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幽霊は怖い?(Tu as peur des fantômes ?)

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こんにちは。バゲットです。

何度か書いたように、私の実家は集落から少し離れた奥まったところにあって、隣の家まで100メートル、その隣の家まではさらに100メートルほど離れています。家の正面は庭と農道を隔てて柿と栗の畑で、その向こうの山の麓に先祖代々のお墓があります。田舎なので当然、街灯などはなく、日が暮れればあたりは真っ暗。まさに幽霊が出るのにうってつけの(?)環境です。すごく臆病な子供だった私は、暗くなってからお墓に近づいたことは一度もありません。

幽霊やお化けのことはとても幼いころから知っていたように思います。すごく、すごく怖がっていたのですが、でも、どのようにして知ったのか全く覚えていないのです。テレビで見たのでしょうか。迷信深い曾祖父か祖母にでも聞いたのでしょうか、「日が暮れたらお墓に行っちゃダメだよ、お化けが出るからね」と。それとも夕方、遅くまで外で遊んでいたとき、母か、あるいは私の子守をしてくれた曾祖母に、「早く家に入らないと、お化けが出て、連れて行かれちゃうよ」とでも脅されたのでしょうか・・・。

ということで、今回のテーマは「幽霊」です。

※      ※      ※

「日本の幽霊には足がないけど、ヨーロッパの幽霊には足がある」。具体的に「どこで聞いたの?」と質問されても困るのですが、いろいろなところでよく聞くように思います。そこで、なぜ日本の幽霊に足がないのか調べてみると、諸説あるようですが、有力なのは、江戸時代の画家・円山応挙(まるやまおうきょ)の描いた足のない幽霊の絵。その絵がとても有名になって、一般に幽霊には足がないと信じられるようになった、という説です。 最近では幽霊の世界でもグローバル化が進んでいるようで、フランスにも「足のない幽霊」の画像(↓)がありました。

幽霊

さて、フランス語で「幽霊」は“fantôme”。今回は「ウィキペディア」のフランス語ヴァージョンで調べてみると(https://fr.wikipedia.org/wiki/Fantôme)、「幽霊とは一つの出現、幻視あるいは幻覚であって、それは死去した人物の超自然的な顕現と解釈されている」とあります。日本の「幽霊」と同じですね。

“spectre”という語もあって、こちらは「死者の恐ろしい出現(apparition effrayante d’un mort)」。つまり、「怖い」幽霊です。

さらに“revenant”という語もありますが、これは“revenir(帰る)”という動詞の現在分詞からできた語で、「あの世から回帰すると想定される、死者の霊魂」です。 で、外見は千差万別のようですが、一番多いのはこんな(↓)感じ。「おばけのQ太郎」みたいですね

おばけのQ太郎

白い布をまとっているのは、お葬式のとき死体を白い布で包むからだそうです。あと、この(↓)ヴァージョンもポピュラーらしい。

ゲゲゲの鬼太郎

「魂」のイメージでしょうか。昔「ゲゲゲの鬼太郎」に出てきた「死者の魂」は、こんな風でした。

※      ※      ※

この原稿を書いていて、突然気づいたのですが、人類の誕生以来、今までに何百億人もの人が死んでいます。ところが、幽霊として化けて出る人って、比較的最近に死んだ人ばかりじゃないですか!!古くても平将門(940年没)ぐらいで、縄文時代に死んだ人の幽霊wとか、ネアンデルタール人(←「人類」じゃないけど)の幽霊wwなんて、聞いたことがありません。一体、どうしてなのでしょう???

それとも、単に私が知らないだけで、中国には北京原人の幽霊(!)が出る心霊スポットとかがあるのでしょうか。どなたかご存知の方がいらしたら、ぜひぜひ教えてくださいませ。

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ムシュワール=鼻かみ布

四角いハンカチ(le mouchoir carré)

こんにちは。バゲットです。 私が高校生のとき、太田裕美さんの歌「木綿のハンカチーフ」が大ヒットしました。田舎に残った女の子が都会に出て変わってゆく恋人を想う歌で、魅力的な歌詞やメロディーに加えて、太田さんの上品な色気を含んだ、透き通った歌声が好きで、私は繰り返し何度も聴いたものでした。 山田洋次監督の『幸福の黄色いハンカチ』が公開されたのも、私が高校生のときでした。不器用な男(高倉健)とその男を待つ妻(倍賞千恵子)の物語で、こちらもその年の日本アカデミー賞を受賞するなど大ヒットしましたから、ご記憶の方も多いでしょう。 そうした雰囲気の中で、若い私にとってハンカチは、ロマンチックなイメージと強く結びついていたように思います。 さて、ヨーロッパの女性がハンカチで鼻をかむことは、映画等を見て、私もかなり早くから知っていました。しかし、フランス語でハンカチを「ムシュワール(mouchoir)」と言い、その語が「鼻をかむ」を意味する「ス・ムッシェ(se moucher)」から来ていることを知ったときは、ちょっと驚きました。ハンカチは、フランス語ではまさしく「鼻かみ布」なのです。そんな呼称では、ロマンチックなイメージも台無しです。 ティッシュ・ペーパーのことを「ムシュワ-ル・アン・パピエ(mouchoir en papier)」と言うことを知ったときも、やっぱり少し驚きました。文字通り「鼻かみ紙」です。 もっとも、「鼻をかむ」という行為の社会的な意味は、日本と欧米では大きく異なります。日本では人前で鼻をかむことは(特に食事中などは)マナー違反とされますが、ヨーロッパではそうではなく、レストランで他の方が食事をしているときに鼻をかんでも、「礼儀に反する(impoli)」ということはないそうです(註)。とすれば、「ムシュワール=鼻かみ布」という呼称も、特に不快感を与えるものではないのかもしれません。 現在、ハンカチと言えば形は正方形(carré)と決まっていますが、昔はそうではありませんでした。丸いハンカチや、三角形、長方形、楕円形もあったそうで、貴族のご婦人方が贅を尽くしていろいろなデザインを競っていたようです。それを正方形に統一したのが、王妃マリー・アントワネット(Marie-Antoinette)。夫のルイ16世に進言して勅令(lettre patente)まで出させています。 なぜマリー・アントワネットはそんなことを考えたのでしょう。あくまでもファッション・リーダーであろうとした彼女が、他の女性たちがいろいろなデザインを競うのを面白く思わなかったからでしょうか。 いずれにしても、たたんでポケットに入れるには、正方形が一番便利な気がします。私もハンカチはたくさん持っていますが、意外と身近なところに、マリー・アントワネットの「功績」があったのですね。 (註)手元の英和辞典で見て、またフランス人教師にも確認したのですが、人前で鼻をすすること(英・sniff/仏・renifler)はひどく嫌われるそうです。

オシッコ・テロに気をつけて!(Faites attention aux attentats au pipi !)

こんにちは。謎のキャラクター、バゲットです。 去年の12月の初めごろでしたが、都心の某大学で授業を終えて、帰途、永田町で半蔵門線に乗り換えたときのこと。夕方のラッシュアワーで電車は割と混んでいたにもかかわらず、どういうわけか優先席の6席が空いていました。疲れていたので「これ幸い」とばかりに座ったところ、しばらくしてお尻が冷たくなるのを感じます。あわてて立ち上がってよく見ると、優先席はすべて何かでびっしょりと濡れているのです。家に帰ってジーパンを脱ぎ、臭いを嗅ぐと、明らかに小便臭い。私はウンザリして洗濯し、すぐにお風呂に入ったのでした。 このように、公共交通機関の座席を小便でビショビショにし、気づかずに座った乗客のズボンを汚してしまう。これはもう一種の無差別テロ(attentat aveugle)と言っても過言ではないでしょう!あの小便の量から考えて、単独犯ではありえません。思想背景等は不明ですが(てか、もしも「思想背景」があったら、それはそれで面白いかもしれませんがw)、おそらく日本政府もしくは東京都庁(=東京メトロの株主)に敵意を持つどこかのテロリスト集団が、地下鉄の乗客を標的にテロ攻撃を敢行したのです。「爆弾テロ」を“attentat à la bombe”と言いますから、これはまさに“attentat au pipi(=オシッコ・テロw)”。私は運悪くそれに巻き込まれてしまったということなのでしょう。最近は東京も物騒(?)になったものですね・・・。 ということで、今回は「トイレ」のお話ですw。 ※      ※      ※ さて、フランス語で「トイレ」は“les toilettes”。必ず複数形で用いて、個人の家で便器が一つしかなくても複数です。「汚い」「恥ずかしい」というイメージがあるので、意味をぼかすため複数にする「婉曲表現」だと聞いたことがありますが、今回改めて調べてみると諸説あるようで、なぜ複数にするのか正確なことはわかりませんでした。なお、単数形で、たとえば“faire sa toilette”と言うと、「お化粧をする、身支度をする(←男性にも使います、ネコが顔を洗うときにも使いますw)」という意味になるので、気をつけてください。 「ちょっとトイレに行ってくる」は“Je vais aux toilettes”、あるいは近接未来にして“Je vais aller aux toilettes”。遠回しに「手を洗う」と言うこともできて、それだと“Je vais me laver les mains(=手を洗ってくるよ)”です。友人の家でお手洗いを借りたいときは、“Je peux (aller) me laver les mains ?(=手を洗ってきてもいいかい)”と言えばいい。もちろんもっと直接的に、“Est-ce que je peux utiliser les toilettes ?(=トイレを使ってもいいかい)”と言うこともできます。 他にも同じ意味の表現はたくさんあって、たとえば“faire pipi(=おしっこをする)”は、「幼児語」。“faire ses besoins(=必要なことをする)”は、日本語の「用を足す」と同じ発想なのでしょうが、多くはイヌなど動物に用いて、人間が自分のことでは言わないそうです。 faire pipi:  » (=おしっこをする) また、“se soulager(=スッキリする)”は口語で冗談めかした表現で、ネイティブ二名に聞いてみたところ、二人とも「普通は言わない」とのことでした。 反対に「我慢する」は“se retenir”。これも自分についてはあまり使わないようで、たとえば子供が「オシッコがしたい」と言ったとき、“Retiens-toi(=我慢しなさい)”や“Est-ce que tu peux te retenir ?(=我慢できる?)”のように用います。 ※      ※      ※ 私は若いころ、腎臓結石を患ったことがあって、そのとき担当医から、再発を防ぐため一日に二リットルの水を飲むように勧められました。それ以来ずっと、「水」ではありませんが、緑茶または紅茶を毎日二リットル以上飲むようにしています。幸い結石は一度も再発していません。 それはよいのですが、大量に水分を摂取すると、当然トイレは近くなり、私は毎日、10回以上(15回くらい?)もお手洗いに行っています。特に朝が厳しくて、家を出る前に二~三回行き、さらに駅で行ったり、ときには電車を途中で降りてトイレに行くこともあります。満員電車の中で漏らしてしまい、私自身が「オシッコ・テロリスト」になったりしたら、冗談ではすみませんw。

ノミの市

ノミの市(le marché aux puces)

こんにちは。バゲットです。 「ノミの市」については、かなり若い頃から知っていたように思います。その呼称の由来まで考えたことはありませんでしたが、使いようのないガラクタや不潔な古着なども売っていて、汚いから「ノミの市」と言うのだろうと、漠然と考えていました。 「ノミの市」がフランス語の marché aux puces の翻訳で、その発祥の地がパリであることを知ったのは、大学入学後、フランス語の勉強を始めてからのこと。 以前読んだ、あるエッセイによれば、昔、パリの町は城壁によって取り囲まれていて、ゴミ回収のような行政サービスはなかったため、パリの市民たちは城壁の外に勝手にゴミを捨てていた。一部の人たちは、そうして捨てられたゴミの中から、まだ使えそうなものを拾ってきて、市内に持ち込んで売っていた。それらの中にはノミ(puces)の付いた古着等もたくさんあったため、いつの間にか、「ノミの市(marché aux puces)」と呼ばれるようになった・・・ということでした。 今回、この記事を書くに当たって調べ直してみたのですが、上に書いたことはおおむね正しいようで、ウィキペディア・フランス語ヴァージョンには、「パリのノミの市はその起源を、町の中心部で開かれた中世(!)の市場まで遡る」とか、「ゴミ回収業者たち(récupérateurs)は、その場所(ces lieux=町の中心部)から追い出されて、パリの郊外に(vers l’extérieur de Paris)店を構え、小さな市を形成した」とか、「1635年、リシュリュー(Richelieu)は、新品の取引を推奨するため、首都の内部における回収品の取引を禁止した」とか、出てきます。 パリで最大なのが、サントゥーアン(Saint-Ouen)のノミの市。最寄りの駅名からクリニャンクール(Clignancourt)とも呼ばれます。公式には1885年の設立で、現代では「骨董屋と古物商の世界最大の密集地帯(la plus importante concentration d’antiquaires et de brocanteurs du monde)」になっています。年間500万人が訪れ、フランス人・外国人観光客の他、しばしばセレブリティーを見かけることもあるそうです。モントルーユ(Montreuil)とヴァンヴ(Vanves)を加えて、「三大ノミの市」と言いますが、開くのは終末(+月曜)だけですので、行かれる方は気をつけましょう。 私は、パリは旅行程度でしか滞在したことがないので、ノミの市には行ったことがありません。今度パリを訪れたら、ぜひとも、覗いてみたいと思っています。    ※        ※       ※ さて、「フリーマーケット」という呼称も、私は若い頃から知っていました。しかし私は長い間、それを「自由な(free)市場」だと信じていました。正規の商品ルートから外れたところで、不要になった中古品を、法律による厳しい規制は無しに「自由(free)」に売買しているから、そのように呼ぶのだと思い込んでいたのです。「フリーマーケット」の「フリー」がノミ=fleaだと知ったときは、本当に驚きました。 他愛ない勘違いで間違って覚えていることは、いろいろとあるようです。「自分は何も知らない」という謙虚な気持ちは、持ち続けたいものですね。

スタンダールの写真

フランス文学史上二番目のブオトコ(Le deuxième homme le plus laid de l’histoire de la littérature française)

こんにちは。バゲットです。 私が学部の学生だったとき、19世紀前半のフランス文学史の授業を担当したのは、スタンダール(Stendhal)が専門で「美男子」の誉れ高い(?)先生でした。ジュリアン・ソレル(『赤と黒』)やファブリス・デル・ドンゴ(『パルムの僧院』)など、超絶イケメンヒーローが大活躍するスタンダール文学を、美男が「売り」の先生が研究しているというのも、見方によっては相当にイヤミな話wですが、私はその先生が割と好きで、講義には熱心に出席していました。 で、まさにそのスタンダールがテーマの回、先生はこの作家についてこう言ったのです、「フランス文学史上一のブオトコ」と。 スタンダールが醜かったというのは有名な話で、当時の私も知ってはいましたが、まさか「フランス文学史上一」と言われるほどの真性ブサメン(?)だとは思っていなかったので、ひどく驚きました。 先生の話では「40歳を過ぎても顔中ニキビだらけ、身長170センチで体重は90キロ、市販のイスには座れなくて、特別注文でイスを作っていた」そうです。肖像画では、そうは見えないのですが(↓)・・・。 スタンダール まあ、「肖像画」ですから、画家もお客の機嫌を取るために、実物よりずっとマシに描いたのでしょう。でも、太っていたのは事実のようですね。 ※      ※      ※ さて、男性作家によって書かれた名作文学で、スタンダールの小説のように、超絶美男の主人公が美女にモテまくるというお話も、考えてみれば珍しいように思います。 たとえば『赤と黒』の主人公ジュリアン・ソレル(Julien Sorel)は、「美貌の野心家」(←三島由紀夫の言葉)。町長の子供の家庭教師になって、まずエリザという小間使いの女の子に思いを寄せられて、はねつけて泣かせてしまい、雇い主の妻・レナール夫人を誘惑することに成功するのですが、今度はエリザが腹いせにその不倫をバラしてしまって、ジュリアンは町長が撃つ銃弾の中を逃げて、パリにたどり着く。コネを使ってフランスを代表する大貴族ラ・モール侯爵の秘書になり、美しき侯爵令嬢マチルドと恋に落ちます。 一方、『パルムの僧院』のファブリス・デル・ドンゴ(Fabrice del Dongo)は絶世の美男。美人女優との恋を巡って殺人事件に巻き込まれ、投獄されたら今度は監獄長の娘、美貌のクレリア・コンチと愛し合う。叔母で「大胆不敵な美女」(←これも三島由紀夫)サンセヴェリーナ公爵夫人は、身内の情を越えた愛情でファブリスを愛し、クレリアと共謀して彼を脱獄させる・・・。 スタンダールのお墓には、ラテン語で「書いた、恋した、生きた」と刻まれているそうです。実際、彼は「常に恋をしていた」そうですが、上記のように真性ブサメンですから、失恋してばかり。仏文学者の桑原武夫さん(京都大学教授)は、「ブオトコだったスタンダールが、『もしも自分が美男だったら』と想像して、『赤と黒』や『パルムの僧院』を書いた」と言っていました。やはりスタンダールは、美男子が羨ましくて羨ましくて、しようが無くて、「自分もイケメンだったらなあ・・・」と思いながら、小説を書いていたのでしょうか。笑えるような、悲しいような、ちょっと微妙な話です・・・。 ※      ※      ※ さて、今回のタイトルですが、あえて「フランス文学史上二番目のブオトコ」にしました。では、「フランス文学史上ナンバーワンのブオトコ」は、一体誰なのでしょう。それについては、近日中に書くつもりです。

マダム・コンとムッシュー・コン

マダム・コンとムッシュー・コン (ユーモア)

こんにちは。バゲットです。 皆さま、下の写真、緑のトランクスの選手をご存知ですか。 写真ではボディをまともに殴られていますがw、(元)世界ウエルター級チャンピオン、ホルヘ・バカ(Jorge Vaca)選手です。 ウエルター級のリミットは67キロ弱ですから、日本人でも世界ランキングに名を連ねる強豪は、何人かいるはずです。しかし、バカ選手は、来日して日本人の選手と試合をしたことはありません。まあ、名前が名前ですから、日本のプロモーターから声が掛かることはなかったのでしょう。 では、皆さま、下の美女はご存知ですか。 アテネ、北京とオリンピック2大会連続の金メダリスト(水泳・高飛び込み)、グオ・チンチン(郭晶晶)選手です。 美貌と実力を兼ね備えたアスリートとして、中国では絶大な人気を誇ったということですが、日本のテレビに出演したことはあるのでしょうか。 この方も、名前が名前だけに、日本でCM等に出るのは難しかったように思います。 ※      ※      ※ さて、日本人でも、フランス語にすると相当にヤバイ名前を持った方がいます。 例えば、この方(↓)です。 こちらの(↓)方が、分かりやすいでしょうか。 50年近く前、一世を風靡した「ピンキーとキラーズ」のヴォーカル・今陽子(こんようこ)さんです。フランスではMadame Con(註)になっちゃいます。 さらに、もう亡くなって40年になりますが、こんな方(↓)もいました。 直木賞作家で参議院議員、今東光(こんとうこう)さんです。こちらはMonsieur Conになっちゃいます。 もっとも、こうした問題については、あまり他人のことは言わない方がいいかもしれません。私の名前だって、どこかの国の言葉では、とんでもない意味になるのかもしれませんから。 註・フランス語を全然知らない方のために書いておきますが、フランス語でcon は、①バカ、間抜け、②女性器を指す俗語、です。

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