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イチゴを持ち帰る(ramener sa fraise)
投稿日:2020年7月31日
こんにちは。バゲットです。
前回も書いたように、私が子供のころ、私の家では周囲の畑でいろいろな野菜・果物を栽培していました。野菜は多くが自家消費用で、余った分は近所の家にお裾分けしていました。その代わり、近所からはその家で作っている野菜や鶏卵、あるいはもらい物(親戚が送ってきたリンゴとか)の余りなどをもらっていましたから、今考えてみれば一種の「物物交換」です。
他方で、果物については事情は少し違います。五〜六アールの果樹園(+家の前と後ろの山の斜面)に柿、栗、梅の木がたくさんあって、それらの収穫物は市場で売ってそれなりのお金になっていたようです。また畑でも、いくつかの果物を販売用に栽培していました。私がよく覚えているのは、トウモロコシ(「果物」ではありませんが)とイチゴ。前者は立ったまま収穫できますから、祖父母も手伝っていましたが、イチゴはしゃがんで選別しながら摘むので、かなりの重労働です。そのため、当時はまだ20代だった母親の仕事になっていて、私も母親についてよくイチゴ摘みを手伝ったものでした。もっとも、たいていはテントウムシ(bête à bon Dieu/神さまの虫)などを捕まえて遊んでいたので、ほとんど役には立ちませんでしたが。
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さて、フランス語で「イチゴ/fraise」を用いた表現としてまず思いつくのは、“ramener sa fraise/自分のイチゴを持ち帰る”。
いつものように「ウィクショネール」(https://fr.wiktionary.org/wiki/ramener_sa_fraise)で調べてみると、三つの語義が挙げられています。まず“survenir à l’improviste/不意にやって来る”。次に“venir ; s’approcher/来る、近づく”。どちらの語義も例文を読むと、あまり良い意味ではないようで、「じゃまな人、来て欲しくない人が来る」というニュアンスです。
しかし、この原稿を書くにあたって実際に三人のフランス人に尋ねてみたところ、三人がともにこの表現の意味として挙げたのは第三の語義、“intervenir dans une discussion sans y être invité/招かれもしないのに(他人の)会話に口を出す”です。
別のサイト(http://www.linternaute.fr/expression/langue-francaise/637/ramener-sa-fraise/)でも、「ある人物について、“彼/彼女は自分のイチゴを持ち帰る”と言うは、会話の内容がその人とは関係ないにもかかわらず、あるいは意見を聞かれていないにもかかわらず、その人がしばしば会話に口を出すときである」とある。ここで「イチゴ」とは「顔」のことだそうで、意味は少し違いますが日本語で言う「首を突っ込む」と、発想は似ているかもしれません。
具体的な使い方としては、たとえば、すごくおしゃべりで、いつも他人の会話に割り込んでくる人、皆で話しているときに他人の話を聞かず、会話を独占しようとする人、聞かれてもいないのに、自分の知識をひけらかしてベラベラしゃべる人などについて、“Il ramène toujours sa fraise/彼はいつも自分のイチゴを持ってくるね”のように言うようです。あるいは、プライベートなことを話しているときに第三者が興味を示してきたら、“Ne ramène pas ta fraise/イチゴを持ってこないでよ=キミには関係ないことだよ”と言うこともできますね。
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私の家では母が腰を痛めてしまったこともあって、イチゴを栽培していたのはほんの数年間でした。しかし、母の実家ではかなり長い間作っていて、母は実家に行くとしばしばイチゴを持ち帰っていました。本物のイチゴです。
他方で私の祖母はむやみにおしゃべりで、私の友人たち(←小学生のとき)が家に遊びに来ると必ず話しかけ、どうでもいい質問を、推測を交えながら矢継ぎ早に投げかけるのです。そのため友人の一人は辟易してしまい、「お前の婆さん、ホントにうっとうしいな」などと言っていました。祖母はイチゴの生産には全く携わっていませんでしたが、それでもやはり、彼女は彼女なりの仕方でw、「いつもイチゴを持ち帰っていた/Elle ramenait toujours sa fraise」と言うことができるかもしれませんww。