ブログ
綱渡りをする(être sur la corde raide)
投稿日:2024年10月4日
こんにちは。バゲットです。
ここでも何度か書いたように、私は大学院修士課程終了後フランスに留学し、帰国後はしばらくフランスの政府系機関で働いたので、博士課程に入学したときはすでに31歳になっていました。入学試験の面接では、学科長の先生から「年齢が年齢なので、一生非常勤講師(=専任教員の職は見つからない)かもしれない」と言われ、「分かっています」と答えたのを覚えています。その当時はフランス語の非常勤講師のポストはたくさんあって、「非常勤」とはいえ自分から辞めない限りは定年まで働くことができましたし、週に15~20コマ程度担当すれば、(その頃は年間の授業数も少なかったので、一年のうち半分働くだけで)普通のサラリーマン並みの生活ができたからです。
ところがその後、1990年代半ばに文部科学省の方針が変わり、大学で第二外国語が「必修」ではなくなって、大部分の第二外国語の教師がそのあおりを食ったことは、以前にも書いたので(https://lecoledefrancais.net/comme-un-oiseau-sur-la-branche/)ここでは繰り返しません。

私自身、担当する授業数が激減し、経済的苦境(difficultés financières)に陥ったことが二度ありました。最初は2006年と2007年。4コマ担当していた某私立大学から、前年の夏休み前に年度限りでの「雇止め」を通告されたのです。このときは普段の生活費に加えて、04年に購入したマンションの住宅ローンも大部分が残っていたため、ほとんどパニックになりました。結局、同時に雇止めを告げられたフランス語・ドイツ語講師三名とともに「非常勤講師組合」に加入し、組合を通じて交渉をして、雇止めは撤回、最終的に「コマ減」で決着しました。
こうして結果的に最低限の生活費は確保できたのですが、私はこの件で自分の職の不安定さを思い知りました。職業生活上の「セイフティ・ネット」の必要性を痛切に感じて、法律と英会話の勉強を始め、2006年に行政書士の資格を取得。その後、月に何度かベテランの行政書士について「見習い」のようなことをしていたところ、07年の末になって、都内有名私大の教授になっていた友人が彼の大学に誘ってくれて、私は運よく二年で「苦境」を脱することができました。
二度目の「危機」は2013年。週二回出講し、毎年4~5コマ担当していたマンモス私大で担当授業が週2コマになったのです。このときはすでに、上記の行政書士に加えて、社会保険労務士とファイナンシャル・プランナーの資格を取得し、英語のTOEICスコアも「950」まで伸びていたので、特に慌てはしませんでした。「取りあえず一年間は様子を見よう」と、休暇中に区役所や税務署で短期の仕事をしたり、日曜日に試験監督のアルバイトをしたりして糊口をしのいでいたところ、翌年にはコマ数が回復して、このときも短期で財政危機を脱することができたのでした。
————————————————
さて、フランス語に“être sur la corde raide/ピンと張った綱の上にいる(=綱渡りをする)”という表現があります。いつものようにネットで検索してみると、“dans une situation instable/不安定な状況にある”、“dans une situation dangereuse/危険な状況にある”、(https://www.expressio.fr/expressions/etre-sur-la-corde-raide)。別のサイトを見ても、
“être dans une situation périlleuse qui demande beaucoup d’habilité pour en sortir/そこから脱するためには大変な巧妙さが要求される危険な状況の中にある”。要するに、「いつ破綻・挫折してもおかしくない危険で不安定な状態にある」ということですね。17世紀の前半に、曲芸の「綱渡り」から “danser sur la corde/綱の上で踊る”という表現が出来て、それがその後、現代のヴァージョンに変わったそうです。
日本語でも、危険で不安定な状況が続くことを「綱渡りをする」と言いますから、「同じようなもの」かもしれませんが、ネットで「用例」を探してみると、「少しニュアンスが違うのではないか」と思うような例にも遭遇します。たとえば、“La réunion ne s’est pas très bien passée. J’ai l’impression qu’il est sur la corde raide/会合はあまりうまくいかなかった。彼は綱渡りをしているという印象だ”。この例に付属する「解説」では、“Peut-être que cette personne risque de perdre son travail/ひょっとするとこの人物は仕事を失う危険もある”とありますから、「彼」が会社に残れるか(あるいは現在の地位にとどまれるか)否かは五分五分だ、といったところでしょうか。あるいは、“Sa compagnie a très mal vécu la dernière crise. Ils sont sur la corde raide/彼の会社は今度の不況をうまく乗り切れなかった。彼らは綱渡りをしている”。「会社」は倒産の瀬戸際にある、ということでしょう。かと思うと、“mais moi, ce qui m’intéresse, c’est d’être sur la corde raide/しかし私にとって面白いのは、綱渡りをすることなんだよ”。あまり危機感はなさそうです。
結局、一口に「綱渡り」と言っても、落ちたときのダメージは相当に深刻なこともあれば、そうでないこともあるということなのでしょう。
—————————————————-
上記のように、私の職業生活は文字通り「綱渡り」でしたが、幸運にもこれまで「綱」から決定的に落ちることはありませんでした。6年前の春には住宅ローンを完済し、経済的に急に「楽」になりました。年金(国民年金+国民年金基金)保険料の支払いも、今年で終了です(春に一括で払ってしまいました)。仮に今後、大学での仕事が半減しても、もう金銭的な心配はないのです。私の「綱渡り」も、ようやく終了したようですね。
- 1つ前の記事
- キャベツの中にいる(être dans les choux)
- 1つ後の記事
- 水の下にいる(être sous l’eau)