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ジャンヌ・ダルク、あるいは美少女戦士(Jeanne d’Arc ou une jolie guerrière)
投稿日:2019年9月21日
こんにちは。バゲットです。
「リボンの騎士」、「風の谷のナウシカ」、「セーラー・ムーン」、「綾波レイ/惣流・アスカ・ラングレー(←新世紀エヴァンゲリオン)」「あずみ」・・・。最近のものは知らないのですが、日本の大衆文化のシーンは、何十年も昔から、闘う美少女=「美少女戦士」のイメージであふれています。これは世界的に見るとかなり特殊なことのようで、欧米では「チャーリーズ・エンジェル」や「ボンドガール」のように、成熟した大人の女性が戦うという設定の映画やテレビドラマは古くから存在しましたが、「無垢」で「可憐」な「女の子」が戦うという設定のものは、少なくても最近までは無かったそうです。
しかし、そうは言っても、「美少女戦士」をその起源まで遡るとすれば、つまり元祖「美少女戦士」といえば、フランス史上実在したこの人(↓)以外にありえません。
フランス中世史のスーパー・アイドル(!)、「オルレアンの乙女(la Pucelle d’Orléans)」(←キャッチフレーズw)、ジャンヌ・ダルク(Jeanne d’Arc)です。彼女については、以前からこのブログに書きたいと思っていたのですが、あまりに有名すぎて何を書いたらよいのかわからず、ついつい後回しになっていました。で、とうとう腹をくくって、今回、調べてみた次第です。
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ウィキペディア・フランス語ヴァージョン(https://fr.wikipedia.org/wiki/Jeanne_d%27Arc)によれば、ジャンヌ・ダルクが生まれたのは1412年ごろ。日本では室町時代で、応仁の乱が1467年ですから、それより50年以上も昔です。場所はフランス北東部、ナンシーの南西50キロほどの小さな町ドンレミで、生家は裕福な農家だとのこと。
当時は英仏百年戦争(Guerre de Cent Ans/1337-1453)の真っ只中です。国王シャルル6世は長期にわたって精神病で苦しみ、執政不能のままに死去。王太子シャルルは戴冠できず、フランスは国土の半分近くを占領されて存亡の危機に瀕していました。そんな中、13歳(別のサイトでは12歳)のジャンヌが家の庭に一人でいると、どこからか「声(la voix)」が聞こえます。最初は怖く思いましたが、後になると、語りかけているのは大天使ミカエル(L’archange Michel)、聖カタリーナ(sainte Catherine)と聖マルガリータ(sainte Marguerite)であることがわかります。彼らはジャンヌに語ります、「敬虔であれ」と、そして「フランス王国を侵略者から解放し、王太子を玉座へと導け」と。
その後、17歳で王太子に面会し、軍を与えられてからのことは、超有名で誰もが知るところ。まず、ロワール川沿いの要衝の都市オルレアンに赴き、敵軍の11もの砦で包囲されていたこの都市を解放します。それが1429年5月8日。その後もジャンヌの軍は連戦連勝で、7月17日、王太子シャルルは、とうとうランスの大聖堂で戴冠します。9月のパリ包囲戦では攻略に失敗、その後も大きな軍功はないようで、翌30年5月23日のコンピエーニュの戦いで、ジャンヌは敵方の捕虜になってしまいます。そしてイングランド側に引き渡されて、1431年5月30日、火刑台上で生涯を閉じました・・・。
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このように数奇な運命を生きたため、ジャンヌ・ダルクは多くの小説、戯曲、映画、はたまたマンガやゲームの主題になっています。そのほとんどで「美少女」として描かれているようですが、その美貌や性格のタイプには、大きなヴァリエーションがあるようです。いろいろと比較してみたら、面白いかもしれませんね。