サイトロゴ

レコールドフランセ フランス語学校 へようこそ!

03-3363-6603

「 投稿者アーカイブ:lecoledefrancais 」 一覧

サラダを語るのイラスト

サラダを語る(raconter des salades)

2020/06/29   -未分類

こんにちは。バゲットです。 何度も書いたように私の実家は元農家で、私が子供のころはJA職員だった父を除いて、毎日、家族総出で農作業をしていました(私は動物たちと遊んでいただけですがw)。家の周囲には大きくはありませんが畑があって、いろいろな野菜を作っていました。売っていたのは栗、梅、ミョウガ、シソ、山椒など一部だけで、多くは自家消費用です。そのため、家族の食卓はいつも野菜であふれかえっていました。毎日、野菜の煮物が三~四品(!)は必ずあって、サラダも毎日出てきて、自家製の漬け物も二~三品が並びます。「こんなに野菜ばかり食べさせられて、明日の朝、目が覚めたら、オレはキリギリスになってるんじゃないかw」と、私はいつも心配で心配でたまりませんでした(←ウソですww)。 ※      ※      ※さて、私より皆さまの方が詳しいかもしれませんが、フランス人もたくさん野菜を食べています。コース料理だとオードブルに生野菜のサラダ(crudités)を食べますし、ラタトゥイユ(ratatouille)やニース風サラダ(salade niçoise)のように、野菜が主体の(有名?)料理も存在します。ポトフ(pot-au-feu)やシュークルート(choucroute)でも大量に野菜を使いますね。あるいは、フランス語教育研修で私が派遣されたカーン大学(Université de Caen)のレストランでも、毎回6種類の野菜(ライス[←野菜の一種!]、ジャガイモ、ニンジン、ホウレン草、エンドウ豆等)から一品を選び、お皿一杯に盛り付けることができました。そんな事情ですから、フランス語には「野菜」に関係する表現がたくさん存在します。その中から今回紹介したいのは、“raconter des salades/サラダ(菜)を語る”。いつものようにネットで検索してみると (https://www.expressio.fr/expressions/raconter-des-salades)、“raconter des salades”は、19世紀にできた表現で、“raconter des mensonges, des histoires/ウソ、作り話を語る”を意味します。この言い回しの「由来(origine)」としては、「サラダは互いによく調和するさまざまな材料の組み合わせ(assemblage d’ingrédients divers qui se marient bien entre eux)」で、「容易に、心地よく食することができる(facile et agréable à avaler)」。「ウソを信じ込ませたいときには(Lorsqu’on veut faire avaler un mensonge)」、「微かなユーモアと、でっち上げた口実と、少量の真実と偽りをかき混ぜて(mélanger un peu d’humour, des excuses imaginées, un peu de vrai et de faux)」、「それを説得力ある口調で味付けすれば(l’assaisonner d’un ton convaincant)」、「それでよい(il suffit)」。別のサイトでも同様の説明をしていますから、「由来」はその通りなのでしょう。 « Raconter des salades » では、この表現、具体的にはどのように使うのでしょうか。別のサイトが挙げている例では、たとえば子供が学校から帰ってきて、「今日はすごく勉強したよ、宿題ももう終わったし」と母親に言う。すると母親は「アンタがサラダを話してなきゃいいけどね(J’espère que tu ne me racontes pas de salades)」。あるいは、休日の夕方、帰宅した夫に妻が尋ねます、「今日の午後はどこに行っていたの」。夫が答える、「友達のマルクと一緒だったよ、テニスをしたんだ」。で、妻がピシャリと言うのです、「私にサラダを話すのはやめて(Arrête de me raconter des salades)。さっきマルクから電話があったわよ」。 ※      ※      ※上で書いたように、私が子供のころ、家の食卓には毎日サラダがありました。他方で、小学校低学年の私は、友人たちを楽しませるために、いつもサラダを話していました(Je racontais toujours des salades)w。気恥ずかしいので具体例を挙げるのはやめておきますが、どれもこれも稚拙で面白味のない、「不味くて不細工なw」サラダです。その後、長じるにつれて、私が「サラダを語る」頻度はずいぶんと少なくなりました。それでも時には、話をしていると生来のサーヴィス精神(?)がニョッキリと顔を出し、ついつい、ストーリーに脚色を加えてしまうことがあるのです。人を騙すつもりはないのですが、いつの間にかそうなってしまうw。そうしたときは、せめて昔より料理(??)の腕が上達し、「高級で上品で絶妙な味のw」サラダを話せていればいいな、と思っています。

死んだネズミのように(comme un rat mort)

2020/05/29   -blog, 未分類

こんにちは。バゲットです。 この原稿を書いている5月の末、東京でも「緊急事態(état d’urgence)宣言」が解除されて、街も徐々に人出を取り戻し、経済も少しずつ回り始めているようです。 私は大学での授業がすべてオンラインによる遠隔授業になって、膨大な資料の作成に追われていました(一回分を作るのに3~5時間かかるw)が、ようやく「出口」が見えてきて、少しホッとした気分です。 緊急事態中は、特に営業を続けるパチンコ屋とその客に猛烈なバッシングが浴びせられていました。新聞はパチンコ客の声として、「家にいてもすることがない」という意見を紹介しています。家にとどまっていても、退屈で退屈で、死んでしまいそうなのでしょう。彼らもこれからは堂々と退屈しのぎ(?)ができると、大いに安心しているのでしょうか。 ※       ※      ※ さて、フランス語には、「死んだネズミのように退屈する(s’ennuyer comme un rat mort)」という表現があります。 死んだネズミのように 「オレは死んだネズミみたいに退屈だ(Je m’ennuie comme un rat mort)」とか、「一昨日マリーに会ったけど、死んだネズミみたいに退屈してたよ(Elle s’ennuyait comme un rat mort)」のように使うのでしょう。 なぜ「死んだネズミ」なのか?この(→https://www.expressio.fr/expressions/s-ennuyer-comme-un-rat-mort)サイトには、「屋根裏で忘れられた死んだネズミは、孤独の、見捨てられた状態の象徴だ(le rat mort oublié dans le grenier est le symbole de l’abandon, du délaissement)」とあります。「皆が私たちを忘れてしまったとき(quand tout le monde nous a oublié ← oubliés が正しい)」、「もはや電話が鳴らないとき(que le téléphone ne sonne plus/que はquand の代用)」、「もはや誰も私たちを何にであれ参加するよう誘ってくれないとき(que personne ne nous invite plus à participer à quoi que ce soit)」、「なんて退屈なんだろう(qu’est-ce qu’on s’emmerde !)」。 「死んだネズミ」なんて誰の興味も引かないし、誰も気にかけない。誰からも相手にされず、いつも独りぼっちで、することがなくて、退屈で退屈でしようがない・・・ということなのでしょう。なんか、ちょっと悲しい「退屈さ」ですね。 ※      ※      ※ そんな「死んだネズミ」ですが、確かに屋根裏や納屋の片隅で死んでいれば、誰の迷惑にもならないし、誰の興味も引きません。でも、もしも家の畳の上(!)に、血だらけのネズミの下半身(!!)があったりしたら、猛烈にショッキングな話です。 私が小学生のとき、母が嫁いで来たときからいたという老ネコが姿を消しました。「ネコは死期を悟ると身を隠す」(←体調が悪くなると外敵に襲われないように隠れるらしい)と言いますから、どこかで人知れず死んでしまったのでしょう。で、その直後、たまたま弟の友達の家で子ネコが生まれ、弟がもらってきて、私の家に新ネコがやってきました。白い部分の多い、可愛い三毛ネコでした。 しばらくすると、私はその子ネコがむやみに「じゃれる」ことに気づきました。私が子ネコの顔の前で人差し指を回すと、飛びついてくるのです。面白いと思ってよく遊んでいたのですが、少し身体が大きくなると、その子ネコはネズミを捕るようになりました。しかも、チビネコのくせに、ひどく大きなネズミを捕る。 これはネコの習性らしいのですが、家のチビネコは捕まえた大ネズミを、必ず畳の上に持ってきてから、食べるのです。で、食べきれずに、残す(!!!)。夏休みのある日だったように記憶していますが、家の座敷の畳の上に血だらけのネズミの下半身を見つけたとき、私はほとんど卒倒しそうになりましたwww。 そんな汚らしい、グロテスクな思い出なのに、今になってみると「懐かしい」と思えるから、不思議です。

不定冠詞

フランス語・不定冠詞と定冠詞(Les articles définis et indéfinis)(3)

2020/04/28   -grammaire, 未分類

こんにちは。バゲットです。 前回は「特定のもの」を表す定冠詞について書きました。ここで「特定」とは「どれを指すか聞き手がわかっている」ということで、具体的な例として、「どれを指すか文脈でわかる」「状況でわかる」「もともと一つしか無いからわかる」の三つを挙げました。 下で書くことと少し関係するので、「状況でわかる」のヴァリエーションとして、もう一つ挙げておきましょう。「いつものものだから、それだとわかる」というケースです。たとえば、お母さんが子供に、「ちょっとパン屋さんに行ってきて(Va chez le boulanger)」。この場合「パン屋さん」と言えば子供=聞き手は「いつものパン屋さん」だとわかりますから、定冠詞をつけて“le boulanger”です。他にも「彼女は家にいる(Elle est à la maison ←いつもの家=自分の家)」など、いくらでもありますね。 不定冠詞 さて、このように「特定のもの」を表す用法の他に、定冠詞には「総称」を意味する用法があります。ここで「総称(générique)」とはその名詞が指すものの「総体」、「種/ジャンル(genre)」あるいは「概念」だと説明されます。厄介なのは、「総称」=「総体」と言いながら、必ずしも「すべての〇〇」とは限らないということ。 たとえば、「人間は死ぬものだ(Les hommes sont mortels)」。人類の誕生以来、死ななかった人は一人もいませんから(w)、ここで言う「人間」は「すべての人間」でよいでしょう。「すべての人間」だから、「総称」の定冠詞を用いて“les hommes”です。 ところが、「私はネコが好きだ(J’aime les chats/このケース、数えられるものは複数形)」になると、事情はちょっと異なります。ここでも“les chats”と定冠詞が用いられていますが、これが「すべてのネコ」でないことは明白でしょう。普通、「隣のネコは引っ掻くから嫌いだw」とか、「向かいのネコは汚らしいから嫌いだw」など、個別的には嫌いなネコもいるはずだからです。しかし、ここではそのような「個別的」な話をしているわけではありません。上の文は、動物の「種」としての「ネコ」について、「私は一般論としてネコが好きだ」と言っているのです。つまり、ここで「総称」とは「ある種」について「一般論として」という意味で、“les chats”は「ネコ一般/一般論としてネコ」を指しています。 「私はコーヒーが好きだ(J’aime le café/数えられないものは単数形)」も同様です。人によっては、「ス〇バのコーヒーは好きだけど、ド〇ールのコーヒーはダメだ(あるいはその反対)」ということも、あるかもしれません。しかし、この文はそのような「個別的」なことを問題にしているわけではなく、飲み物の「ジャンル」としての「コーヒー」について、「私は一般論としてコーヒー(le café)が好きだ」と言っているのですね。 このように、細かいことは無視してザックリ言えば、「総称」の定冠詞は「種/ジャンル」を指して「一般論」を意味しているのです。そして、数えられるものについては、原則として“les+複数形”を用いることも覚えておきましょう。また、英語の“the”の用法と異なることにも注意してください(cf. I like cats/coffee)。 さらに例を挙げれば、「私は演劇/水泳が好きだ(J’aime le théâtre/la natation)」。ここでも「演劇(le théâtre)」は芸術における一つの「ジャンル」、「水泳(la natation)」はスポーツにおける一つの「ジャンル=種目」を意味します。 あるいは、「彼は銀行で働いている(Il travaille à la banque)」。この文で「銀行(la banque)」とはサービス産業における一つの「ジャンル」、つまり「銀行業」ということです。同じような意味で、“Il travaille dans une banque(彼はある銀行で働いている)”と言うこともできますが、ほんの少しニュアンスが違います。前者の「銀行で(à la banque)」は「業」ですから、「彼は銀行員(employé de banque)だ」という含意を持つのに対し、後者の「銀行で(dans une banque)」はただの「場所」。ですから、ひょっとしたら「彼」は、ある銀行でガードマン、清掃員あるいは社員食堂のスタッフをしているのかもしれません。      ※      ※       ※ こうした「総称」の定冠詞は、冒頭で書いた「いつもの」を意味する「特定」の定冠詞と区別が難しい場合もあります。たとえば「お母さんはどこに行ったの/スーパーに行ったよ(Elle est allée au supermarché)」。この「スーパー(au supermarché/au は à + le)」は「いつものスーパー」なのでしょうか、それとも商業施設の一つの「ジャンル」なのでしょうか。 そうした専門的な議論は言語学者に任せましょう。私たち一般人は深く考えず、「どっちでもいいや」と思って使えば、それでよいのではないでしょうか。

スカイプ

コロナウイルス:Skypeでレッスンを受けたい学生向け

2020/04/08   -blog, 未分類

1)Skypeでレッスンを受けたい学生向け: まず、オンラインスケジュールの優先順位で、「Skype」と表示のある灰色の領域を選択します。 次に、スクロールメニューから、クラスタイプの代わりにSkypeを選択します。 ただし、メールで早めにご連絡し、勉強したい時間を指定することで、当日にSkypeレッスンを予約できる場合があります。 当日可能な場合は、私たちはあなたのレッスンをスケジュールに基づいて確定します。 そして確認メールを送ります。届いたメールを確認し、またオンラインスケジュールにレッスンが表示されることを確認してください。 レッスン当日は、Skypeでの通話を常にお待ちください。 Skypeアカウントをお持ちでない場合は、Skypeアカウントを作成するためのリンクを以下に示しておきますので、ご利用下さい。 2)学校でコースを受講する生徒の場合: 在学中は、他の生徒や先生を配慮してマスクを着用してください。 よろしくお願いします。

(お知らせ)新型コロナウィルス感染症への対応について

(お知らせ)新型コロナウィルス感染症への対応について

2020/04/05   -blog, 未分類

新型コロナウイルス感染防止につきまして、当校では、1レッスン時間単位につき学校にお入りいただける生徒さまの数を5人までと上限を設けることにいたしました。この対応は、当校では7割以上のクラスが個人レッスンであり、私どもの当初からのコンセプトである、フレックスタイムスケジュールと、毎日朝から晩まで開講していることから、容易に実現可能なものとなっております。 セミプライベートレッスンにつきましては、通常は1クラスにつき3人までのところ、今後は2人までのレッスンとさせていただきます。さらに、皆さまの安全と、公共交通機関利用削減のため、全ての生徒さまにスカイプでのレッスン受講を可能といたします。セミプライベートレッスンであっても受講料は変わりません。 当校は、自由にオンラインで予約ができるプライベート及び少人数セミプライベートレッスン(最大3人まで)での自由予約システムを原則として、開校当初から運営しております。その結果、当校では、1クラスの人数を最小限に抑えながら、生徒の皆さまの都合に合わせて自由にレッスンを受講いただくことができます。

フランス語・不定冠詞と定冠詞(Les articles définis et indéfinis)(2)

2020/03/16   -blog, grammaire

こんにちは。バゲットです。 前回書いたように、不定冠詞は「不特定」の「可算名詞」につけて用います。ここで「不特定」とは、「どれを指すか聞き手にはわからない」、あるいは話し手にとっても聞き手にとっても「どれでもいい」ということでした。 で、今回のテーマは定冠詞の使い方。定冠詞は、 le+男性名詞単数形、 la+女性名詞単数形、 l’+母音(あるいは無音のh)で始まる男女単数形、 les+複数形で、「特定のもの」もしくは「総称」を表す名詞につけて用います。「可算」「不可算」の区別はなく、どちらにも使える(もちろん「不可算」なら複数形にはなりませんが)。「総称」に関しては次回に回すとして、まず「特定のもの」について解説しましょう。 ここで「特定」とは「会話のその場面で特定されている」ということ、もっと簡単に言えば「どれを指すか聞き手がわかっている」ということです。これにはいくつかパターンがあって、まず「文脈、話の筋道からわかる」ケース。前回書いた「どこかで見かけたイヌ」の場合がそうで、初めて言及するときは聞き手にはどのイヌかわかりませんから、不定冠詞をつけて“un chien”。二度目からは「そのイヌ」だとわかりますから、定冠詞とともに“le chien”です。 不定冠詞 あるいは、「どれを指すか状況からわかる」ケースもあります。たとえば「ドアを開けなさい」。目の前のドア、近くのドア、誰かがノックしたドア、もしくはその部屋にドアが一つしか無くて、聞き手がどのドアかわかるなら、“Ouvrez la porte”。これを“Ouvrez une porte”と言ってしまうと、「どれでもいいからドアを一つ開けなさい」という意味になってしまいます。 あるいは、私は田園都市線の三軒茶屋駅から徒歩5分くらいのところに住んでいますが、友人が初めて家に遊びに来るとして、「迎えに行くから、駅に着いたら電話してね(Appelle-moi quand tu arriveras à la station)」。ここで「駅」と言えば「三軒茶屋駅」だとわかりますから、定冠詞をつけて“la station”です。 さらに「もともと一つしかないから、聞き手はどれを指すかわかる」ケースもあります。よく挙げられるのが「太陽(le soleil)」と「月(la lune)」。他にも「(その国の)大統領(le Président)」、「(その国の)首相(le Premier ministre)」、「(その会社の)社長(le PDG)」「(その会社の)営業部長(le directeur commercial)」(言うまでもなく、以上は女性形も可能です)、「(その国の)政府(le gouvernement)」、「(居住地の)市役所(la mairie)」など、いくらでもありますね。 「de+名詞で限定されると定冠詞」などと書いてある教科書・参考書もありますが、それほど単純ではありません。つまり「de+名詞」がついても、「一つ」に限定されなければ不定冠詞をつけるのです。たとえば「ポールのお母さん」は一人しかいないので、“la mère de Paul”でよい。しかし、フローベールは複数の小説を書いていますから、「小説(roman)」に“de Flaubert”をつければ自動的に定冠詞になるというわけではありません。「フローベールのある小説」なら“un roman de Flaubert”で、二度目に言及するなど、聞き手が「フローベールのその小説」とわかるときに初めて、“le roman (de Flaubert)”となります。「ルイ・ヴィトンのバッグ」も同様で、聞き手がどのバッグか特定できないなら、“un sac de Louis Vuitton”ですね。 作家やブランド以外でも、事情は変わりません。たとえばあなたが知人に一人の女性を、「この人はマリーの友達です」と紹介する場合。マリーに友人が一人しかいないということは普通ありえませんから、このケースは“C’est une amie de Marie”です。聞き手が「どの友人」を指すかわかるときに初めて、“l’amie de Marie”と定冠詞になりますね。 さて、次回は「総称」の定冠詞について書きましょう。

フランス語・不定冠詞と定冠詞(Les articles définis et indéfinis)(1)

2020/02/26   -blog, grammaire

フランス語・不定冠詞と定冠詞

頭の内側に髪の毛が生える

頭の内側に髪の毛が生える(avoir les cheveux qui poussent à l’intérieur)

2020/01/24   -blog

こんにちは。謎のキャラクター、バゲットです。 年末・年始は「忘年会」、「新年会」とお酒を飲む機会が多く、飲み過ぎて悪酔いして嘔吐したり、あるいは翌朝に二日酔いで苦しむ方も多いでしょう。 私も大学に入ったばかりのころはまだお酒の飲み方を知らず、6月の中頃までにクラスや友人たちとのコンパで三回も泥酔して前後不覚になり、内二回は吐いてしまいました。二浪して入学したクラスメートから、「酒の飲み方に少し気をつけろ」と叱られたことを今でも覚えています。 その後、一時は禁酒したこともあるのですが、20代の終わりごろからは毎晩、寝る前にお酒を飲むようになりました。ここ10年ほどは少し血糖値が高いので、もっぱら糖分ゼロのバーボン・ウイスキー。毎日8時半には仕事を切り上げ、フロアスタンドの間接照明以外は全ての明かりを消して、マンションの大きな窓から見る東京の夜景(←すごくキレイです)を背景に、一人でお酒を飲む。私にとって至福のひとときです。 Avoir les cheveux qui poussent a l’interieur フランス語で「二日酔い」を意味する最も一般的な表現は、“la gueule de bois”。直訳すれば「木の口」で、多くは動詞“avoir”とともに用います。「私は二日酔いだ」は、“J’ai la gueule de bois(=私は木の口を持っている)”ですね。 いつものようにウィクショネール(https://fr.wiktionary.org/wiki/gueule_de_bois)で調べてみると、“Malaises matinaux dus à un abus d’alcool(=酒の飲み過ぎに起因する朝の身体的不調)”。まさに「二日酔い」です。語源としては、“avoir la bouche sèche comme du bois après avoir bu trop d’alcool(=お酒を飲み過ぎた後に木のように乾いた口を持つ)”とありますね。 面白いのは「同義語(synonymes)」の項目。たとえば、“avoir la tête dans le cul(=頭が尻にある)”。「今朝、オレの頭は尻についてるよ(Ce matin, j’ai la tête dans le cul)」のように用いるのでしょう。 さらに奇抜なのは、“avoir les cheveux qui poussent à l’intérieur(=[頭の]内側に髪の毛が生えている)”。二日酔いでアタマがガンガンするときは、「昨夜は飲み過ぎた、髪の毛が頭の内側に生えてるみたいだ(J’ai trop bu hier-soir, j’ai les cheveux qui poussent à l’intérieur)」と言えばよいわけです。 ※      ※      ※ 私は体質的にお酒には強いようで、生涯で一度も二日酔いになったことがありません。夜中の2時、3時に目が覚めて激しい頭痛がしたことは何回かありますが、朝起きて頭が痛かったことは一度も無いのです。とは言え、飲み過ぎると風邪を引きやすくなりますし、また年齢のせいか、風邪を引いたときにお酒を飲むと、その風邪が何週間も治りません(←若いころは治ったのですが)。そのため、2年ほど前から、毎晩飲むお酒の量を少し減らすようにしています。 皆さまも飲み過ぎて二日酔いになったり風邪を引いたりしないよう、お気をつけてくださいませ。

サンタクロースを信じる

サンタクロースを信じる(croire au Père Noël)

2020/01/06   -blog

こんにちは。バゲットです。 私が若いころお世話になった先輩で、Aさんという、非常に優秀なのですが奇妙なイタズラ心を持った人がいました。彼は自分の一人息子のTくんに「20歳になるまでサンタクロース(Père Noël)を信じさせる」wと豪語し、実際に小さなころは信じさせることに成功していたようです。 ところがTくんが小学一年生のとき、担任の先生が授業で、サンタクロースの存在を信じるか否かを子供たちに尋ねるという「暴挙」wに出たのです。結果、「信じる」と答えたのはクラスでTくんを含めて二名のみ。他の子供たちは一様に「お父さん(もしくはお母さん)がサンタのふりをしている」と答えたのです。しかも、そのときTくんに賛同した唯一の同級生は、勉強ができないばかりでなく、何をやらせてもダメな男の子だったそうで、その子から「Tくん、サンタは本当にいるよねぇ~」などと話しかけられて、Tくんは大いにショックを受けてしまいます。 それでも父親のAさんは諦めず、「サンタは良い子にしかプレゼントをしないのだ」「悪い子のところにはサンタが来ないから、代わりにお父さんがプレゼントを買うのだ」と強弁しますw。しかし、やはり後の祭り。翌年のクリスマス、プレゼントの包装紙がTくんのよく知っているデパートのそれだったことから、Aさんの企みはあえなく露見してしまったのでしたww。 ※      ※      ※ さて、フランス語に“croire au Père Noël(=サンタクロースを信じる)”という表現があります。いつものように「ウィクショネール(https://fr.wiktionary.org/wiki/croire_au_père_Noël)」で検索してみると、“se faire des illusions, faire confiance à des promesses visiblement impossibles à tenir(=幻想を抱く、明らかに守ることが不可能な約束を信頼する)”とあります。別のサイトには、“être trop crédule, naïf(=軽々しく信じすぎる、うぶで間抜けである)”とある。 要するに、「何もかも簡単に信じてしまう」「あまりに楽観的すぎる」「現実が見えていない」ということのようですが、具体的にどのような場面で、どのような言い回しで使うのでしょうか。 « Croire au Pere Noel » あるフランス人教師に尋ねてみたところ、たとえば部下が上司に昇給を願い出て、上司が “Tu crois au Père Noël ?(=キミはサンタクロースを信じているのか)”と答えたりする、とのことでした。上の「ウィクショネール」の例文も、昇給に関して “il ne faut pas croire au Père Noël(=サンタクロースを信じてはならない)”とありますね。 他にネットで探してみると、“Il faut croire au Père Noël pour accepter pareille déclaration du ministre(=大臣のあのような宣言を受け入れるためには、サンタクロースを信じていなければならない)”。あるいは、楽観的すぎる他人をたしなめているのでしょう、“Arrêtez de coire au Père Noël(=サンタクロースを信じることはやめなさい)”、“C’est de croire au Père Noël(=それはサンタクロールを信じることだ」)”などもありました。 ※      ※      ※ さて、上述のTくんですが、長じると父親に似て非常に優秀な学生になりました。彼が就職戦線に参戦しようとするとき、Aさんはたった一言、こうアドヴァイスしたそうです。「金は使うものだ、金に使われるようにはなるな」と。 Tくんは数々の大企業から引っ張りだこだったようで、「越後屋」の流れをくむ毛並みの良い綜合商社や、東大卒女性新入社員が過労自殺したことで有名な広告代理店、従軍慰安婦問題をこじらせる元凶となった左翼系新聞系列のテレビ局など、超有名企業四社から内定を勝ち取ります。私も含め、Aさんの仲間の皆が「越後屋」商社を選択すると思っていたところ、Tくんはなんとテレビ局に入社。数年前からは、「ゲスト出演者の学生時代の同級生が今、何をしているかを調査する番組」(←ウィキペディア)のプロデューサーをしています。 小学校低学年でサンタクロースを信じなくなったTくんですが、今はまた別の「夢」を追いかけているのでしょうか。お世話になった先輩のご子息で、子供の頃から知っているので、私も微笑ましく感じています。

Joyeux Noel

JOYEUX NOEL A TOUS!!!

2019/12/23   -blog

Toute l’equipe des professeurs vous souhaite un tres joyeux Noel!!! La Buche de cette annee, de « Le Notre »…! La Buche De Noel « Le Notre »

あなたのお住まい、お仕事は東京でしょうか?フランス語や文化に興味がございますか? くつろげて、自分に合うフランス語学校をお探しでしょうか?

東京でフランス語を学ぶのでしたら、新宿、池袋から数分の私たちの学校のサービスをご提案します。

初心者、初級対象者のすべての方には他校にはないプライベートレッスンをご提供します。初心者の方にはマンツーマンでそれぞれの題材の最後までご指導します。

その他のレベルではスタンダードコースとして(中級、上級)クラス内での広がりを作る為に1クラス3人まで のセミプライベートレッスンとプライベートレッスンがございます。

個人レッスンでは各ご要望のコースで対応します(文法、語彙、口語表現、試験準備、テレビニュース他…)。 フランス語会話サロンでは文化や社会に関する様々な題材で意見を交わし、東京からフランスまでを旅し、横断する事が出来ます。又、幼稚園生から大学生まで、セミプライベートレッスン、個人レッスンもご提案させていただきます。

私達の学校は会話を基本とする方法で、フランス語圏出身の講師による生きた会話レッスンを行っています。そういうわけで、私達は本校のことを、会話学校又は自由会話サロンと呼んでいます。