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ヴァカンスに行こう!(1)

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こんにちは。バゲットです。

勤務先の大学で学期末試験が終わり、テストの採点と成績の提出も完了して、私もようやく夏休み。昨日は久しぶりに、終日、のんびりと過ごしました。
ということで、今回はフランスのヴァカンスについて書きましょう。

フランスの家族海海岸で

昨年の秋のことですが、大学の講師室で、普段はあまり話さないフランス語の先生が私のところに来て、尋ねました、「フランスの有給休暇って、何日ですか」と。
「25日じゃないですか」と答えると、「今使っている教科書に28日と書いてあります」と言う。
そこでネットで検索してみると、25日、30日、35日などと、さまざまな数字が出てきます。
結局、いろいろ調べてわかったのですが、法定の有給休暇は「5週間」。日数ではなく、週で決まっている。「5週間」だから「35日」だし、日曜を除くと「30日」だし、事実上の週休2日を除けば「25日」になる。同僚の先生が言った「28日」は、「夏に4週間(残りの1週間は別の時期に)休暇を取る」という意味でしょう。
さらに、この「5週間」は法定(=最低限)の有給休暇だから、会社や職種によってはもっと多いこともある。特に学校の教師は、生徒と同じだけの休みがある(=日本と違って、夏休み等に出勤の義務はない)そうです。
驚いたのは、病気で欠勤しても、有給休暇の日数が減らないこと。欠勤した分の給料は、健康保険から補填されるとのことです。
もちろん、以上は給与所得者にだけ当てはまる話で、自営業や農家の人は関係ありません。特に(当然ですが)、牛、豚、鶏など、動物を飼育している農家は、なかなか休暇は取れないですね。
※       ※      ※
さて、そのように最低5週間ある有給休暇は、うち3週間(または4週間)を夏に取って、残りを他の時期に取る人が多いようです。
夏休みは7月に取る人と8月に取る人がいて、それぞれjuillettiste(7月派)、aoûtien(8月派)と、名前までついています。
だから7月の末になると、大都市周辺では、ヴァカンスから帰ってくる人たちと出かける人たちが、高速道路上で「すれ違う」ことになる。それを、ダンスでパートナーが位置を交換する動作を意味する、「シャッセ・クロワゼ(chassé-croisé)」という語で呼んでいます。こんな(↓)感じですね。

交通渋滞

(続く)

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頭の内側に髪の毛が生える

頭の内側に髪の毛が生える(avoir les cheveux qui poussent à l’intérieur)

こんにちは。謎のキャラクター、バゲットです。 年末・年始は「忘年会」、「新年会」とお酒を飲む機会が多く、飲み過ぎて悪酔いして嘔吐したり、あるいは翌朝に二日酔いで苦しむ方も多いでしょう。 私も大学に入ったばかりのころはまだお酒の飲み方を知らず、6月の中頃までにクラスや友人たちとのコンパで三回も泥酔して前後不覚になり、内二回は吐いてしまいました。二浪して入学したクラスメートから、「酒の飲み方に少し気をつけろ」と叱られたことを今でも覚えています。 その後、一時は禁酒したこともあるのですが、20代の終わりごろからは毎晩、寝る前にお酒を飲むようになりました。ここ10年ほどは少し血糖値が高いので、もっぱら糖分ゼロのバーボン・ウイスキー。毎日8時半には仕事を切り上げ、フロアスタンドの間接照明以外は全ての明かりを消して、マンションの大きな窓から見る東京の夜景(←すごくキレイです)を背景に、一人でお酒を飲む。私にとって至福のひとときです。 Avoir les cheveux qui poussent a l’interieur フランス語で「二日酔い」を意味する最も一般的な表現は、“la gueule de bois”。直訳すれば「木の口」で、多くは動詞“avoir”とともに用います。「私は二日酔いだ」は、“J’ai la gueule de bois(=私は木の口を持っている)”ですね。 いつものようにウィクショネール(https://fr.wiktionary.org/wiki/gueule_de_bois)で調べてみると、“Malaises matinaux dus à un abus d’alcool(=酒の飲み過ぎに起因する朝の身体的不調)”。まさに「二日酔い」です。語源としては、“avoir la bouche sèche comme du bois après avoir bu trop d’alcool(=お酒を飲み過ぎた後に木のように乾いた口を持つ)”とありますね。 面白いのは「同義語(synonymes)」の項目。たとえば、“avoir la tête dans le cul(=頭が尻にある)”。「今朝、オレの頭は尻についてるよ(Ce matin, j’ai la tête dans le cul)」のように用いるのでしょう。 さらに奇抜なのは、“avoir les cheveux qui poussent à l’intérieur(=[頭の]内側に髪の毛が生えている)”。二日酔いでアタマがガンガンするときは、「昨夜は飲み過ぎた、髪の毛が頭の内側に生えてるみたいだ(J’ai trop bu hier-soir, j’ai les cheveux qui poussent à l’intérieur)」と言えばよいわけです。 ※      ※      ※ 私は体質的にお酒には強いようで、生涯で一度も二日酔いになったことがありません。夜中の2時、3時に目が覚めて激しい頭痛がしたことは何回かありますが、朝起きて頭が痛かったことは一度も無いのです。とは言え、飲み過ぎると風邪を引きやすくなりますし、また年齢のせいか、風邪を引いたときにお酒を飲むと、その風邪が何週間も治りません(←若いころは治ったのですが)。そのため、2年ほど前から、毎晩飲むお酒の量を少し減らすようにしています。 皆さまも飲み過ぎて二日酔いになったり風邪を引いたりしないよう、お気をつけてくださいませ。

桃

桃と魚釣りとどっちが好き?(Qu’est-ce que tu préfères, la pêche ou les pêches ?)

こんにちは。バゲットです。 フランス語に discuter du(/sur le) sexe des anges (=天使の性別について議論する)という表現があります。「どうでもいいことについて、延々と議論する」という意味ですが・・・。 私の古い友人は、日本文学を専攻し、日本の民話を研究しています。先日、久しぶりに会ってお酒を飲んだのですが、彼の話によれば、最近、学会では桃太郎について大論争が繰り広げられているそうなのです。そう、皆さまご存知の、あの桃太郎です。 議論の発端となったのは、昨年秋の「日本桃太郎学会」での若い女性研究者の発表。彼女はそこで、「川上から流れてきた大きな桃(直径1メートルとも言われる)を家に持ち帰ったお婆さんは、まず桃の皮をむいたはずだ、したがって桃太郎は皮をむいた桃から生まれたのだ」と主張したのです。この斬新な指摘は多くの支持者を得る一方で、一部の保守派論客の間に猛烈に反発を生み出します。彼らは反論します、「そんな大きな桃の皮をむくのは大変だ、お婆さんは桃を小さく切り分けてから皮をむくつもりだったに違いない、だから桃太郎は皮をむいていない桃から生まれたのだ」と。 この論争に、ある在野の歴史学者が参戦し、「そのように大きな桃を包丁で切ることは不可能だ、お婆さんは平家の落ち武者の末裔で日本刀を持っていた、それについては確かな史料がある」と言い出します。さらに京〇大学教授で神話学の権威とされる学者が発言し、「お婆さんは日本刀で桃を一刀両断したが、桃の中の桃太郎は不死身なので、かすり傷一つ負わなかった」と自信満々で断定する、等々といった具合に、学者たちは侃々諤々(かんかんがくがく)の議論を続けている・・・。 と、まあ以上は、もちろん真っ赤な(?)ジョークですが、今日のテーマの一つは「桃(une pêche)」なのでした。 話は大きく飛びますが、私は子供のころ、魚釣り(la pêche)が大好きでした。私が育った田舎は、小学校の近くを川が流れており、農業用のダムやため池もあって、海も遠くはなかったので、釣りを楽しむ場所には事欠きません。大人でも子供でも釣りを趣味にしている人はたくさんいて、私も友人たちと自転車で遠出をしたり、あるいは時には父に連れられて、いろいろな所に釣りに行きました。 小学校高学年の一時期は釣りを中心に生活が回っているような状態で、自分ではそこそこの「腕前」だと思っていたのですが、今になって考えてみれば、所詮、子供の遊び。と言うか、友人たちと比べても、下手な方だったかもしれません。 さて、もうお気づきの方もいらっしゃると思います。フランス語では「桃」と「魚釣り」は同じ単語で、しかも共に女性名詞(la pêche)なのです。 もちろん、両者は意味が大きく異なるばかりか、ほとんど「無関係」と言ってもいい単語なので、混同するような文脈はちょっと想像ができません。ただし、「桃」が可算名詞であるのに対し、「魚釣り」は不可算であることには気をつけてください。たとえば、「私は魚釣りが好き」なら、J’aime la pêche と単数形にします。他方「私は桃が好き」だったら、J’aime les pêches と複数形です(aimer =「~が好き」の目的語は数えられないものは単数形、数えられるものなら複数形です)。 そのことから思いついたのが、今回のタイトル(Qu’est-ce que tu préfères, la pêche ou les pêches ?=魚釣りと桃とどっちが好き?)。ナンセンスで、事実上ありえない疑問文ですが、「言葉遊び」だと思って、ご容赦くださいませ。

サンタクロース

サンタクロースって、誰?(Qui est le père Noël ?)

こんにちは。バゲットです。 ここでも何度か書いたように、私は房総半島の山奥の農家の出身で、子供のころ、実家ではクリスマスを祝う習慣はありませんでした。年によってはクリスマスケーキを食べましたが、ツリーを飾ったことや、プレゼントをもらったことは一度もありません。 それでもサンタクロースのことは、かなり幼い頃から知っていたように思います。『オバケのQ太郎』等、マンガで読んだのか、あるいは小学館の『小学〇年生』(学年別の総合雑誌)で読んだのでしょう。当然、私自身はサンタクロースの存在を信じてはいませんでした。しかしネットで、「現代の日本では70%以上の家庭で、子供はサンタクロースの存在を信じている/信じていた」などという記事(↓)を読むと、微かな羨望が混じった不思議な気分に襲われます。http://www.o-uccino.jp/article/archive/trend/20161117-souken/ と言うことで、クリスマスも近いので、今回はサンタクロースについて調べてみました。 ※      ※      ※ 一般にサンタクロースの「起源」とされるのは聖ニコラウス(=ミラのニコラウス)。4世紀頃のトルコ南部のキリスト教の主教で、貧しい人々に施しをしたとか、無実の死刑囚を救ったとか、いろいろな伝説があるようです。フランス語ではサン・ニコラ(Saint Nicolas)と言いますね。それがオランダ語で「シンタクラ-ス」になって、その命日(12月6日)を祝う習慣があったのですが、18世紀半ば頃からオランダ系の移民を介して、アメリカで「サンタクロース」として広まったそうです。 もっとも、私たちが知っているようなサンタクロースのイメージは、聖ニコラウスに還元できるものではありません。ウィキペディア・フランス語ヴァージョンによれば、それは「諸教混合的な構築物(construction syncrétiste)」で、「さまざまな伝統、お話(contes)、伝説、民間伝承の混合の産物」だそうです。つまり、聖ニコラウスの伝説が基礎となって、それにさまざまな伝承が接合して出来たものなのです。 赤と白の服で白髭をたくわえたイメージは20世紀半ばのコカコーラのキャンペーンに由来するとよく言われますが、それは「都市伝説(légende urbaine)」にすぎず、そうしたイメージは19世紀の後半にはすでに広まっていたようです。  ※      ※      ※ さて、サンタクロース伝説は、聖書に由来するキリスト教本家本流の伝説ではなく、キリスト教の一聖人を起源とする「外伝」、あるいは「スピン・オフ伝説」です。フランスを始めヨーロッパでは、サンタクロースの他にも、同様にキリスト教から派生した伝説が数多く存在します。聖杯伝説もそうですし、ジャンヌ・ダルクの物語も、史実に基づくとはいえ、多分に脚色された「伝説」のようなものでしょう。 現代においても、キリスト教の関連事項を題材にした小説や映画はたくさん作られています。世界的ベストセラーになった、ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』もその一つです。日本でも、遠藤周作の『沈黙』(キリスト教文学の傑作とされます)から、永井豪の『デビルマン』や石ノ森章太郎の『サイボーグ009』(それぞれ魔王サタンと天使が登場します)まで、キリスト教の影響を受けた作品は枚挙にいとまがありません。 そのように考えると、キリスト教が、単なる一宗教を越えた巨大な文化現象であることを、改めて感じますね。

オシッコ・テロに気をつけて!(Faites attention aux attentats au pipi !)

こんにちは。謎のキャラクター、バゲットです。 去年の12月の初めごろでしたが、都心の某大学で授業を終えて、帰途、永田町で半蔵門線に乗り換えたときのこと。夕方のラッシュアワーで電車は割と混んでいたにもかかわらず、どういうわけか優先席の6席が空いていました。疲れていたので「これ幸い」とばかりに座ったところ、しばらくしてお尻が冷たくなるのを感じます。あわてて立ち上がってよく見ると、優先席はすべて何かでびっしょりと濡れているのです。家に帰ってジーパンを脱ぎ、臭いを嗅ぐと、明らかに小便臭い。私はウンザリして洗濯し、すぐにお風呂に入ったのでした。 このように、公共交通機関の座席を小便でビショビショにし、気づかずに座った乗客のズボンを汚してしまう。これはもう一種の無差別テロ(attentat aveugle)と言っても過言ではないでしょう!あの小便の量から考えて、単独犯ではありえません。思想背景等は不明ですが(てか、もしも「思想背景」があったら、それはそれで面白いかもしれませんがw)、おそらく日本政府もしくは東京都庁(=東京メトロの株主)に敵意を持つどこかのテロリスト集団が、地下鉄の乗客を標的にテロ攻撃を敢行したのです。「爆弾テロ」を“attentat à la bombe”と言いますから、これはまさに“attentat au pipi(=オシッコ・テロw)”。私は運悪くそれに巻き込まれてしまったということなのでしょう。最近は東京も物騒(?)になったものですね・・・。 ということで、今回は「トイレ」のお話ですw。 ※      ※      ※ さて、フランス語で「トイレ」は“les toilettes”。必ず複数形で用いて、個人の家で便器が一つしかなくても複数です。「汚い」「恥ずかしい」というイメージがあるので、意味をぼかすため複数にする「婉曲表現」だと聞いたことがありますが、今回改めて調べてみると諸説あるようで、なぜ複数にするのか正確なことはわかりませんでした。なお、単数形で、たとえば“faire sa toilette”と言うと、「お化粧をする、身支度をする(←男性にも使います、ネコが顔を洗うときにも使いますw)」という意味になるので、気をつけてください。 「ちょっとトイレに行ってくる」は“Je vais aux toilettes”、あるいは近接未来にして“Je vais aller aux toilettes”。遠回しに「手を洗う」と言うこともできて、それだと“Je vais me laver les mains(=手を洗ってくるよ)”です。友人の家でお手洗いを借りたいときは、“Je peux (aller) me laver les mains ?(=手を洗ってきてもいいかい)”と言えばいい。もちろんもっと直接的に、“Est-ce que je peux utiliser les toilettes ?(=トイレを使ってもいいかい)”と言うこともできます。 他にも同じ意味の表現はたくさんあって、たとえば“faire pipi(=おしっこをする)”は、「幼児語」。“faire ses besoins(=必要なことをする)”は、日本語の「用を足す」と同じ発想なのでしょうが、多くはイヌなど動物に用いて、人間が自分のことでは言わないそうです。 faire pipi:  » (=おしっこをする) また、“se soulager(=スッキリする)”は口語で冗談めかした表現で、ネイティブ二名に聞いてみたところ、二人とも「普通は言わない」とのことでした。 反対に「我慢する」は“se retenir”。これも自分についてはあまり使わないようで、たとえば子供が「オシッコがしたい」と言ったとき、“Retiens-toi(=我慢しなさい)”や“Est-ce que tu peux te retenir ?(=我慢できる?)”のように用います。 ※      ※      ※ 私は若いころ、腎臓結石を患ったことがあって、そのとき担当医から、再発を防ぐため一日に二リットルの水を飲むように勧められました。それ以来ずっと、「水」ではありませんが、緑茶または紅茶を毎日二リットル以上飲むようにしています。幸い結石は一度も再発していません。 それはよいのですが、大量に水分を摂取すると、当然トイレは近くなり、私は毎日、10回以上(15回くらい?)もお手洗いに行っています。特に朝が厳しくて、家を出る前に二~三回行き、さらに駅で行ったり、ときには電車を途中で降りてトイレに行くこともあります。満員電車の中で漏らしてしまい、私自身が「オシッコ・テロリスト」になったりしたら、冗談ではすみませんw。

エミール・ゾラ

バカロレアに落ちちゃった?(Si je rate mon bac ?)

こんにちは。バゲットです。 フランスでは今年も7月6日、バカロレア(baccalauréat)=「大学入学資格試験」の合格発表がありました。 今年の受験者は753,000人超で、合格率は78.8%。僅差の不合格者には「追試(rattrapage)」がありますから、最終的な合格率は85%を超えそうです(ちなみに、17年の最終合格率は87.9%でした)。 日本人の感覚で面白いと思うのは、フランスではバカロレアのトップ合格者や最年少合各者がテレビで紹介されること。昨年のトップはレユニオン島(La Réunion)の女子生徒で、テレビのインタビューでは、満面の笑みを浮かべて、「勝因」と将来の夢を語っていました。これが日本だったら「受験競争を煽る」とか「高校教育をゆがめる」とか、あるいは端的に「差別だ」とか、さまざまな批判を浴びそうに思います。 さて、フランス語で「バカロレア合格者」のことを「バシュリエ(bachelier)」と言いますが、ウィキペディア・フランス語ヴァージョンには「世代ごとのバシュリエの割合(proportion de bacheliers dans une génération)」が記載されています。フランスの学校では飛び級も落第もあって、18歳でバカロレアを受験するとは限らないので、「世代」というあいまいな言い方をするのでしょう。それによれば、1970年に20.1%、80年に25.9%だったのが、2012年にはなんと「世代」の76.7%が「バシュリエ」です。現代の若い世代では、3/4以上の人がバカロレアに合格しているのです。 これは逆に言えば、バカロレアを持っていないと、労働市場で非常な苦戦を強いられることを意味します。実際、6日のテレビニュースで放映されたルポルタージュ「バカロレアなしで生きる(Vivre sans le baccalauréat)」に登場した若い女性は、「何年も失業状態にある(elle enchaîne plusieurs années de chômage)」と嘆いていました。 もっとも、バカロレアなしで社会的に成功している人たちも、確かに存在します。上記のルポでも28歳のIT技術者が紹介されていましたし、何年か前に見た別のルポにも、起業して成功した人や芸能界で有名になった人が出ていました。 ウィキペディアにも「バカロレアを持っていない著名人」が掲載されています。超有名どころでは小説家(『人間の条件』『王道』など)で文化大臣も務めたアンドレ・マルロー、俳優のアラン・ドロンとジェラール・ドパルデュー。他に私は知らない名前なのですが、有力政治家が何人もいるようです。さらに若いところでは、サッカーのジネディーヌ・ジダンと俳優のオマール・スィ。ジダンは少年時代からサッカー一筋だったのでしょうが、オマール・スィはひょっとしたら「落第」かも知れません。 私が「極めつき」だと思うのは、『居酒屋』『ナナ』などで有名な文豪エミール・ゾラ(Emile Zola)です。 ゾラはバカロレアに二回挑戦して、結局取得できませんでした。当時は「難関」だったのでしょうし、不合格だったことにはいろいろと個人的な理由もあるのでしょうが、その挫折の経験が、後年、下層の人々の悲惨な生活を描いた名作につながったのかも知れません。

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