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頭の内側に髪の毛が生える(avoir les cheveux qui poussent à l’intérieur)

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こんにちは。謎のキャラクター、バゲットです。

年末・年始は「忘年会」、「新年会」とお酒を飲む機会が多く、飲み過ぎて悪酔いして嘔吐したり、あるいは翌朝に二日酔いで苦しむ方も多いでしょう。

私も大学に入ったばかりのころはまだお酒の飲み方を知らず、6月の中頃までにクラスや友人たちとのコンパで三回も泥酔して前後不覚になり、内二回は吐いてしまいました。二浪して入学したクラスメートから、「酒の飲み方に少し気をつけろ」と叱られたことを今でも覚えています。

その後、一時は禁酒したこともあるのですが、20代の終わりごろからは毎晩、寝る前にお酒を飲むようになりました。ここ10年ほどは少し血糖値が高いので、もっぱら糖分ゼロのバーボン・ウイスキー。毎日8時半には仕事を切り上げ、フロアスタンドの間接照明以外は全ての明かりを消して、マンションの大きな窓から見る東京の夜景(←すごくキレイです)を背景に、一人でお酒を飲む。私にとって至福のひとときです。

頭の内側に髪の毛が生える
Avoir les cheveux qui poussent a l’interieur

フランス語で「二日酔い」を意味する最も一般的な表現は、“la gueule de bois”。直訳すれば「木の口」で、多くは動詞“avoir”とともに用います。「私は二日酔いだ」は、“J’ai la gueule de bois(=私は木の口を持っている)”ですね。

いつものようにウィクショネール(https://fr.wiktionary.org/wiki/gueule_de_bois)で調べてみると、“Malaises matinaux dus à un abus d’alcool(=酒の飲み過ぎに起因する朝の身体的不調)”。まさに「二日酔い」です。語源としては、“avoir la bouche sèche comme du bois après avoir bu trop d’alcool(=お酒を飲み過ぎた後に木のように乾いた口を持つ)”とありますね。

面白いのは「同義語(synonymes)」の項目。たとえば、“avoir la tête dans le cul(=頭が尻にある)”。「今朝、オレの頭は尻についてるよ(Ce matin, j’ai la tête dans le cul)」のように用いるのでしょう。

さらに奇抜なのは、“avoir les cheveux qui poussent à l’intérieur(=[頭の]内側に髪の毛が生えている)”。二日酔いでアタマがガンガンするときは、「昨夜は飲み過ぎた、髪の毛が頭の内側に生えてるみたいだ(J’ai trop bu hier-soir, j’ai les cheveux qui poussent à l’intérieur)」と言えばよいわけです。

  • ※      ※      ※

私は体質的にお酒には強いようで、生涯で一度も二日酔いになったことがありません。夜中の2時、3時に目が覚めて激しい頭痛がしたことは何回かありますが、朝起きて頭が痛かったことは一度も無いのです。とは言え、飲み過ぎると風邪を引きやすくなりますし、また年齢のせいか、風邪を引いたときにお酒を飲むと、その風邪が何週間も治りません(←若いころは治ったのですが)。そのため、2年ほど前から、毎晩飲むお酒の量を少し減らすようにしています。

皆さまも飲み過ぎて二日酔いになったり風邪を引いたりしないよう、お気をつけてくださいませ。

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エミール・ゾラ

バカロレアに落ちちゃった?(Si je rate mon bac ?)

こんにちは。バゲットです。 フランスでは今年も7月6日、バカロレア(baccalauréat)=「大学入学資格試験」の合格発表がありました。 今年の受験者は753,000人超で、合格率は78.8%。僅差の不合格者には「追試(rattrapage)」がありますから、最終的な合格率は85%を超えそうです(ちなみに、17年の最終合格率は87.9%でした)。 日本人の感覚で面白いと思うのは、フランスではバカロレアのトップ合格者や最年少合各者がテレビで紹介されること。昨年のトップはレユニオン島(La Réunion)の女子生徒で、テレビのインタビューでは、満面の笑みを浮かべて、「勝因」と将来の夢を語っていました。これが日本だったら「受験競争を煽る」とか「高校教育をゆがめる」とか、あるいは端的に「差別だ」とか、さまざまな批判を浴びそうに思います。 さて、フランス語で「バカロレア合格者」のことを「バシュリエ(bachelier)」と言いますが、ウィキペディア・フランス語ヴァージョンには「世代ごとのバシュリエの割合(proportion de bacheliers dans une génération)」が記載されています。フランスの学校では飛び級も落第もあって、18歳でバカロレアを受験するとは限らないので、「世代」というあいまいな言い方をするのでしょう。それによれば、1970年に20.1%、80年に25.9%だったのが、2012年にはなんと「世代」の76.7%が「バシュリエ」です。現代の若い世代では、3/4以上の人がバカロレアに合格しているのです。 これは逆に言えば、バカロレアを持っていないと、労働市場で非常な苦戦を強いられることを意味します。実際、6日のテレビニュースで放映されたルポルタージュ「バカロレアなしで生きる(Vivre sans le baccalauréat)」に登場した若い女性は、「何年も失業状態にある(elle enchaîne plusieurs années de chômage)」と嘆いていました。 もっとも、バカロレアなしで社会的に成功している人たちも、確かに存在します。上記のルポでも28歳のIT技術者が紹介されていましたし、何年か前に見た別のルポにも、起業して成功した人や芸能界で有名になった人が出ていました。 ウィキペディアにも「バカロレアを持っていない著名人」が掲載されています。超有名どころでは小説家(『人間の条件』『王道』など)で文化大臣も務めたアンドレ・マルロー、俳優のアラン・ドロンとジェラール・ドパルデュー。他に私は知らない名前なのですが、有力政治家が何人もいるようです。さらに若いところでは、サッカーのジネディーヌ・ジダンと俳優のオマール・スィ。ジダンは少年時代からサッカー一筋だったのでしょうが、オマール・スィはひょっとしたら「落第」かも知れません。 私が「極めつき」だと思うのは、『居酒屋』『ナナ』などで有名な文豪エミール・ゾラ(Emile Zola)です。 ゾラはバカロレアに二回挑戦して、結局取得できませんでした。当時は「難関」だったのでしょうし、不合格だったことにはいろいろと個人的な理由もあるのでしょうが、その挫折の経験が、後年、下層の人々の悲惨な生活を描いた名作につながったのかも知れません。

モンブラン

フランスで一番高い山(le plus haut sommet de France)

こんにちは。バゲットです。 もう10年くらい前のことですが、オーストラリア(シドニー?)の空港で、あるアラブ系フランス人の青年が拘束されました。パスポートに問題があり、「テロを準備しているのではないか」と嫌疑をかけられようです。本人は本当にフランス人だったため、フランス政府が抗議して、数日で釈放されました。そのことについて「ル・モンド(Le Monde)」が社説で、「アラブ系に対する差別だ」と、強く糾弾していたのをよく覚えています。 笑えるのは(本来「笑う」ような性質のことではないのですが)、その男が半年後、今度はフランスの警察に逮捕されたこと。外国の警察にテロ容疑で拘束されたフランス人を、政府が抗議して釈放させたら、やっぱり本当にテロリストだったwというわけです。 さて、「ル・モンド」社説によれば、オーストラリア警察は、拘束したアラブ系男性が本当にフランス人であるかを疑い、フランスについてさまざまな質問をしたそうです。その質問の一つが、今回のテーマ、「フランスで一番高い山は?」。 私の記憶では、社説は「そんなこと普通のフランス人は知らない」というニュアンスで書かれていたように思うのですが、私の勘違いかもしれません。というのも、大抵のフランス人が、「フランスで一番高い山はモンブラン」と答えるように思うからです(あるいは、質問は複数ありましたから、「全部答えられる人は滅多にいない」ということだったのかもしれません)。 でも、よく考えてみると、モンブランはフランスとイタリアの国境に位置する山。「フランスで一番高い」と言ってしまってよいのでしょうか。そんな風に言ったら、イタリアの人たちが怒りそうな気がするのですが。というわけで、調べてみました。すると・・・ モンブランは標高4,809メートル(註1)、富士山(3,776メートル)よりずっと高い。山頂は常時氷に覆われていて、一般の方が観光気分で登頂するのは不可能です。 で、問題の国境線ですが、1861年、フランスと当時のサルデーニャ王国(イタリア王国建国の直前のようです)との間で、「国境線はモンブランの山頂を通る」ということで合意。その後、第二次大戦後のパリ条約(1947年の平和条約/フランスは戦勝国、イタリアは敗戦国)では、モンブランについては言及されませんでした(註2)。現在は、フランスの地図ではモンブラン山頂はフランス領、イタリアの地図では国境線は山頂を通ることになっており、1995年、その件についてイタリア政府がフランス政府に抗議しましたが、その後ウヤムヤになっているそうです。 ※      ※      ※ さて、日本の富士山とは異なって、モンブランは一国を代表するような観光名所ではありませんし、ましてやフランスの「象徴」ではありません。「フランスで一番高い山は?」と質問されたとき、一体どのくらいのフランス人が「モンブラン」と答えられるのでしょうか。知人のフランス人教師に聞いてみたところ、「平均的なフランス人なら答えられるだろう、しかし学歴の低い人や移民の人の中には、答えられない人もいるのではないか」とのことでした。 註1)2017年の計測値。山頂が氷で覆われているため、高さは常に変化しています。氷の下の岩の山頂は4,792メートルで、氷の山頂の西40メートルにあるそうです。 註2)日本版ウィキペディアによれば、1963年にも仏伊間で国境が再定義されましたが、モンブランについては協議されなかったとのことです。

マリアンヌ

マリアンヌを知ってるかい?(Tu connais Marianne ?)

こんにちは。バゲットです。 フランス共和国の象徴と言えば、まずは青白赤の三色旗(le drapeau tricolore)、次いで国歌ラ・マルセイエーズ(la Marseillaise)を思い浮かべる方が多いでしょう。でも、共和国の象徴は他にもあります。たとえば、フランス大使館でロゴマークに使われている、この女性(↓)です。 彼女はマリアンヌ(Marianne)という名前です。ウィキペディア・フランス語ヴァージョンには、「マリアンヌはフランス共和国を象徴する人物像(figure symbolique)であって」、「それはフランス共和国と《自由、平等、友愛》の標語に含まれる価値観を具象化したものである(elle incarne la République française et ses valeurs contenues dans la devise : Liberté, Égalité, Fraternité)」とあります。 象徴としてのマリアンヌの起源については諸説あるようですが、有力な説によれば、それはフランス革命時の1792年秋、国民公会で王政の廃止と共和国の樹立が宣言されたころ、南フランスで作られた革命歌「マリアンヌの回復(la Guérison de Marianne)」まで遡るということです。 マリアンヌのイメージは、上記のロゴマークの他、ユーロ硬貨や郵便切手にも用いられていて、郵便切手のマリアンヌは、大統領が代わるたびにデザインが変わります。 また、フランス国内の市役所や公立学校などの公的な建物には、マリアンヌの胸像が置かれています。この胸像にもさまざまなデザインがあり、それを制作する際のモデルには、ブリジット・バルドー(Brigitte Bardot)、カトリーヌ・ドヌーブ(Catherine Deneuve)、イネス・ド・ラ・フレサンジュ(Inès de la Fressange)など、フランスを代表する女優、歌手、ファッション・モデルが選ばれています。最新のマリアンヌのモデルは、女優のソフィ・マルソー(Sophie Marceau)ですね。 ウジェーヌ・ドラクロワ(Eugène Delacroix)の有名な絵画『民衆を導く自由の女神(La Liberté guidant le peuple)』(↓)に描かれた女神も、マリアンヌとされています。 この絵画は、ウィキペディア・フランス語ヴァージョンのマリアンヌの項目でも、在日フランス大使館ホームページのマリアンヌのページでも紹介されています。私は長い間、この絵は1789年のフランス革命を描いたものだと信じていたのですが(←お恥ずかしい次第ですw)、今回調べてみたところ、1830年の七月革命(La Révolution de Juillet)を主題としたものでした。王政復古で復活したブルボン朝を打倒し、ルイ=フィリップの「七月王政」を開始した革命です。 ※      ※      ※ さて、皆さまご存知のように、アメリカ・ニューヨークの「自由の女神像(Statue de la Liberté)」は、アメリカ合衆国独立100周年を記念して、フランス国民がアメリカに寄贈したものです。上のドラクロアの絵は、この像のモデルの一つになったそうです。確かに、右手を挙げているところなどは同じですね。 ずっと小ぶりですが、「自由の女神」はパリにも複数存在します。セーヌ川にかかるグルネル橋のたもとには、パリに住むアメリカ人たちが贈った「自由の女神」があり、リュクサンブール公園(Jardin du Luxembourg)にももう一体あります。「それらも『マリアンヌ』と呼ぶのだろうか」と思い、何人かのフランス人に聞いてみましたが、そうは呼ばないとのことでした。しかしレピュブリック広場(Place de la République)にも、デザインの異なる像が一体あって、こちらは「マリアンヌ像」と呼ばれています。 そう言えば、東京・お台場にもありましたっけ。まあ、それは「マリアンヌ」とは・・・・・・呼ばないでしょうねw。

靴下の中のモラル(la morale/le moral dans les chaussettes)

こんにちは。謎のキャラクター、バゲットです。 いきなり高度にプライベートな話で申し訳ありませんが、私の生涯で今年の夏ほど、自分の足の臭さ(!)を強烈に感じたことはありませんでした。 私は今年の夏休み、ほとんど家にこもって論文を書いていました。キーボードに向かって、順調に進んでいるときはよいのです。ところが疲れてきたり行き詰ったりして、一休みしようと、パソコンに背を向けてスリッパを脱ぐと、裸足の足のつま先あたりから、強烈な臭いがむわ~と放たれて、私の鼻をつく。あまりに臭いので、一日に三回、足を洗い、スリッパも洗ったり交換したりするのですが、それでもしばらくすると、私の足は再び猛烈な悪臭を放ち始めるのです。 そんなある日のこと、ネットで、「特急電車の中で靴を脱いで、臭い足を投げ出す人がいて迷惑だ」という趣旨の記事を読みました。私も著者の意見に大いに賛同し、「真夏に公共の場所で靴を脱いで、超絶臭い足を他人の前にさらすなんて、人間として最低限のモラル(la morale)も持っていないwと思われても、仕方ないよなぁ・・・」と考えた次第なのでした。 ※      ※      ※ さて、以前も書いたことがありますが、フランス語で「ラ・モラル(la morale)」と言えば「道徳」「倫理」。しかし、同じ語でも男性形で「ル・モラル(le moral)」と言うと、「気力」「士気」を意味します。 動詞“avoir”とともに用いて、“Elle a le moral”は、「彼女は気力が充実している、やる気満々だ」。“Elle a bon moral(よい気力)”や“Elle a le moral élevé(高い士気)”でも同様です。 反対に“Il n’a pas le moral”、“Il a mauvais moral(悪い士気)”、あるいは“Il a le moral bas/à zéro/à plat(低い/ゼロの/ぺしゃんこの士気)”と言えば、「彼は気力を失っている、落胆している」という意味。ネイティブに確認しましたが、「強い精神的ショックを受ける」ことは必須ではなく、たとえば会社でつまらない仕事ばかりやらされて、「こんな仕事、やる気にならない」といった場合でも使えるそうです。あるいはネットで調べてみると、「一人も友達がいなくて、朝から雨が降っていて、気分がふさぐ」みたいなケースもOK。 “avoir le moral dans les chaussettes(靴下の中にモラルを持つ)” 面白いと思ったのは、“avoir le moral dans les chaussettes(靴下の中にモラルを持つ)”という言い方。“la morale(倫理)”じゃなくて“le moral(気力)”ですから、足の臭さwは関係ありません。気力の度合いを身体の中の垂直線に対応させると、一番下に来るのが「足」。ですから、“J’ai le moral dans les chaussettes(私は靴下の中に気力を持っている)”は、「私は全くやる気がない/意気消沈している」という意味ですね。 ※      ※      ※ 考えてみれば、私も若いころは、大した理由もなくひどく落ち込むことがありました。学部の学生だったとき、一年に一度か二度なのですが、朝、目が覚めて、特にこれといった原因もないのに何もする気にならず、何もかも面倒になって、人生そのものも面倒になって、ほとんど鬱病みたいになって、夕方まで布団の中でウダウダしていて、夜になってお腹がすいて、何か食べようと思ってようやく起き出す・・・というようなことがありました。 ところが20代半ばになると、そうしたことはバッタリとなくなりました。バカな話ですが、今になってみると、何となく懐かしいような気もします。

ラタトゥイユ

ラタトゥイユを作る(faire de la ratatouille)

こんにちは。バゲットです。   数年前に初めて気づいたのですが、私は授業をしていて黒板に「100」という数字を書くとき、どういうわけか二つの「0」を同じ大きさで書くことができません。どんなに注意して丁寧に書いても、いつも「0」の大きさが異なった不細工な「100」になってしまうのです。「100」でさえそうなのですから、「10,000」とか「100,000」とかになると、もう目も当てらない始末です。 多分そのことと関係して、私は料理をするときも、食材を同じ形、同じ大きさに切り分けることができません。ナスを切っても、ニンジンを切っても、ジャガイモを切っても、最後には形も大きさも非常に異なった諸部分が、雑然とまな板の上に残るのですw。どうせ私が食べるんだし、お腹の中に入ってしまえば同じですから、特に実害があるわけでもないのですが。 で、そんな不器用な私でも簡単に作れるのが、今回のテーマ「ラタトゥイユ(ratatouille)」なのでした。 さて、ラタトゥイユは、ニース(Nice)発祥とされる南仏プロヴァンス地方の郷土料理です。もともとは貧しい農家の食べ物だったようで、端的に言って「野菜のごった煮」ですね。 フランスの料理サイト「マルミットン(marmiton)」で検索してみると、いろいろなレシピが出てきます。いくつか読んでみて共通しているのは、ナス(aubergine)、ズッキーニ(courgette)、タマネギ(oignon)、ピーマン(poivron)、トマト(tomate)を、オリーヴオイル(huile d’olive)を加えて蒸し煮にすること。難しくはなさそうですが、おおむね調理に一時間以上かかるようで、普通の日本人にとってはあまり現実的ではありません。ヴィデオ・レシピがあったので、ご参考までにリンクしておきましょう (→https://www.marmiton.org/recettes/recette_ratatouille_23223.aspx)。 日本の料理サイト「クックパッド(cookpad)」で検索しても、たくさんレシピが見つかります。たとえば、これなんか(→https://cookpad.com/recipe/5235804)簡単そうですね。 生のトマトの代わりに「トマト缶」や「トマトソース」を使うこともできますし、さらにネットで調べてみると、スパゲティの「ナポリタン用ソース」を使うヴァージョンも出てきます。「カゴメ/基本のラタトゥイユ用ソース(https://www.kagome.co.jp/products/food/A5672/)」などという究極の手抜き(?)ソースまで売っていて、これだとナスとズッキーニを煮込むだけで作れます。 ※      ※      ※ 私は料理については何も知らないので、ラタトゥイユのことも長い間、見たことも聞いたこともありませんでした。たまたま同僚たちが話しているのを耳にして、「簡単だよ」と教えてもらったのが、五年ほど前のこと。 最初は缶入りのトマトソースで作ったのですが、少々値段が高い(←私にはw)ので、その後はペットボトル入りの野菜ジュース(トマトベース)に変えて、さらに私は子供のころ「野菜ばかり食べていて肉を食べないと、顔がキリギリスになるw」と脅されて育ったので、肉は絶対に欠かせません。で、ザックリと(=不揃いにw)切った野菜の中に激安のブタ肉をガバッ!と入れて、オリーヴオイルで炒め、そこに野菜ジュースをドクドク!と注いで、コンソメを入れて煮込むのですが、味の方はまずまずです。 まぁ、このような(↑)料理を「ラタトゥイユ」と呼ぶのかwという根源的な疑問は残ります。ラタトゥイユ原理主義者(fondamentaliste)の方々からはお叱りを受けるかもしれませんが、私一人で作って私一人で食べて、誰にも迷惑は掛けていませんので、どうかご容赦くださいませ<m(__)m>。

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