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終戦と聖母被昇天祭(la fin de la guerre et l’Assomption de Marie)

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こんにちは。バゲットです。

皆さま、お盆休みはどのように過ごされたのでしょうか。私は例年通り、千葉の実家に帰ってお墓参りをし、母や弟とおしゃべりをしたり家の近所を散歩したりして、数日ですがのんびりと過ごしました。

散歩の一環で、幼いころに通った小学校に数十年ぶりに行ってみると、校庭の隅に日清、日露、アジア・太平洋戦争の「戦没者の碑」が建っていました。「村」から出征して戦死した人たちの氏名と享年が刻まれた石碑です。140名ほどの名前があって、多くは20代前半。18歳、19歳で亡くなった人もいて、女性もいます。その数の多さと若さとに、哀れみと悲しさとやり切れなさが混じった、何とも言えない気分になりました。

さて、言うまでもなく、日本では8月15日がアジア・太平洋戦争の終戦記念日です。この日は、昭和天皇が玉音放送で国民に終戦を告知した日ですから、日本との間に大きな戦闘のなかったヨーロッパ諸国では終戦の日にはなりません。フランスでの「第二次大戦戦勝記念日(Victoire du 5 mai 1945)」は、ナチス・ドイツが降伏した5月8日で、「国民の祝日(fête nationale)」の一つです。

ところが意外なことに、フランスでは8月15日もまた「祝日」です。この日はフランスを始めとするカトリック諸国では、「聖母被昇天(せいぼひしょうてん/l’Assomption de Marie)」の日なのでした。

せいぼひしょうてん/l’Assomption de Marie)の日なのでした
聖母被昇天

以前にも書きましたが、フランスは古くから「ヴァチカンの長女(la fille aînée de l’Église)」と言われ、世俗化された現代でも国民の60%以上がカトリック教徒です。そのため年間11日ある「国民の祝日」のうち、6日がキリスト教関係の日になっています。その一つ「聖母被昇天祭」は、その名のとおり、聖母マリアが天に召された日。

聖母マリアの像を掲げた宗教行列
聖母マリアの像を掲げた宗教行列

その日、フランスのみならずベルギー、スペイン、イタリア等の各都市では、聖母マリアの像を掲げた宗教行列が行われます。上の写真でも左にマリアの像が写っていますね。行列が終わった後は、花火を上げる等のお祭りがあるそうです。

パリでは、前日14日の夜、セーヌ川にいくつもの船を浮かべて行列を行います。参加者(pèlerins=巡礼者)たちは手にロウソクを持って、祈りの言葉を唱えます。

  •      ※      ※

この件について調べていて偶然に知ったのですが、カトリックではマリアは「原罪」を免れているそうで、しかもそれはイエスを身ごもったときに免れたのではなく、母アンナの胎内に宿ったときからそうだったということです。それが12月8日の出来事。なんと、真珠湾攻撃の日じゃないですか!

つまり、日米の太平洋戦争はマリアの「無原罪の御宿り(むげんざいのおんやどり/Immaculée conception)」の日に始まり、「聖母被昇天」の日に終わったのです!!

日本側は国家神道を掲げて戦ったわけですから、そうなると、これはもう「神々の戦い」と言ってもよい。で、現人神であるヒロヒトが聖母マリアに負けたわけ。何となく、もともと格が違いすぎて、勝ち目がなさそうな気もしますがw。

てか、聖母崇敬はカトリックの教義だから、プロテスタントが主流のアメリカとは関係ないかも知れないけどww。

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ジャガイモの花

ジャガイモの花(les fleurs de pomme de terre)

こんにちは。バゲットです。 ジャガイモといえば、肉じゃが、コロッケ、ポテトサラダ、カレーやシチューなど、さまざまな料理で用いられる、日本でも代表的な食材の一つです。日本全国で栽培されていますし、千葉の私の実家でも作っています。小学校の理科の授業で栽培し、収穫後、クラス全員で茹でて食べた方も、多いのではないでしょうか。 ジャガイモはアメリカ大陸(インカ帝国周辺)が原産で、16世紀にスペイン人がヨーロッパにもたらしました。佐藤賢一さんの小説『傭兵ピエール』に、ジャンヌ・ダルク(Jeanne d’Arc)の傭兵である主人公がジャガイモを食べる場面があるそうで、以前、私の友人が「そんなのあり得ない」と文句を言っていたのを覚えています(ご参考までに書いておけば、ジャンヌ・ダルクによるオルレアン解放は1429年、コロンブスの新大陸発見は1492年です)。 言うまでもなく、ジャガイモはフランスでもいろいろな料理に使われる重要な食材の一つです。私は特に、ステーキやハンバーグの付け合わせに出てくるフライドポテトが大好きで、留学中はいつも大量のトマトケチャップをつけて、大量に(学食では食べ放題だったので)食べていました。 フランス語で「ジャガイモ」は、pomme de terre、直訳すれば「地面のリンゴ」です。地下で成長して形がリンゴに似ているからそのように言うのでしょう。ちなみに、サツマイモは patate douce (=甘いpatate)で、口語ではジャガイモを patate と言うこともあるようです。英語(ジャガイモ/サツマイモ=potato/sweet potato)と同じですね。 比較的よく知られていることですが、ジャガイモをフランスに普及させるのに大きく貢献したのは、王妃マリー・アントワネット(Marie-Antoinette)。当時のフランスはしばしば凶作と飢饉に襲われており、それへの対策として、農学者パルマンチエ(Antoine-Augustin Parmentier)の進言を受けて、ジャガイモの栽培を積極的に推奨したそうです。ジャガイモの花を好んで髪飾りや胸飾りに用いた、とも言われています。 ジャガイモは栽培が簡単で、収穫量も多い上に、味も美味しいことがあって、フランス全土に急速に普及しました。数ヶ月前、France 2 のルポルタージュで見たのですが、ジャガイモの普及に伴って、フランスでそれまで伝統的に食されていたイモ類は衰退し、今では食卓に上ることはほとんど(全く?)ないとか。一部のレストランや料理研究家が「伝統的フランス料理の保存」のため、農家に委託して特別に栽培しているようですが、かなりの手間がかかって、どうしても値段は高くなってしまうそうです。一体、どんなイモなのでしょうか。一度、食べてみたいものですね。

トマトのように赤い(rouge comme une tomate)

こんにちは。バゲットです。 私が子供のころ、千葉の農村地帯では三世代、四世代が同居するのが当然で、私も幼年時代は曾祖母・曾祖父に子守をされて育ちました。保育園に通うようになったのは、5歳の四月。小学校に入学する一年前です。 保育園は私の家からは2キロ以上も離れた大きめの集落にあって、その周辺に住んでいる子供たちはお互いに知り合いで友達も多かったのに対し、私には「友達」と呼べるような者は一人もおらず、入園当初はいつも寂しい思いをしていました。 まだ四月だったかもう五月に入っていたのか、強い雨が降ったある日、私は母が買ってくれた水色の雨ガッパを来て、保育園に行きました。園に着いてカッパを脱ぐと、皆が私を見て大笑いする。最初、なぜ笑われているのかわからなかったのですが、下を見ると、私はカッパと一緒にズボンまでも脱いでいたのです。自分で自分の顔が赤くなるのが、はっきりとわかりました。「恥ずかしい」という感情を生まれて初めて感じたのは、あのときだったように思います。     ※      ※      ※    さて、フランス語には、「トマトのように赤い(rouge comme une tomate)」という言い回しがあります。恥ずかしさや怒りで顔が赤くなったとき、たとえば、“Elle est devenue rouge comme une tomate(=彼女はトマトのように赤くなった)”のように用います。 トマトのように赤い 「トマト」の他にも「雄鳥(un coq)のように」「サクランボ(une cerise)のように」「ヒナゲシ(un coquelicot)のように」「シャクヤク(une pivoine)のように」「ザリガニ(une écrevisse)のように」「ロブスター(un homard)のように」もあるそうです。 形容する対象が男性か女性かによって、また赤くなる理由が怒りなのか恥ずかしさなのかによって、使い分けが必要になるでしょう。私のような中年男が恥ずかしさで顔を赤らめるとしても、「ヒナゲシのように」とは言わないww、ということです。 ですから、たとえば「彼は激怒した」は、“Il est devenu rouge comme un coq(=雄鳥のように)”で、若い女性について「彼女は頬を赤らめた」なら、“Elle est devenue rouge comme une cerise(=サクランボのように)”ですね。 ※      ※      ※ さて、話は飛びますが、トマトの原産がアメリカ大陸であることは、ご存知の方も多いでしょう。メキシコで栽培されていたのを、16世紀にスペイン人の征服者たちがヨーロッパに持ち帰ったのです。最初は観賞用で、その後イタリアや南フランスで食用にされていたのですが、フランス革命の際に南仏から人々が大挙パリに押し寄せて、その結果フランス全土に普及したそうです。 そんなトマトは、今やフランス料理には欠かせない食材の一つ。ニース風サラダ(salade niçoise)等のサラダにも用いますし、ラタトゥイユ(ratatouille)の材料としても不可欠ですし、またケチャップやソースを作るのにも必要です。 ジャガイモ(pomme de terre)もアメリカ大陸が原産ですが、やはりフランス料理では重要な食材です。他方、人気料理のクスクス(couscous)は北アフリカが起源で、第一次世界大戦中に工場労働者が大量に不足して、当時植民地だったアルジェリアから多くの人々を呼び寄せたことで、フランス本土に広まったものです。 そのように考えると、世界に誇るフランス料理も、決してフランス一国だけで確立されたものではないことがわかります。「正統派」と言われるフランス料理も、ちょっと歴史を遡れば、他国や他地域との交流によって生まれた「バイブリッド(hybride=雑種)」だったのですね

クレープ

クレープを食べる(manger des crêpes)

こんにちは。バゲットです。 以前も書いたように、私は高校卒業と同時に上京し、世田谷区にアパートを借りました。家の近くには小さな喫茶店があって、近所の調理師学校の女の子たちがよく来ていました。別に彼女たちが目当てだったわけでもないのですが(てか、少しは「目当て」でしたがw)、私はときどきその喫茶店でお昼ご飯を食べました。 メニューの中には、いろいろな「クレープ」がありました。私はそれまで「クレープ」という言葉を聞いたことがなく、それがどんな物なのかを知りませんでした。現代のようにネットで何もかも簡単に調べられる時代でもありません。お菓子の一種だとはわかったので、一度試してみたいと思い、ある日、思い切って、ランチと一緒に注文してみました。「バナナクレープ」だったように思います。そのとき、カウンターに座っていた常連らしき女の子が振り向いて、私を見て笑ったのを覚えています。 ウエイトレスがクレープをテーブルに置いたとき、私は驚き、ちょっと後悔しました。ランチのデザートとしては、大きすぎるのです。味は覚えていません。後にも先にも、私がクレープを食べたのは、そのとき一度限りです。 ※      ※      ※ さて、「クレープ(crêpe)」はフランス語。前回、「聖燭祭(せいしょくさい=ロウソクの祝日、la Chandeleur ou la fête des chandelles)」について書きましたが、実はこの日(2月2日)、フランスではクレープを食べる習慣があるのです。その起源については諸説あります。 あるフランス語の教科書によれば、昔は「主の奉献(Présentation de Jésus au Temple、前回の記事を参照)」を祝うために、この日、多くのキリスト教徒がローマに巡礼に行きました。ところがローマには、そうした巡礼者たちのために十分なパンがありません。そこで、パン生地を水で薄めて、より薄くてより大きなパンを作って、それがクレープの起源になったというのです。ネットで調べてみると、5世紀の教皇グラシウス1世(Gélase 1er)が巡礼者たちにクレープを配ったとありますから、おおむね、この教科書の記述と合致します。 別の説によれば、もともとは異教徒の祝祭(fête païenne)で、立春(19年は2月4日)のころ、人々は太陽に似た丸くて黄色いクレープを食べて、陽光が戻ってきたことを祝ったそうです。以前書いた「クリスマスの薪(bûche de Noël)」もそうですが、ヨーロッパでは、昔からあった習慣がその後キリスト教に取り入れられることがよくあります。聖燭祭のクレープもまた、上記の習慣がそのようにキリスト教化(christianisé)されたものなのかもしれません。 さて、クレープにはお菓子タイプ(crêpe sucrée=砂糖味のクレープ)の他に、塩で味つけして、肉、ハム、チーズ、野菜等を包んで食べる軽食タイプのもの(crêpe salée=塩味のクレープ)もあるそうです。私は少し血糖値が高いので甘い物は控えるようにしているのですが、「塩味」なら問題はありません。またクレープが太陽の色と形をまねたのなら、コンセプトは日本の「日の丸」と同じで、そう考えると、少しは親近感(w)も感じます。 最近、散歩していて偶然、三軒茶屋の茶沢通りにクレープ屋さんを見つけました。メニューには甘くない「サラダクレープ」もありますし、今度、行ってみようかと思っています。

トリュフ

トリュフを食べたことはありますか?(Vous avez mangé de la truffe ?)

こんにちは。バゲットです。 「恵まれない階層(classe défavorisée)」に属する(?)多くの男性がそうであるように、私は料理のことはほとんど何も知りません。 ところがこのことには意外なメリットがあって、私は高級フランス料理を食べても(めったにありませんがw)、街の定食屋さんで700円のランチを食べても、100グラム95円の豚肉を買ってきて自分で焼いて食べても、味の良し悪しが全く分からないのでw、同じように幸せな気分に浸ることができるのです。そう思うと、少しだけ得したような気もします。 他方で当然、デメリットもあります。主観的に最も重大なのは、自分が何を食べているのかが分からないことです。 たとえば、「世界三大珍味」と言われる、フォアグラとキャビアとトリュフ。私も、それなりに高級なフランス料理を食べることはたまに(てか、「まれに」w)あるので、フォアグラは食べたことがあるはずです。でも何だか分からずにただ食べただけで、「これがフォアグラだ」という十全たる認識をもって味わったことは、一度もありません。だから「フォアグラ」と言われても、どんな味なのかよく分からない。キャビアについても同様で、あの黒いツブツブには見覚えがありますから、食べたことはあると思います。しかし「キャビアの味」と言われても、ピンと来ないのです。さらにトリュフに至っては、食べたことがあるのかどうかさえ分かりません。調べてみると「スライスして料理にトッピングする」とあります。ステーキの上に乗ったそれらしきものを食べたことは何度かありますが、あれがトリュフだったのでしょうか。 ※      ※      ※ 前置きが長くなりましたが、今回のテーマは、その「トリュフ(truffe)」。 日本で「秋の味覚」の代表と言えば、キノコです。トリュフもキノコ(champignon)の一種ですから、秋が旬かと思って調べてみると、その辺はなかなか複雑で、種類によってまちまちです。ウィキペディア・フランス語ヴァージョンによれば、有名なペリゴール産黒トリュフ(truffe noire du Périgord)の「旬」(pleine maturité=「成熟期」)は1月半ば~3月末。他の種類もおおむね秋から冬が旬ですが、夏に成熟する種類もあるようです。 紀元前2600年ごろ、古代エジプトで珍重されていたそうですから、歴史は相当に古い。ところが古代ローマ以降は長い間忘れ去られて(もちろん、庶民は食べていたのでしょうが)、ルネッサンスのころになって再び人気が沸騰します。フランスではフランソワ一世(在位1515~1547)の宮廷で供されていたとか。 地中で形成されるので、昔は雌ブタを使って探していました。35年ぐらい前に私がフランス語学校で見た教材用ビデオでも、ブタが探していました。トリュフの香りが雄ブタのフェロモンに酷似しているため、雌ブタは放っておいてもトリュフを見つけて掘り出すからです。でもブタはトリュフを見つけると食べてしまうので、現在では主にイヌを訓練して使っています。 ※      ※      ※ さて、日本の松茸と同様、トリュフもいろいろな大学や企業、研究機関が人工栽培技術の開発に向けてしのぎを削っており、種類によってはすでに成功しているものもあるそうです。現在のようにトリュフを「スライスしてトッピングする」のは、値段が非常に高価だから、そのような食べ方をするのでしょう。いつの日かトリュフの栽培技術が確立して、三個100円(!)くらいまで値段が下がったら、そのときは一体、どんな食べ方をするのでしょう。 ちょっと興味がありますね。あなたなら、どうしますか?

メロンを持っている

彼はメロンを持っている(Il a le melon)

こんにちは。バゲットです。 以前も少し書いたように、フランスはヨーロッパ随一の農業国です。国土の52,5%が農業用地で、それはEU全体の農地の16%に相当し、農業生産額もフランス一国でEU全体の18%を占めています。 そんなこともあるのか、フランス語には農作物や家畜の名前を用いた慣用句がたくさん存在します。このブログではそんな言い回しをいくつか紹介してきましたが、今回紹介したいのが“avoir le melon(メロンを持っている)”。 過去の記事を読んで下さった方はご記憶のことと思いますが、“Elle a la pêche(彼女はモモを持っている)”と言えば、「彼女は元気ハツラツとしている」という意味でした。ケースによっては「彼女はバリバリ働いている」とか「ウキウキしている」というニュアンスも持ちました。ところが、同じように美味しい果物なのに、“Il a le melon(彼はメロンを持っている)”は全く別のことを意味しているのです。 “avoir le melon”を「ウィクショネール(https://fr.wiktionary.org/wiki/avoir_le_melon)」で調べてみると、“avoir la grosse tête(大きな顔をしている)”と出てきます。他のサイトでも、 “se sentir important, supérieur(自分を重要な、優れた人間だと感じている)”、あるいは“prétentieux(うぬぼれの強い、気取っている)”とあります。要するに、「でかい面をしている」「傲慢である」「うぬぼれている」ということですね。 ですから、“Il a le melon(彼はメロンを持っている)”は、「アイツは傲慢だ、うぬぼれている」という意味。逆に「彼女はうぬぼれていない」なら、“Elle n’a pas le melon(彼女はメロンを持っていない)”です。 Prendre le melon(メロンをつかむ)という表現もあって、過去形で“Il a pris le melon(彼はメロンをつかんだ)”は、「アイツは傲慢になった」ということ。命令文でも使えて、「うぬぼれちゃダメよ」は、“Ne prends pas le melon(メロンをつかまないでね)”ですね。 ※      ※      ※ さて、フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre/1964年ノーベル文学賞の受賞を辞退)の基本概念の一つに、「偶然性(contingence)」があります。難しいことは抜きにして暴力的に単純化すれば、「どんな人間にも生きている価値なんてない」ということです。もう少しソフトに、「誰もが、いてもいなくてもいい人間だ」と言ってもいいでしょう。このことが人間の「平等」の哲学的根拠になります。 私は大学生のときにサルトルを読み始め(最初はアタマが痛くなりましたがw)、「偶然性」についても理屈としては、かなり早い段階で理解できていたと思います。具体的なレベルでも、自分が「いてもいなくてもいい人間」だということは、理論的には十分に納得し、了解していたつもりです。 他方で心情的には、それについて消化しきれないものが、長い間、残っていました。心の底の底では、自分が「必要な人間=いなくてはならない人間」であるかのような「幻想」が消え去らなかったのです。 しかし40歳を過ぎて、結局自分には大したことが出来ないこと、歴史に残るような輝かしいことは何も出来ないことが明白になってくると、そうした「幻想」もいつしか消えました。今の私は、自分が「いてもいなくてもいい人間」だと、感情的にも完全に受容して生きています。 だから、高慢な人、自分を「エライ」と思っている人を見かけると、皮肉の一つも言ってやりたくなるのです。でも、実際にはなかなか口に出して言えないので、心の中でつぶやきます、「アイツはメロンを持っているw」と。

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