタイトルの、コンピューター化された野菜工場のお話。以上は、概ね事実に基づいた客観的な報道だったように思います。 他方で、「成人の養子縁組の伝統(la tradition de l’adoption des adultes)」というルポルタージュには、ちょっと違和感を持ちました。日本では「養子になる人の98%が成人だ(98% des personnes que l’on adopte sont des adultes)」という内容で、登場するのは400年近く続くという山梨のブドウ生産農家の養子になった男性です。この男性は奥さまの両親の養子になったわけですが、その点がひどく曖昧で、まるで全く関係の無い男性が、家業の継承だけを目的に養子になっているかのような印象を与えます。で、それを「驚くべき伝統(une tradition étonnante)」と呼んでいる。ルポの後半では結婚=婿養子についても言及していますが、あくまでも家業の継承が至上目的(!)で、そのために娘が婿を取る、というスタンスです。 このことについてフランス人の教師に話してみたところ、成人が養子になること自体が非常な驚き(étonnant)である、ということでした。 してみると、取材したジャーナリスト自身が驚いてしまい(étonné)、ある種の先入観を持って情報収集したのでしょうか。国営「France 2」といえども、センセーショナリズムと全く無縁ではないようです。

カトリーヌ・ド・メディシス

フランス史上最大の悪女 (la femme la plus méchante de l’histoire de France)

こんにちは。バゲットです。 フランス史上最も有名な女性と言えば、ジャンヌ・ダルク(Jeanne d’Arc)とマリー・アントワネット(Marie Antoinette)でしょう。共に数奇で悲劇的な運命を生きたため、彼女たちを巡っては多数の小説が書かれ、映画が作られ、はたまた日本ではマンガにまでなっています。その知名度においては、他の追随を許さないと言ってよいかもしれません。 で、今回紹介したいのは、フランス史上、(大差はあるものの)この両名に次いで有名な女性、カトリーヌ・ド・メディシス(Catherine de Médicis、1519-1589)です。以前ここでマカロンについて書いたときに言及しましたので、ご記憶の方もいらっしゃるかと思います。(俗説のようですが)フランスにマカロンをもたらしたとされるのが、カトリーヌなのでした。 さて、ジャンヌ・ダルクが「救国の少女」、マリー・アントワネットが「亡国の王妃」(これも俗説でしょうが)だとすれば、カトリーヌ・ド・メディシスは「フランス史上最大の悪女」。下の肖像画なんて、見るからに権謀術数を巡らす悪徳政治家といった風情です。 名字(nom de famille)からも分かるように、カトリーヌはイタリア・メディチ家の出身です。メディチ家は14世紀に台頭した大富豪で、フィレンツェ共和国の事実上の支配者。一族からローマ教皇を二名も輩出するなど、当時は権勢をほしいままにしていました。 カトリーヌが「悪女」と言われる最大の理由は、彼女がサン・バルテルミの虐殺(Massacre de la Saint-Barthélemy)の首謀者とされていることです。 ユグノー戦争(Guerres de Religion, 1562-98)さなかの1572年、カトリーヌ(親戚がローマ教皇ですから、当然旧教徒)は、旧教徒と新教徒(ユグノー、huguenots)の融和を図るため、娘のマルグリット(後の王妃マルゴ、la Reine Margot)を新教徒の指導者アンリ・ド・ナヴァール(後のアンリ4世、Henri de Navarre, futur Henri Ⅳ)に嫁がせます。ところが8月24日、結婚を祝うためパリに集結していた新教徒たちを、カトリーヌが命じて虐殺したとされるのです。下の絵で、黒い服(夫の死後ずっと着ていた喪服)を着ているのが彼女でしょう。 その後、新教徒の虐殺はフランス全土に波及し、犠牲者の総数は30,000人とも言われています。 ※      ※      ※ さて、この原稿を書くために下調べをするまでは、私もカトリーヌを「フランス史上最悪の女」だと、固く信じていました。しかしネットで調べてみると、どうやら最近の研究では見方が変わっているようです。 そもそもサン・バルテルミの虐殺は、重臣たちによる「御前会議」で決まったことで、カトリーヌが一人で決めたわけではありません。しかもそこで決まったのは、新教徒の軍事上のリーダーたちを暗殺することだけでした。それが一般新教徒たちの虐殺にまで拡大したのは、予期せぬ偶然だったようです。 私は専門家ではないので、ネット情報の信憑性を判断することはできません。興味をお持ちの方は、ご自分で調べてみたらいかがでしょう。カトリーヌの人生も、ジャンヌ・ダルクやマリー・アントワネットの人生に劣らず波瀾万丈で、なかなか面白いのではないでしょうか。

織物のクレープが男性名詞

男のクレープと女のクレープ « le » crêpe et « la » crêpe

こんにちは。バゲットです。 今回もクレープのお話です。二回連続で、クレープが嫌いな方は「もう、うんざり(J’en ai marre !)」とお思いかも知れませんが、これで終わりですので、どうぞ最後までお付き合いくださいませ。 さて、前回は、フランスでは聖燭祭(la Chandeleur=2月2日)に、クレープ(la crêpe)を食べる習慣があることについて書きました。クレープ自体の起源として、二つの説があることも紹介しました。しかし、それに関しては、他にもいろいろな説があるようです。 現代の歴史研究によれば、人類は紀元前7000年(!)ごろには、いろいろな穀物(céréales)を粉にして水で溶き、平らな石の上で焼いて食べていたそうです。 他方で、現在私たちが食べているようなクレープについては、ブルターニュ地方(Bretagne)の郷土料理ガレット(galette)を起源とする説が有力です。ブルターニュは土地が痩せていて小麦の生産に適しないため、伝統的に、そば粉を溶いた生地を熱した丸い石(galet)の上で焼いて、食べていました。たまたまブルターニュを訪れたルイ13世の王妃アンナ(Anne d’Autriche, 1601-1666)がそれを気に入り、宮廷料理に取り入れて、その過程でそば粉が小麦粉に代わって、クレープに進化したというのです。 まあ、考えてみれば当然ですが、穀物は生で食べることはできません。水に入れて煮るか、すり潰して粉にして水で溶いて焼くか・・・等々して食べるしかないでしょう。そうだとすれば、実際にはクレープの発祥は「多発的」で、いろいろな地方でいろいろな人間集団が、穀物の食べ方の一つとして考案したと考えるのが、一番自然なのかもしれません。 ※      ※      ※ さて、「クレープ」はフランス語。その呼称は、日本語では「ちりめん」「縮み」などと訳される、繊維製品としての「クレープ(le crêpe)」(↓)に由来します。焼いたときにできる焦げ模様が、「ちりめん」を連想させるからです。 ここで気をつけなければならないのは、食べ物のクレープが女性名詞(une crêpe)であるのに対し、織物のクレープが男性名詞(un crêpe)であることです。 このようにフランス語では、同じ単語でありながら、男性名詞と女性名詞とで意味が異なるものがいくつかあります。たとえば、mode。この単語には「方法、様式」という意味と「流行」という意味の二つがあって、「生活様式」なら le mode de vie と男性名詞です。しかし、「流行」のときは女性名詞で la mode、「~が流行している」は、 être à la mode ですね。 あるいは「道徳、モラル」はla morale と女性名詞ですが、男性形で le moral と言えば「気力、士気」の意味になります。さらに、仕事上の「地位、ポスト」は le poste、「郵便、郵便局」は la poste。何でそうなるのかわからないのですが、とにかく、そうなのです。 他にも、un poêle=暖房機の「ストーブ」/une poêle=調理具の「フライパン」。Un manche=包丁や傘の「柄(え)」/une manche=上着やワイシャツの「袖(そで)」、un voile=女性がかぶる「ベール」/une voile=ヨットなどの「帆(ほ)」、などなど。 学生の方は、 mémoire に注意してください。「記憶」という意味のときは女性(la mémoire)ですが、「卒業論文」は un mémoire de licence と男性名詞です。 ※      ※      ※ 以上のような単語は、「自然に覚えればよい」などと考えていると、いつまでたってもゴチャゴチャのままでしょう。きちんと整理して、暗記するよう努めてください。

金魚

金魚の記憶力(une mémoire de poisson rouge)

こんにちは。バゲットです。 「ニワトリは三歩歩くと忘れる」と言います。小学校五年生のときの担任がユーモアのある先生で、何かの機会に教えてもらったように記憶しています。 祖母がニワトリを飼っていて、私は日常的にニワトリと接していたので、それを聞いたときは奇妙に納得したものでした。実際、庭にいるニワトリを私がイタズラでw追いかけると、追いかけている間は必死に逃げるのですが、私が追いかけるのをやめるとニワトリも逃げるのをやめ、何もなかったかのように悠然とした態度を取るのです。他の動物や鳥だったら、追いかけるのをやめても、まず安全な場所まで逃げるでしょう。「ニワトリは三歩歩くと忘れる」というのは比喩ではなく「事実」であって、バカな生き物の代表としてニワトリが選ばれるのは、私にはすごく自然なことのように思われたのでした。 ※      ※      ※ さて、フランス語ではバカな生き物の代表は、ニワトリではなく金魚です。 「金魚の記憶力(mémoire de poisson rouge)」という言い回しがありますが、いつものように「ウィクショネール(https://fr.wiktionary.org/wiki/mémoire_de_poisson_rouge)」で検索してみると、“mémoire courte(忘れっぽさ←短い記憶力)”、“très mauvaise mémoire(非常に悪い記憶力)”と出てきます。多くは動詞“avoir(持っている)”と共に用いられ、たとえば、“il a une mémoire de poisson rouge(彼は金魚の記憶力を持っている)”で、「彼は忘れっぽい」、「アイツは物覚えが悪い」。あるいは、子供が宿題をしなかったり、部屋を片づけなかったりしたとき、親が「何度言ったらわかるの!」という意味で、“Tu as une mémoire de poisson rouge(お前は金魚の記憶力を持っている)”と言ったりするようです。 上のサイトの“Étymologie(語源)”の箇所には、「俗説(idée reçue)によれば、金魚の記憶は5秒を超えない」とあります。別のサイトでは「3秒」です。社会通念(idée reçue)上、金魚は記憶力が弱いとされていて、それ故、忘れっぽい人、物覚えが悪い人のことを「金魚の記憶力を持っている」と言うわけですね。 他方で、さまざまな科学的研究が反対のことを示しているそうです。たとえば、あるサイトには「金魚を訓練して、レバーを押すとエサがもらえることを覚えさせた(entraîner des poissons rouges à pousser un levier pour récupérer leur nourriture)」とあります。記憶5秒説は単なる「俗説」で、金魚の記憶力は本当はそれほど悪くはないのです。 では、なぜそんな「俗説」が出来たのでしょうか。ヤフー・フランスの質問コーナーに、なかなか興味深い「回答」が寄せられていました。それによると、「ものを考える動物を小さな金魚鉢の中に閉じ込めておくとしたら、それはあまりにも恐ろしいことだ(il serait trop horrible de laisser un animal pensant enfermé dans sa petite boule)」。一説によれば、金魚がストレスを感じることなく生活するためには、少なくとも50リットルの水が必要だそうです。小さな金魚鉢の中に閉じ込めて、「金魚はバカだから何も感じないはずだ」と、人間が自分を安心させるために、この「俗説」が作られたというのです。 ※      ※      ※ 先日のことですが、ある本を探して、書斎の読み終わったFolio(←フランスの文庫本)を置いてある棚をガサガサやっていたら、カミュ(Albert Camus)のLettres à un ami allemand(『ドイツ人の友への手紙』)とL’envers et l’endroit(『裏と表』)が出てきて、ひどく驚きました。私はそれらの本については「未読」だと思っていたからです。開いてみると、赤のボールペンで重要箇所にチェックが入っています。読んだ本の内容を忘れるならまだしも、読んだという事実そのものを忘れるとは!!! 私もあまり、ニワトリや金魚をバカにすることは出来ないようですねw。

マダム・コンとムッシュー・コン

マダム・コンとムッシュー・コン (ユーモア)

こんにちは。バゲットです。 皆さま、下の写真、緑のトランクスの選手をご存知ですか。 写真ではボディをまともに殴られていますがw、(元)世界ウエルター級チャンピオン、ホルヘ・バカ(Jorge Vaca)選手です。 ウエルター級のリミットは67キロ弱ですから、日本人でも世界ランキングに名を連ねる強豪は、何人かいるはずです。しかし、バカ選手は、来日して日本人の選手と試合をしたことはありません。まあ、名前が名前ですから、日本のプロモーターから声が掛かることはなかったのでしょう。 では、皆さま、下の美女はご存知ですか。 アテネ、北京とオリンピック2大会連続の金メダリスト(水泳・高飛び込み)、グオ・チンチン(郭晶晶)選手です。 美貌と実力を兼ね備えたアスリートとして、中国では絶大な人気を誇ったということですが、日本のテレビに出演したことはあるのでしょうか。 この方も、名前が名前だけに、日本でCM等に出るのは難しかったように思います。 ※      ※      ※ さて、日本人でも、フランス語にすると相当にヤバイ名前を持った方がいます。 例えば、この方(↓)です。 こちらの(↓)方が、分かりやすいでしょうか。 50年近く前、一世を風靡した「ピンキーとキラーズ」のヴォーカル・今陽子(こんようこ)さんです。フランスではMadame Con(註)になっちゃいます。 さらに、もう亡くなって40年になりますが、こんな方(↓)もいました。 直木賞作家で参議院議員、今東光(こんとうこう)さんです。こちらはMonsieur Conになっちゃいます。 もっとも、こうした問題については、あまり他人のことは言わない方がいいかもしれません。私の名前だって、どこかの国の言葉では、とんでもない意味になるのかもしれませんから。 註・フランス語を全然知らない方のために書いておきますが、フランス語でcon は、①バカ、間抜け、②女性器を指す俗語、です。

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