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廃兵院には行ったかい?(Tu as visité les Invalides ?)

投稿日:2019年1月17日

こんにちは。バゲットです。

パリにある「廃兵院(Hôtel des Invalides=オテル・デ・ザンヴァリッド/通称アンヴァリッド)」は、ナポレオンの棺が置かれている場所として、ご存知の方も多いでしょう。
私も大学でフランス文学の勉強を始めた後、かなり早い時期から知っていましたが、「廃兵院」というその呼称にはずっと強い違和感を抱いていました。「廃棄物」「廃屋」「廃品」「老廃物」等々、「廃」という漢字はひどく否定的なイメージ(まるでゴミみたいなw)を含んでいますから、国のために戦って名誉の負傷を負った方々を「廃兵」と呼ぶのは、全く不適切であるように思ったからです。
フランス語の「アンヴァリッド(invalide)」は、動詞valoir(価値がある)と語源を同じくするvalide(法的に有効な、健康な)という形容詞に否定の接頭辞 inがついたもので、「法的に無効な」「(人が老齢、病気、ケガなどのため)働けない」ことを意味します。何人かのフランス人に確認しましたが、形容詞、名詞として普通に用いられる単語で、肯定的なニュアンスは無いにしても、日本語の「廃(兵)」ほど否定的なイメージもないそうです。
この原稿を書くにあたって調べてみたところ、そもそも日本で日露戦争後の1906年、傷痍軍人のために「廃兵院」が作られ、その際、パリの「アンヴァリッド」が参考にされたということです。してみると、日本の「廃兵院」の呼称を「アンヴァリッド」の訳語として採用した、というのが真相なのかもしれません(註)。
と言うことで、今回は「アンヴァリッド」(↓)について調べてみました。

アンヴァリッド

ウィキペディア・フランス語ヴァージョンによれば、「アンヴァリッド」の建設を命じたのは、「太陽王(le Roi-Soleil)」ルイ14世。絶対主義(absolutisme)の最盛期、「朕は国家なり(L’État, c’est moi)」と言った国王です。
時は17世紀の半ば、フランスでは「30年戦争(la guerre de Trente Ans, 1618-1648)」で障害を負った多数の傷痍軍人が、パリのポンヌフ(Pont Neuf)付近にたむろし、暴力沙汰を起こすなどして、市民たちから白眼視されていました。一方、戦争が大好きでもっともっと戦争をしたいwルイ14世は、人民の眼に軍のイメージを高め、兵士たちには自らの威信を高めなければなりません。そこで、1670年、傷痍軍人たちを収容する専用の施設を建設するよう、勅令(édit)を発します。
建設は翌年に始まり、1674年に完成。竣工式の際に、ルイ14世自らが最初の収容者たちを入所させたそうです。その後、付属の教会が建設され(1706年完成)、さらに7月王政(1830-48)の時代になって、教会の地下に墓所が作られて、ナポレオン・ボナパルトの棺(↓)が中央に置かれました。

ナポレオン・ボナパルトの棺

「アンヴァリッド」では、現在でも100人ほどの傷痍軍人が暮らしているそうです。病院もあって、軍人だけでなく一般市民も受け入れています。他にも軍事博物館があったり、陸軍参謀総長の事務室があったり、偉大な功績を残した軍人たちの廟があったりします。第二次世界大戦でノルマンディー上陸作戦(Débarquement en/de Normandie)に参加しパリ入城を果たしたフィリップ・ルクレール(Philippe Leclerc)のお墓もあります。
「アンヴァリッド」には私も20年ほど前に行きましたが、当時はそんなにいろいろなものがあるとは知らず、ナポレオンの棺を見ただけで帰ってきてしまいました。建物自体がフランスの古典建築の傑作とされていますし、いつかもう一度行って、じっくりと見学したいと思っています。

註)日本でも「廃兵院」という呼称に違和感を持つ人は当時からいたようで、1934年には「傷兵院」と改称されました。

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