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2020の予約システムアップデート(生徒さんへ)

2019/12/09   -未分類

https://www.supersaas.jp/schedule/francais-takadanobaba/lesson

靴下の中のモラル(la morale/le moral dans les chaussettes)

2019/11/25   -blog

こんにちは。謎のキャラクター、バゲットです。 いきなり高度にプライベートな話で申し訳ありませんが、私の生涯で今年の夏ほど、自分の足の臭さ(!)を強烈に感じたことはありませんでした。 私は今年の夏休み、ほとんど家にこもって論文を書いていました。キーボードに向かって、順調に進んでいるときはよいのです。ところが疲れてきたり行き詰ったりして、一休みしようと、パソコンに背を向けてスリッパを脱ぐと、裸足の足のつま先あたりから、強烈な臭いがむわ~と放たれて、私の鼻をつく。あまりに臭いので、一日に三回、足を洗い、スリッパも洗ったり交換したりするのですが、それでもしばらくすると、私の足は再び猛烈な悪臭を放ち始めるのです。 そんなある日のこと、ネットで、「特急電車の中で靴を脱いで、臭い足を投げ出す人がいて迷惑だ」という趣旨の記事を読みました。私も著者の意見に大いに賛同し、「真夏に公共の場所で靴を脱いで、超絶臭い足を他人の前にさらすなんて、人間として最低限のモラル(la morale)も持っていないwと思われても、仕方ないよなぁ・・・」と考えた次第なのでした。 ※      ※      ※ さて、以前も書いたことがありますが、フランス語で「ラ・モラル(la morale)」と言えば「道徳」「倫理」。しかし、同じ語でも男性形で「ル・モラル(le moral)」と言うと、「気力」「士気」を意味します。 動詞“avoir”とともに用いて、“Elle a le moral”は、「彼女は気力が充実している、やる気満々だ」。“Elle a bon moral(よい気力)”や“Elle a le moral élevé(高い士気)”でも同様です。 反対に“Il n’a pas le moral”、“Il a mauvais moral(悪い士気)”、あるいは“Il a le moral bas/à zéro/à plat(低い/ゼロの/ぺしゃんこの士気)”と言えば、「彼は気力を失っている、落胆している」という意味。ネイティブに確認しましたが、「強い精神的ショックを受ける」ことは必須ではなく、たとえば会社でつまらない仕事ばかりやらされて、「こんな仕事、やる気にならない」といった場合でも使えるそうです。あるいはネットで調べてみると、「一人も友達がいなくて、朝から雨が降っていて、気分がふさぐ」みたいなケースもOK。 “avoir le moral dans les chaussettes(靴下の中にモラルを持つ)” 面白いと思ったのは、“avoir le moral dans les chaussettes(靴下の中にモラルを持つ)”という言い方。“la morale(倫理)”じゃなくて“le moral(気力)”ですから、足の臭さwは関係ありません。気力の度合いを身体の中の垂直線に対応させると、一番下に来るのが「足」。ですから、“J’ai le moral dans les chaussettes(私は靴下の中に気力を持っている)”は、「私は全くやる気がない/意気消沈している」という意味ですね。 ※      ※      ※ 考えてみれば、私も若いころは、大した理由もなくひどく落ち込むことがありました。学部の学生だったとき、一年に一度か二度なのですが、朝、目が覚めて、特にこれといった原因もないのに何もする気にならず、何もかも面倒になって、人生そのものも面倒になって、ほとんど鬱病みたいになって、夕方まで布団の中でウダウダしていて、夜になってお腹がすいて、何か食べようと思ってようやく起き出す・・・というようなことがありました。 ところが20代半ばになると、そうしたことはバッタリとなくなりました。バカな話ですが、今になってみると、何となく懐かしいような気もします。

半過去の語尾活用の書き方

半分の過去(l’imparfait)?

2019/11/09   -blog, grammaire

半過去の語尾活用

トマトのように赤い(rouge comme une tomate)

2019/10/29   -blog

こんにちは。バゲットです。 私が子供のころ、千葉の農村地帯では三世代、四世代が同居するのが当然で、私も幼年時代は曾祖母・曾祖父に子守をされて育ちました。保育園に通うようになったのは、5歳の四月。小学校に入学する一年前です。 保育園は私の家からは2キロ以上も離れた大きめの集落にあって、その周辺に住んでいる子供たちはお互いに知り合いで友達も多かったのに対し、私には「友達」と呼べるような者は一人もおらず、入園当初はいつも寂しい思いをしていました。 まだ四月だったかもう五月に入っていたのか、強い雨が降ったある日、私は母が買ってくれた水色の雨ガッパを来て、保育園に行きました。園に着いてカッパを脱ぐと、皆が私を見て大笑いする。最初、なぜ笑われているのかわからなかったのですが、下を見ると、私はカッパと一緒にズボンまでも脱いでいたのです。自分で自分の顔が赤くなるのが、はっきりとわかりました。「恥ずかしい」という感情を生まれて初めて感じたのは、あのときだったように思います。     ※      ※      ※    さて、フランス語には、「トマトのように赤い(rouge comme une tomate)」という言い回しがあります。恥ずかしさや怒りで顔が赤くなったとき、たとえば、“Elle est devenue rouge comme une tomate(=彼女はトマトのように赤くなった)”のように用います。 トマトのように赤い 「トマト」の他にも「雄鳥(un coq)のように」「サクランボ(une cerise)のように」「ヒナゲシ(un coquelicot)のように」「シャクヤク(une pivoine)のように」「ザリガニ(une écrevisse)のように」「ロブスター(un homard)のように」もあるそうです。 形容する対象が男性か女性かによって、また赤くなる理由が怒りなのか恥ずかしさなのかによって、使い分けが必要になるでしょう。私のような中年男が恥ずかしさで顔を赤らめるとしても、「ヒナゲシのように」とは言わないww、ということです。 ですから、たとえば「彼は激怒した」は、“Il est devenu rouge comme un coq(=雄鳥のように)”で、若い女性について「彼女は頬を赤らめた」なら、“Elle est devenue rouge comme une cerise(=サクランボのように)”ですね。 ※      ※      ※ さて、話は飛びますが、トマトの原産がアメリカ大陸であることは、ご存知の方も多いでしょう。メキシコで栽培されていたのを、16世紀にスペイン人の征服者たちがヨーロッパに持ち帰ったのです。最初は観賞用で、その後イタリアや南フランスで食用にされていたのですが、フランス革命の際に南仏から人々が大挙パリに押し寄せて、その結果フランス全土に普及したそうです。 そんなトマトは、今やフランス料理には欠かせない食材の一つ。ニース風サラダ(salade niçoise)等のサラダにも用いますし、ラタトゥイユ(ratatouille)の材料としても不可欠ですし、またケチャップやソースを作るのにも必要です。 ジャガイモ(pomme de terre)もアメリカ大陸が原産ですが、やはりフランス料理では重要な食材です。他方、人気料理のクスクス(couscous)は北アフリカが起源で、第一次世界大戦中に工場労働者が大量に不足して、当時植民地だったアルジェリアから多くの人々を呼び寄せたことで、フランス本土に広まったものです。 そのように考えると、世界に誇るフランス料理も、決してフランス一国だけで確立されたものではないことがわかります。「正統派」と言われるフランス料理も、ちょっと歴史を遡れば、他国や他地域との交流によって生まれた「バイブリッド(hybride=雑種)」だったのですね

青髯

ジル・ド・レ、あるいは青い髯(Gilles de Rais ou la Barbe bleue)

2019/10/11   -blog

こんにちは。バゲットです。 前々回はジャンヌ・ダルク(Jeanne d’Arc)について書きましたが、彼女の周辺、と言うか当時の宮廷では、相当にクセのある人物たちが暗躍していたようです。まず国王シャルル7世のお后の母で、権勢の限りを尽くすヨランド・ダラゴン(Yolande d’Aragon)。王室侍従長として策謀を巡らし、私腹を肥やすラ・トレモイユ(Georges de la Trémoille←カトリーヌ・ド・メディシスの高祖父!)。その宿敵で敬虔なキリスト教徒、「正義の人(Le Justicier)」アルチュール・ド・リッシュモン(Arthur de Richemont)。 そして、今回紹介したいのが、神をも恐れず悪のかぎりを尽くした男、ジル・ド・レ(Gilles de Rais)です(↓)。 ジル・ド・レ(Gilles de Rais) ジルは1403年頃、ロワール渓谷周辺に広大な所領を持つ大貴族の家に生まれます。11歳のときに両親を相次いでなくし、その後は強欲で悪名高い祖父に育てられますが、長じて軍人になると、遠縁のラ・トレモイユに引き立てられて宮廷に入ります。1429年、26歳のときに、当時17歳のジャンヌ・ダルクと出会い、彼女に伴って軍を進めてオルレアンを解放。その後も彼はジャンヌと行動を共にし、フランス本土からイギリス軍を駆逐することに貢献します。 ジャンヌが処刑されたころから宮廷を離れて、ほとんど所領に閉じこもってしまいますが、凄まじいのはそれから。湯水のようにお金を使って享楽にふけり、錬金術や黒魔術にまで耽溺する。さらには領内の何百人もの美少年を居城に召し抱え、あるいは単に誘拐して、性的快楽の対象として陵辱し、虐殺する。1440年に聖職者とのトラブルが元で逮捕され、裁判の結果、絞首刑、死体が火刑になっています。37歳、ジャンヌの火刑から9年後のことでした。 このようにジルは理不尽な殺戮を繰り返したため、シャルル・ペローの童話「青髯(la Barbe bleue)」のモデルになったとも言われます。もっともジルの容姿に関しては史料が全く無いそうで(註・上の肖像画は1835年)、本当に青々とした髭を湛えていたのかどうかはわかりません。彼はまたマンガやゲームにも、悪魔的なキャラクターとして登場するようです(↓)。 マンガやゲームのジルの容姿 なぜジルは、上記のように、ほとんど「狂気」とも言えるような悪行に走ったのでしょうか。小説家たちは、その原因をジャンヌの処刑に求めています。 たとえば、ミッシェル・トゥルニエ(Michel Tournier)の小説『聖女ジャンヌと悪魔ジル(Gilles et Jeanne)』では、ジルはジャンヌを「聖女」として崇拝しており、彼女が火刑になったことで絶望して、狂乱。外見がほとんど男の子のようだったジャンヌ(←いつも男装していた)のイメージを追い求めて、美少年たちを陵辱し続けるのです。 また、藤本ひとみさんの『ジャンヌ・ダルク暗殺』(文庫本タイトルは『聖女ジャンヌと娼婦ジャンヌ』)でも、ジルはジャンヌに対し友情と崇拝が交錯する奇妙な感情を抱いていて、彼女の処刑後に「復讐」を誓います。「神のいないこの世で、思うまま悪を行ってやる、それが復讐だ」と。 しかし調べてみると、歴史上ジルとジャンヌの実際の関係がどのようなものだったのかは、よくわかっていないようです。ジルはラ・トレモイユの指示でジャンヌを監視していたのか、絶対的な忠誠と献身があったのか、それともほとんど無関心だったのか。 ジャンヌ・ダルクとジル・ド・レについては、日本語で読める文献もたくさんあります。興味のある方は調べてみたらいかがでしょう。

ジャンヌ・ダルク、あるいは美少女戦士(Jeanne d’Arc ou une jolie guerrière)

2019/09/21   -blog

こんにちは。バゲットです。 「リボンの騎士」、「風の谷のナウシカ」、「セーラー・ムーン」、「綾波レイ/惣流・アスカ・ラングレー(←新世紀エヴァンゲリオン)」「あずみ」・・・。最近のものは知らないのですが、日本の大衆文化のシーンは、何十年も昔から、闘う美少女=「美少女戦士」のイメージであふれています。これは世界的に見るとかなり特殊なことのようで、欧米では「チャーリーズ・エンジェル」や「ボンドガール」のように、成熟した大人の女性が戦うという設定の映画やテレビドラマは古くから存在しましたが、「無垢」で「可憐」な「女の子」が戦うという設定のものは、少なくても最近までは無かったそうです。 しかし、そうは言っても、「美少女戦士」をその起源まで遡るとすれば、つまり元祖「美少女戦士」といえば、フランス史上実在したこの人(↓)以外にありえません。 美少女戦士 フランス中世史のスーパー・アイドル(!)、「オルレアンの乙女(la Pucelle d’Orléans)」(←キャッチフレーズw)、ジャンヌ・ダルク(Jeanne d’Arc)です。彼女については、以前からこのブログに書きたいと思っていたのですが、あまりに有名すぎて何を書いたらよいのかわからず、ついつい後回しになっていました。で、とうとう腹をくくって、今回、調べてみた次第です。 ※      ※      ※ ウィキペディア・フランス語ヴァージョン(https://fr.wikipedia.org/wiki/Jeanne_d%27Arc)によれば、ジャンヌ・ダルクが生まれたのは1412年ごろ。日本では室町時代で、応仁の乱が1467年ですから、それより50年以上も昔です。場所はフランス北東部、ナンシーの南西50キロほどの小さな町ドンレミで、生家は裕福な農家だとのこと。 当時は英仏百年戦争(Guerre de Cent Ans/1337-1453)の真っ只中です。国王シャルル6世は長期にわたって精神病で苦しみ、執政不能のままに死去。王太子シャルルは戴冠できず、フランスは国土の半分近くを占領されて存亡の危機に瀕していました。そんな中、13歳(別のサイトでは12歳)のジャンヌが家の庭に一人でいると、どこからか「声(la voix)」が聞こえます。最初は怖く思いましたが、後になると、語りかけているのは大天使ミカエル(L’archange Michel)、聖カタリーナ(sainte Catherine)と聖マルガリータ(sainte Marguerite)であることがわかります。彼らはジャンヌに語ります、「敬虔であれ」と、そして「フランス王国を侵略者から解放し、王太子を玉座へと導け」と。 その後、17歳で王太子に面会し、軍を与えられてからのことは、超有名で誰もが知るところ。まず、ロワール川沿いの要衝の都市オルレアンに赴き、敵軍の11もの砦で包囲されていたこの都市を解放します。それが1429年5月8日。その後もジャンヌの軍は連戦連勝で、7月17日、王太子シャルルは、とうとうランスの大聖堂で戴冠します。9月のパリ包囲戦では攻略に失敗、その後も大きな軍功はないようで、翌30年5月23日のコンピエーニュの戦いで、ジャンヌは敵方の捕虜になってしまいます。そしてイングランド側に引き渡されて、1431年5月30日、火刑台上で生涯を閉じました・・・。 ※      ※      ※ このように数奇な運命を生きたため、ジャンヌ・ダルクは多くの小説、戯曲、映画、はたまたマンガやゲームの主題になっています。そのほとんどで「美少女」として描かれているようですが、その美貌や性格のタイプには、大きなヴァリエーションがあるようです。いろいろと比較してみたら、面白いかもしれませんね。

幽霊は怖い?(

幽霊は怖い?(Tu as peur des fantômes ?)

2019/09/17   -blog

こんにちは。バゲットです。 何度か書いたように、私の実家は集落から少し離れた奥まったところにあって、隣の家まで100メートル、その隣の家まではさらに100メートルほど離れています。家の正面は庭と農道を隔てて柿と栗の畑で、その向こうの山の麓に先祖代々のお墓があります。田舎なので当然、街灯などはなく、日が暮れればあたりは真っ暗。まさに幽霊が出るのにうってつけの(?)環境です。すごく臆病な子供だった私は、暗くなってからお墓に近づいたことは一度もありません。 幽霊やお化けのことはとても幼いころから知っていたように思います。すごく、すごく怖がっていたのですが、でも、どのようにして知ったのか全く覚えていないのです。テレビで見たのでしょうか。迷信深い曾祖父か祖母にでも聞いたのでしょうか、「日が暮れたらお墓に行っちゃダメだよ、お化けが出るからね」と。それとも夕方、遅くまで外で遊んでいたとき、母か、あるいは私の子守をしてくれた曾祖母に、「早く家に入らないと、お化けが出て、連れて行かれちゃうよ」とでも脅されたのでしょうか・・・。 ということで、今回のテーマは「幽霊」です。 ※      ※      ※ 「日本の幽霊には足がないけど、ヨーロッパの幽霊には足がある」。具体的に「どこで聞いたの?」と質問されても困るのですが、いろいろなところでよく聞くように思います。そこで、なぜ日本の幽霊に足がないのか調べてみると、諸説あるようですが、有力なのは、江戸時代の画家・円山応挙(まるやまおうきょ)の描いた足のない幽霊の絵。その絵がとても有名になって、一般に幽霊には足がないと信じられるようになった、という説です。 最近では幽霊の世界でもグローバル化が進んでいるようで、フランスにも「足のない幽霊」の画像(↓)がありました。 幽霊 さて、フランス語で「幽霊」は“fantôme”。今回は「ウィキペディア」のフランス語ヴァージョンで調べてみると(https://fr.wikipedia.org/wiki/Fantôme)、「幽霊とは一つの出現、幻視あるいは幻覚であって、それは死去した人物の超自然的な顕現と解釈されている」とあります。日本の「幽霊」と同じですね。 “spectre”という語もあって、こちらは「死者の恐ろしい出現(apparition effrayante d’un mort)」。つまり、「怖い」幽霊です。 さらに“revenant”という語もありますが、これは“revenir(帰る)”という動詞の現在分詞からできた語で、「あの世から回帰すると想定される、死者の霊魂」です。 で、外見は千差万別のようですが、一番多いのはこんな(↓)感じ。「おばけのQ太郎」みたいですね おばけのQ太郎 白い布をまとっているのは、お葬式のとき死体を白い布で包むからだそうです。あと、この(↓)ヴァージョンもポピュラーらしい。 ゲゲゲの鬼太郎 「魂」のイメージでしょうか。昔「ゲゲゲの鬼太郎」に出てきた「死者の魂」は、こんな風でした。 ※      ※      ※ この原稿を書いていて、突然気づいたのですが、人類の誕生以来、今までに何百億人もの人が死んでいます。ところが、幽霊として化けて出る人って、比較的最近に死んだ人ばかりじゃないですか!!古くても平将門(940年没)ぐらいで、縄文時代に死んだ人の幽霊wとか、ネアンデルタール人(←「人類」じゃないけど)の幽霊wwなんて、聞いたことがありません。一体、どうしてなのでしょう??? それとも、単に私が知らないだけで、中国には北京原人の幽霊(!)が出る心霊スポットとかがあるのでしょうか。どなたかご存知の方がいらしたら、ぜひぜひ教えてくださいませ。

せいぼひしょうてん/l’Assomption de Marie)の日なのでした

終戦と聖母被昇天祭(la fin de la guerre et l’Assomption de Marie)

2019/08/30   -blog

こんにちは。バゲットです。 皆さま、お盆休みはどのように過ごされたのでしょうか。私は例年通り、千葉の実家に帰ってお墓参りをし、母や弟とおしゃべりをしたり家の近所を散歩したりして、数日ですがのんびりと過ごしました。 散歩の一環で、幼いころに通った小学校に数十年ぶりに行ってみると、校庭の隅に日清、日露、アジア・太平洋戦争の「戦没者の碑」が建っていました。「村」から出征して戦死した人たちの氏名と享年が刻まれた石碑です。140名ほどの名前があって、多くは20代前半。18歳、19歳で亡くなった人もいて、女性もいます。その数の多さと若さとに、哀れみと悲しさとやり切れなさが混じった、何とも言えない気分になりました。 さて、言うまでもなく、日本では8月15日がアジア・太平洋戦争の終戦記念日です。この日は、昭和天皇が玉音放送で国民に終戦を告知した日ですから、日本との間に大きな戦闘のなかったヨーロッパ諸国では終戦の日にはなりません。フランスでの「第二次大戦戦勝記念日(Victoire du 5 mai 1945)」は、ナチス・ドイツが降伏した5月8日で、「国民の祝日(fête nationale)」の一つです。 ところが意外なことに、フランスでは8月15日もまた「祝日」です。この日はフランスを始めとするカトリック諸国では、「聖母被昇天(せいぼひしょうてん/l’Assomption de Marie)」の日なのでした。 聖母被昇天 以前にも書きましたが、フランスは古くから「ヴァチカンの長女(la fille aînée de l’Église)」と言われ、世俗化された現代でも国民の60%以上がカトリック教徒です。そのため年間11日ある「国民の祝日」のうち、6日がキリスト教関係の日になっています。その一つ「聖母被昇天祭」は、その名のとおり、聖母マリアが天に召された日。 聖母マリアの像を掲げた宗教行列 その日、フランスのみならずベルギー、スペイン、イタリア等の各都市では、聖母マリアの像を掲げた宗教行列が行われます。上の写真でも左にマリアの像が写っていますね。行列が終わった後は、花火を上げる等のお祭りがあるそうです。 パリでは、前日14日の夜、セーヌ川にいくつもの船を浮かべて行列を行います。参加者(pèlerins=巡礼者)たちは手にロウソクを持って、祈りの言葉を唱えます。      ※      ※ この件について調べていて偶然に知ったのですが、カトリックではマリアは「原罪」を免れているそうで、しかもそれはイエスを身ごもったときに免れたのではなく、母アンナの胎内に宿ったときからそうだったということです。それが12月8日の出来事。なんと、真珠湾攻撃の日じゃないですか! つまり、日米の太平洋戦争はマリアの「無原罪の御宿り(むげんざいのおんやどり/Immaculée conception)」の日に始まり、「聖母被昇天」の日に終わったのです!! 日本側は国家神道を掲げて戦ったわけですから、そうなると、これはもう「神々の戦い」と言ってもよい。で、現人神であるヒロヒトが聖母マリアに負けたわけ。何となく、もともと格が違いすぎて、勝ち目がなさそうな気もしますがw。 てか、聖母崇敬はカトリックの教義だから、プロテスタントが主流のアメリカとは関係ないかも知れないけどww。

海を飲む(boire la mer)

2019/08/18   -blog

こんにちは。バゲットです。 この記事に着手した日(7月29日)、関東地方でも梅雨が明けました。アップされるころには、夏休みを取って海や山に出かけている方も多いでしょう。 私は房総半島の山の中で育ちましたから、家の近くに海はありませんでした。生まれて初めて間近に海を見たときのことは、今でも微かに覚えています。すごく幼いころ、家族で外房に旅行に行って、鴨川の港を訪れたのです。遠くは真っ青で、でも足元の水は透明で、小さな船がたくさん係留されていました。 生まれて初めて海水浴に行ったときのことも、何となく覚えています。叔父が運転する車で、母と弟と私とで内房の海岸に行きました。幼い弟は波打ち際でバシャバシャするだけで、私は叔父に手を引かれて海の中を歩きました。波が顔にかかって海水が口に入り、飲み込んだら塩っぱくて気持ち悪くて、全然、楽しくありませんでした。      ※      ※ さて、フランス語に、“Ce n’est pas la mer à boire”という表現があります。英語に直訳すれば“That isn’t the sea to drink”、「海を飲み干すわけじゃないよ」という意味です。いつものように「ウィクショネール(https://fr.wiktionary.org/wiki/ce_n’est_pas_la_mer_à_boire)」」で調べてみると、“Ce n’est pas difficile(それは難しくない)”、“Ce n’est pas si contraignant(それはそれほど面倒ではない)”と出てきます。念のために別のサイトも調べてみると、“Ce n’est pas impossible(それは不可能ではない)”とあります。「海を飲み干すことは不可能だけど、別にそうしろと言ってるわけじゃないよ」ということですね。 海 具体的にどんなケースで使うのでしょう。たとえば、教師が学生に課題を出して、何人かの学生が「そんなの無理ですよ~」と文句を言ったとき、教師は“Ce n’est pas la mer à boire”=「海を飲むわけじゃないですよ(=出来ないことはないでしょう)」と答えればよい。同様に、上司が部下に仕事を命じるときにも使えますね。 親が子供に言うこともあるようです。いつも部屋を散らかしている子供に、母親が「片づけなさい、何度言ったらわかるの、“Ce n’est pas la mer à boire”=海を飲めって言ってるわけじゃないのよ(=そのくらいのこと、難しくはないでしょう)」と。 あるいは、尻込みしている友人を応援するときや、他人に何かを勧めたいときにも使えます。たとえば、あなたの友達はフランス料理が好きで、フランス語会話を習おうかと考えている。でも、勉強はあまり得意ではなくて、「ボク/アタシには無理かなぁ・・・」と迷っています。そんなときは、「“Vas-y ! Ce n’est pas la mer à boire”=やってみればいいじゃん、海を飲むわけじゃないし」と言って、励ましてあげましょう。      ※      ※ さて、近場の海水浴場は実家から車で一時間もかからなかったので、小学生のころ、私は毎年のように海水浴に行っていました。でも考えてみれば、それほど楽しかったような記憶はありません。真っ赤に日焼けしてヒリヒリ痛いし、ほとんど毎回、海の水を飲んで気持ち悪いし、一体なぜ、人間は海水浴になんか行きたがるのでしょう。 詳述はしませんが、サルトル(Jean-Paul Sartre)の『存在と無』(L’Être et le Néant)に、ヒントになりそうな箇所がありました(←実話)。ちょっと読み返してみましょうか。海水浴に行ってダブダブの身体を人目にさらすよりw、私にはそっちの方がずっと似合っているように思います。

イヌのように(comme un chien)

2019/08/05   -blog

こんにちは。バゲットです。 一ヶ月ほど前に書いた“avoir d’autres chats à fouetter(他に鞭打たなければならないネコがいる=他にもっと重要な仕事がある)”を始めとして、“donner sa langue au chat(自分の舌をネコにあげる=[クイズなどで]降参する)”、“avoir un chat dans la gorge(喉にネコがいる=声がしわがれる)”等々、当ブログでは、これまで「ネコ」を用いた慣用句をいくつか紹介してきました。 他方で、「イヌ」を含む言い回しはまだ一つも扱っていません。そこで今回は、「イヌ」を用いた表現について書きましょう。 まず、すぐに思いつくのが“comme un chien(イヌのように)”。いろいろなところで見たり聞いたりするように感じていたのですが、ネットでこの表現を検索してみると、動詞や形容詞を伴った形はヒットするものの、この言い回し単独ではほとんど出てきません。手元の『ミクロ・ロベール』でも同様です。広く一般的な意味で使用できるわけではなく、一緒に使える動詞や形容詞が限られているのでしょう。 で、仏和辞典を引いてみると、「(犬のように)ひどく」(『クラウン仏和辞典』)、「ひどく、惨めに」(『プチ・ロワイヤル仏和辞典』)とあって、例文として挙げられているのは、“malade comme un chien(犬のように病気だ=ひどく具合が悪い)”、“traiter/tuer/vivre/mourir comme un chien(犬のように[手ひどく]扱う/[冷酷に]殺す/[孤独で惨めに]生きる/[のたれ]死ぬ)”など。念のためネイティブ何人かに確認してみましたが、たとえば「イヌのように貧乏だ(pauvre)」とか「イヌのように醜い(laid)」とは、普通、言わないそうです。 ご参考までに、ドイツの作家フランツ・カフカ(Franz Kafka)の小説『審判』(Le Procès)の末尾で、ナイフで心臓をえぐられた主人公は、「イヌのようだ」と言いながら死んでいきます。ドイツ語にも同様の言い方があるのでしょう。 イヌのように さて、類似した表現で“de chien(イヌの)”があります。名詞につけて、「ひどい、惨めな、つらい、大変な」を意味する形容詞句です。これも例文を調べてみると、“temps/vie/mal/travail de chien(イヌのようにひどい天気/惨めな暮らし/ひどい痛み/つらい仕事)”等々が見つかります。こちらもネイティブに確認しましたが、修飾できる名詞は限られているようで、たとえば「ボロボロの服」を指して「イヌの服(vêtements)」、「粗末な家」を意味して「イヌの家(maison)」などとは言わないとのことでした。      ※      ※ 千葉の私の実家でネコを二匹飼っていることはここにも書きましたが、それ以前はイヌを二匹飼っていました。 15年ほど前、近くの山の中に捨てられたらしき真っ白な子イヌがやって来て、実家で飼うようになり、放し飼いにしておいたら(←実家は山の中の一軒家なので)一年半ほどで家出してしまって、寂しがった両親がペットショップで白い柴犬を購入したところ、家出したイヌが骨と皮だけになって帰ってきてw、二匹になったのです。 二匹とも家の外で飼っていたので、真冬になると朝には頭から尻尾まで霜が降りていました。詳述はしませんが、一方は大雪の降った翌朝、迷子になって交通事故で、もう一方は病気で、文字通り「イヌのように(comme un chien=可哀想な仕方で)」死んでしまいました。 そんなこともあって、イヌに関連して上記のような否定的な表現が作られたのも、私は何となく納得してしまいます。

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