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ニンジンが煮えた(Les carottes sont cuites)
投稿日:2020年11月12日
こんにちは。バゲットです。
何度も書いたように、私は房総半島のど真ん中の農家に生まれました。小学校の友人たちの家もほとんどが農家で、中学校でも生徒の大半は同様でした。それが高校に入ると家が農業をしている生徒は圧倒的に少数になって、一クラスに数人しかいない。さらに大学生になると、農家の出身なんて「絶滅危惧種w」なみに少なくなります。
逆に増えたのがエリート層出身の学生たちで、お父上が高級官僚、大企業勤務、教師やジャーナリストはザラにいます。ある同級生女子は、お父さまが東大の海洋研究所の教授で、別の女子のお父さまは宇宙開発事業団(現在のJAXA/宇宙航空研究開発機構)でロケットを飛ばしていました。
私は前者については「まぁ、魚屋さんみたいなものだろう(←調べてみると全く違いましたがw)」と意に介しませんでしたが、後者にはビビりました。ほとんど「怖じ気づいたw」と言ってもいい。宇宙ロケットは超先端技術の結晶のようなものですから、ロケット関連の仕事をしているとは紛れもなく「日本の頭脳」の一人だと思ったからです。そんな父親を持つ女の子の前で「オレの父ちゃん、ニンジン作ってる」なんて、恥ずかしくて言えたものではありません。
どういうわけか、そのとき私が考えたのは本当に「ニンジン」でした(←ロケットと形が似ているからかもしれませんw)。当時、私の父はJAの金融部門で働いており、二ンジンは母が家の隣の畑で自家用に栽培していただけです。それでも、なぜか私は「ニンジン」を思った。そして、ニンジンとロケットの社会的な意味が全く異なることに、大きな「引け目」を感じたのでした。
その後、私は父親がスーパーエリート、もしくは家柄が超名門という人に出会うと、必ずニンジンを思い浮かべるようになりました。大学院に入って、伊達62万石のお姫さまを見かけたときも、加賀100万石の家老の姫君と知り合ったときも、大手建設会社の創業者一族の子弟と話したときも、私はニンジンのことを考えました。私は密かに、私自身のそうした心理を「ニンジンの呪い(la malédiction des carottes)」と呼んでいますw。
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さて、フランス語で「ニンジン」に関係する表現と言えば、真っ先に思いつくのが、“Les carottes sont cuites/ニンジンが煮えた”。
いつものようにウィクショネール(https://fr.wiktionary.org/wiki/les_carottes_sont_cuites)で調べてみると、この言い回しが意味するのは“la situation est irrémédiablement compromise, sans espoir/状況は決定的に危うく、絶望的だ”、別のサイトでは“Il n’y a plus rien à faire, c’est trop tard/もはや手のほどこしようがない、もう遅すぎる”。要するに、「万事休す」です。
語源に関しては、どのサイトも昔の貧しい家庭の食事の風景を挙げています。そうした家庭では肉料理の付け合わせはニンジンだけで、「煮えたニンジン(carottes cuites)」は即座に「肉」を連想させる。そして「肉」は「死んだ動物」だから、この言葉は「瀕死の状態にある」という意味になる。そこからさらにズレが生じて、「ニンジンが煮えた」は「あらゆる種類の絶望的な状況(toute sorte de situation sans espoir)」を指すようになった、ということです。
具体的な使い方としては、たとえば離婚の危機にある女性に、親友が「もう一度話し合ってみたら」と勧める。すると女性は「もうダメよ、ニンジンは煮えてるわ」。あるいはサッカーの試合で一点差で負けていて、ロスタイムに入る。何とか引き分けにしようと攻撃に夢中になっていると、隙を突かれてもう一点を取られてしまう。「ああ、ニンジンが煮えた」。
その他「知人が重い病気になって、もう手のほどこしようがない」(←もちろん、本人や家族の前では言いませんが)とか、「会社の業績が悪化して、もう倒産は免れない」などのケースで用いることもできるでしょう。
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大学で教えるようになると、ときに超絶毛並みのいい同僚たちと一緒に働くことがあります。私も親戚が総理大臣(!)だとか、お祖父さまが衆議院議長(!)だとか、お父上が最高裁長官(!)だという方たちと、一緒に仕事をする機会がありました。しかし、私はそうした人たちと知り合ったとき、もはやニンジンを思い浮かべることはありませんでした。私はいつしか「ニンジンの呪い」から解放されていたのです。まぁ、自分の足で立つようになって、それなりの実績も出来てくれば、親の職業や家柄なんて何とも思わない、ということなのでしょう。