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苦悶のナシを食べる(avaler des poires d’angoisse)

投稿日:2023年2月2日

 

こんにちは。バゲットです。

 

何度も書いたように、私の実家は千葉の農家です。今でも家の近くの畑には柿、栗、梅その他の果樹があって、母親と弟が栽培し(ほとんど「趣味」の域を出ませんがw)、多少の収入は得ているようです。

私が子供のころは、ほんの数本ですがイチジク(une figue)とビワ(une nèfle du Japon)の木もあって、季節に実をつけると曾祖父が取って、私たち兄弟に食べさせてくれました。とても美味しくて、私はいつも実がつき始めると食べるのを待ち遠しく思っていたものです。一本だけ桃(une pêche)の木もあったのですが、食べた記憶がありません。花だけ咲いて(←これははっきりと覚えています)、実はつけなかったのでしょう。

その後、私が中学生くらいになると、イチジクの木は二本とも枯れてしまいました。ビワの木はその後も残っていましたが、曾祖父が老いると誰も実を取らなくなり、そのうち家の周りに猿の群れが出没するようになって、彼らのエサになってしまいました。

 

さらにナシ(une poire)の木も一本あって、こちらも毎年、実をつけていました。曾祖父や父からは「不味いぞ」と言われていたのですが、一度だけ好奇心で食べてみたことがあります。歯ごたえは間違いなく「ナシ」でしたが、全く甘みがない上に酸っぱくて(←これも鮮明に覚えています)、とても食べられたものではありません。口に含んで何度か噛んで、あまりの不味さに吐き出して、残りは結局捨ててしまいました。あれほど不味い果物を食べたのは、私の生涯であのとき限りです。

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さて、フランス語に“avaler des poires d’angoisse/苦悶のナシを飲み込む”という言い回しがあります。いつものようにネットで検索してみると(avaler des poires d’angoisse — Wiktionnaire (wiktionary.org))、“avoir de grands déplaisirs/非常に不愉快である”、“éprouver quelque mortification sensible/何らかの著しい屈辱を味わう”とあります。

 

要するに「酷い目に遭う」とか「大変苦しい状況を経験する」という意味ですね。中世の時代、拷問にかけられた人が叫び声を発するのを妨げるため、バネのついたナシ形の器具(=猿ぐつわ)を口に押し込んだそうで、そのことからこの表現が生まれたとのことです。

 

avaler des poires d’angoisse

継続的なイジメにあったとか、失業したとか、離婚したとか、大きな病気をしたとかいったケースで、“J’ai avalé des poires d’angoisse/オレは苦悶のナシを食ったよ”、あるいは“Il m’a fait avaler des poires d’angoisse/アイツはオレに苦悶のナシを食わせた(=アイツのせいで酷い目にあったよ)”のように言うことができるでしょう。さらに、誇張して言うことも考えれば、試験に失敗したとか、失恋したとか、その他いろいろな状況で使えそうな気がします。

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考えてみれば、ナシにせよミカン(une mandarine)にせよリンゴ(une pomme)にせよ、私たちが現在食べているフルーツはすべて、味や大きさや収穫量など、いろいろな視点から品種改良を重ねた末に人工的に生み出されたものです。では、品種改良される以前の「野生種」は、一体どんな味をしていたのでしょう。原始時代の人たちが食べていたミカンやリンゴ(←日本の縄文時代にもあったのでしょうか?)は、ひょっとしたら凄く不味かったかもしれません。もしもどこかの山の中にそのようなものが残っていたら、是非とも食べてみたい気もします。まあ、子供のころの私のように、一口かじっただけで吐き出してしまうかもしれませんがw。

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