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死んだネズミのように(comme un rat mort)
投稿日:2020年5月29日
こんにちは。バゲットです。
この原稿を書いている5月の末、東京でも「緊急事態(état d’urgence)宣言」が解除されて、街も徐々に人出を取り戻し、経済も少しずつ回り始めているようです。
私は大学での授業がすべてオンラインによる遠隔授業になって、膨大な資料の作成に追われていました(一回分を作るのに3〜5時間かかるw)が、ようやく「出口」が見えてきて、少しホッとした気分です。
緊急事態中は、特に営業を続けるパチンコ屋とその客に猛烈なバッシングが浴びせられていました。新聞はパチンコ客の声として、「家にいてもすることがない」という意見を紹介しています。家にとどまっていても、退屈で退屈で、死んでしまいそうなのでしょう。彼らもこれからは堂々と退屈しのぎ(?)ができると、大いに安心しているのでしょうか。
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さて、フランス語には、「死んだネズミのように退屈する(s’ennuyer comme un rat mort)」という表現があります。
「オレは死んだネズミみたいに退屈だ(Je m’ennuie comme un rat mort)」とか、「一昨日マリーに会ったけど、死んだネズミみたいに退屈してたよ(Elle s’ennuyait comme un rat mort)」のように使うのでしょう。
なぜ「死んだネズミ」なのか?この(→https://www.expressio.fr/expressions/s-ennuyer-comme-un-rat-mort)サイトには、「屋根裏で忘れられた死んだネズミは、孤独の、見捨てられた状態の象徴だ(le rat mort oublié dans le grenier est le symbole de l’abandon, du délaissement)」とあります。「皆が私たちを忘れてしまったとき(quand tout le monde nous a oublié ← oubliés が正しい)」、「もはや電話が鳴らないとき(que le téléphone ne sonne plus/que はquand の代用)」、「もはや誰も私たちを何にであれ参加するよう誘ってくれないとき(que personne ne nous invite plus à participer à quoi que ce soit)」、「なんて退屈なんだろう(qu’est-ce qu’on s’emmerde !)」。
「死んだネズミ」なんて誰の興味も引かないし、誰も気にかけない。誰からも相手にされず、いつも独りぼっちで、することがなくて、退屈で退屈でしようがない・・・ということなのでしょう。なんか、ちょっと悲しい「退屈さ」ですね。
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そんな「死んだネズミ」ですが、確かに屋根裏や納屋の片隅で死んでいれば、誰の迷惑にもならないし、誰の興味も引きません。でも、もしも家の畳の上(!)に、血だらけのネズミの下半身(!!)があったりしたら、猛烈にショッキングな話です。
私が小学生のとき、母が嫁いで来たときからいたという老ネコが姿を消しました。「ネコは死期を悟ると身を隠す」(←体調が悪くなると外敵に襲われないように隠れるらしい)と言いますから、どこかで人知れず死んでしまったのでしょう。で、その直後、たまたま弟の友達の家で子ネコが生まれ、弟がもらってきて、私の家に新ネコがやってきました。白い部分の多い、可愛い三毛ネコでした。
しばらくすると、私はその子ネコがむやみに「じゃれる」ことに気づきました。私が子ネコの顔の前で人差し指を回すと、飛びついてくるのです。面白いと思ってよく遊んでいたのですが、少し身体が大きくなると、その子ネコはネズミを捕るようになりました。しかも、チビネコのくせに、ひどく大きなネズミを捕る。
これはネコの習性らしいのですが、家のチビネコは捕まえた大ネズミを、必ず畳の上に持ってきてから、食べるのです。で、食べきれずに、残す(!!!)。夏休みのある日だったように記憶していますが、家の座敷の畳の上に血だらけのネズミの下半身を見つけたとき、私はほとんど卒倒しそうになりましたwww。
そんな汚らしい、グロテスクな思い出なのに、今になってみると「懐かしい」と思えるから、不思議です。