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どの聖人にすがればよいかわからない(ne pas savoir à quel saint se vouer)
投稿日:2022年10月11日
こんにちは。バゲットです。
この原稿を書き始めた9月半ば現在、巷では旧統一教会の件で、色々な人たちが色々なことを言って大騒ぎしています。それで思い出したのですが、私は大学に入学した直後(もう40年も昔です)、キャンパスで「原理研究会(=統一教会の学生組織)には気をつけろ」という意味のビラを複数回、受け取りました。今になって考えてみれば、私が統一教会に引っ掛からなかった理由の一つは、そのビラだったのかもしれません。そう考えると、配って下さった方々(「革マル派」という噂でしたがw)には、多少は恩義も感じます。
さて、私は「サルトリヤン/Sartrien(=サルトル研究者、サルトル主義者)」ですから、当然「無神論者/athée」です。しかし、そんな私も神様の存在を信じていた時期が、ちょっとだけありました。小学校三年生から五年生にかけての二年くらいの期間です。切っ掛けとなった具体的な出来事は、全く覚えていません。おそらく、三年生の時の担任の先生がお坊さんだったことから、何か影響を受けたのだと思います。また、そのころの私は「死ぬこと」を極度に恐れていたので、それも関係していたかもしれません。いずれにせよ、夜、布団の中に潜り込むと、私はまず神様にお祈りを捧げるようになったのです。お祈りの内容についても正確なことは覚えていません。たぶん「今日も一日私をお守り下さってありがとうございました、明日もよろしく私をお守りください」のような内容だったのだろうと思います。
まあ、そこまではいい。今思い出して笑えるのは、そのお祈りを捧げる「神様」が妙にたくさんいたことですw。小学校三年生から五年生ですから、「神学」や「宗教学」のことは何もわかりません。ただ、私が担任の先生(=お坊さん)に「神様と仏様って、どう違うんですか」と質問したところ、先生が「同じですよ」と答えた(←これは鮮明に覚えています)ことが関係していたかもしれません。最初のころ、私の夜のお祈りはこう始まりました、「神様、仏様、キリスト様」と。で、時がたつにつれて、そこに新しく知った神様の名前が次々と追加されていったのですw。一人、また一人(←神様って、そう数えるのでしょうか?)と増えていき、最後のころには私は一度に20人ほど(ww)の神様にお祈りを捧げていました。たくさんの神様にお祈りしておけば、たとえ何人かの神様が私を無視しても、他の神様が助けてくれそうな気がしたからですwww。その「神様のリスト(?)」の内容は完全に忘れてしまいました。ただ、「マリア様」と「観音様」は入っていたように思います。「恵比寿様」とか「大黒様」とか「アラー様」がリストに載っていたか否かは、今となっては分かりません。
同時に20人の神様にお祈りしている人間なんて、当時の私くらいのものでしょう。考えてみれば、それほどたくさんの神様の名前を挙げてお祈りなんかしていたら、どの神様からも「邪教を信じているww」と思われて、結局、誰のご加護も得られないかもしれませんね。
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ということで、今回紹介したい表現は、“ne pas savoir à quel saint se vouer/どの聖人にすがればよいかわからない”。毎度のことですがネットで検索してみると((ne pas savoir à quel saint se vouer – dictionnaire des expressions françaises – définition, origine, étymologie – Expressio par Reverso)、“être dans un extrême embarras/極端な苦境にある”、“être perdu/もう見込みがない”、“avoir épuisé toutes ses ressources/全ての方策を使い果たしてしまった”とあります。
16世紀の初めに生まれた表現だそうですが、ここで「聖人」は神様への仲介者という位置づけです。ですから「どの聖人にすがればよいかわからない」は、「どの聖人にお願いしたら神様に願いを叶えてもらえるのか、さっぱりわからない」、つまり「状況は絶望的で、途方に暮れている」という意味ですね。会社が倒産の瀬戸際にあって、八方手を尽くしたがもうダメだとか、大学四年生がすべての就職試験に失敗し、もう留年するしかないとか、そんなときに使うのでしょう。
しかし、さらに調べてみると、“avoir beaucoup de travail/たくさん仕事がある”という語義が見つかりました。ということは、本当に深刻な状況ではなくても、冗談で大げさに言うこともできるのです。例えば、仕事で作らなければならない書類がたくさんありすぎて、頭を抱えている。部屋が散らかりすぎていて、片づけなければならないけど、どこから手をつけたらいいのかわからない。あるいは、旦那が家事を全然手伝ってくれなくて、子供もいるし、パートの仕事もあって大変だ・・・、そんなケースでも使えるようですね。
気をつけなければならないのは、“se vouer”は代名動詞ですから、主語に応じて“se”が変化するということ。また、このケースは「neの単独使用」が可能なので“pas”を省くこともできますし、「もう~ない」の意味で、“pas”に代えて“plus”を使うこともできます。
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さて先日、秋学期の授業が始まりました。大学に行って授業をするだけではなく、私はいつも大量の資料を学生に配るので、その準備でもかなりの時間を取られます。さらに今年の夏は論文も書いたので、校正の段階で修正することを念頭に、読み残した資料も読んでおかなければなりません。
こうして、私も一体どの聖人にすがればよいのかわかりません(涙)、“Je ne sais pas à quel saint me vouer”。