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「新着情報/ブログ」一覧

七番目の空にいる(être au septième ciel)

2024/04/09  -ブログ

こんにちは。バゲットです。 私は日本人男性としてはごく平均的な背丈ですが、子供のころは同級生たちよりもずっと成長が早く、いつもクラスで一番か二番の身長でした。大抵のスポーツは背が高い方が有利になるので、特に体育が苦手だという意識は持っていませんでした。 しかし大人になって振り返ってみると、私の運動神経の鈍さは明白ですw。だいたい、補助輪なしで自転車に乗れるようになったのが、小学校2年の終わりごろ。クラスの男子では最後だったかもしれません。どんな経緯で乗れるようになったのかはよく覚えていないのですが、自宅から少し出たところの一本道で一人で練習していて何度も倒れたこと(←今考えてみれば、サドルが高すぎたようです)、フラフラしながら10メートルほど走って、「出来たぞ!」と歓喜に包まれたことだけはおぼろげに覚えています。 鉄棒の逆上がりが初めて出来たときも嬉しかった。小学校を卒業して、中学に入る前の春休みでした。どういう訳か一人で中学校にやって来て、グラウンドの隅に四つか五つあった鉄棒のうち一番低いもので試してみたら出来たのです。次に二番目に低いものでやってみたら、やっぱり出来る。それ以降のことは何も覚えていませんが、すごく喜んだことだけは鮮明に記憶しています。 ——————————————————————————— さて、フランス語に“être au septième ciel/七番目の空にいる”という言い回しがあります。いつものようにネットで検索してみると(https://www.expressio.fr/expressions/etre-ravi-au-septieme-ciel)、“(être)en plein bonheur/幸福の絶頂にある” “(être)extrêmement ravi/極端に喜んでいる” “éprouver un bonheur intense/強烈な幸福感を抱く”などとあります。別のサイトでも “éprouver une très vive satisfaction/大変激しい満足感を抱く” “se trouver parfaitement heureux/完璧に幸福である”。要するに「幸せの絶頂にある」「大喜びしている」という意味です。 この表現の起源は古代ギリシアまで遡るそうです。当時の天文学者たちは、彼らが住む平らな世界の上には、半球状の「空」が七つあると考えていました。それぞれの「空」には重要な天体が一つずつあって、たとえば一番下の空には月、二番目の空には火星、三番目の空には金星がある・・・といった具合です。すると七番目の「空」は一番上、つまり神々に一番近いところにあることになる。ここから「幸福の絶頂にある」ことを「七番目の空にいる/être au septième ciel」と言うようになったそうです。 —————————————————————————— 今になってみると、子供のころは一年に一度か二度は「七番目の空」に行っていたように思います。中二の秋、業者の模擬テストで初めて「成績優秀者」として氏名が公表されたとき、翌年の春、初めて「彼女」が出来たとき、高一の秋、初めて学年でトップになったとき、二年の秋、全国レベルの模擬テストで「成績優秀者」になったとき・・・。興奮して、夜もなかなか寝付けないこともありました。 ところが、年齢を経るにつれて、そうしたことは次第に少なくなり、私はここ十年くらい「幸福の絶頂」など味わったことがありません。雑誌に論文の掲載が決まったりすれば、それなりに「幸せ」な気分にもなりますが、「幸福の絶頂」というほどのことでもない。 ここまで書いてきて思い出したのですが、大学一年生のときの英語のテキストで、アーノルド・トインビー(Arnold Toynbee)がおおむね次のようなことを書いていました。「日本人はよく“I was impressed/私は感動した”と言うが、教養人(主語については確信がありませんが)はそんなに簡単に“感動する”ものではない」と(“Impressions of Japan”という教科書だったと思います)。まあ、確かに考えてみれば、模擬テストで「成績優秀者」になるなんて本当は「どうでもいいこと」です。だいたい私は、大学入試本番では第一志望の受験に失敗したわけですし(←実話w)。頻繁に「七番目の空」に行けたのは単に私が子供だったからで、人生はそんなに甘いものではないということでしょう。

仕事の死刑執行人(bourreau de travail)

2024/04/03  -ブログ

こんにちは。バゲットです。 すでに何度か書いたように、私の実家は兼業農家で、父はJA(=農協)の職員でした。平日はサラリーマンとしてフルタイムで働き、土曜の午後(当時はまだ週休二日制ではなかったので)と日曜は農業に携わっていたわけです。 私が幼かったころは、父は比較的早めに帰宅して、夕方7時頃には家族8人(!)で食卓を囲んでいましたから、JAの仕事はほぼ定時に終わっていたのでしょう。しかし、私が高校生になったころ、金融部門に移動して大幅に残業が増えたようで、父の帰宅が急に遅くなったのです。祖父母と曾祖父は早めに夕食を済ませ、両親と私たち三人兄弟は、父が帰るのを待って、いつも9時ごろに夕飯を取っていました。都市銀行の行員と比べればずっとマシなのでしょうが、私の父は一日10時間以上も仕事をしていたことになります。 さて、兼業農家ですから、土曜の午後と日曜は農業です。実家は地域では有数の「豪農」だったようで(祖父がよく自慢していました)、かなり広い田畑を有しています。平日の畑仕事はまだ現役だった祖父母と母が担っていましたが、田植え、稲刈り(+コンバインがなかった時代は「脱穀」まで)、果樹(梅、栗、柿その他)の収穫などは父が中心となって、家族総出で働きます。私自身は中学生になると、「勉強」を理由に(w)手伝わなくなりましたが。 都会出身の方はご存じないでしょうが、意外と大変なのが「草刈り」です。果樹園も田圃のあぜ道も、放置しておけば雑草が伸び放題で入れなく(あるいは通れなく)なってしまうので、定期的に草刈りをしなければならないのです。こうして、私の父は終始働き詰めで、本当に休息を取ったり、余暇に当てたりできる「休日」は、一ヶ月に一日あるか無いかだったように思います。 さて、フランス語に“bourreau de travail/仕事の死刑執行人”という表現があります。例の通りネットで検索(bourreau_de_travail)してみると、“Celui qui travaille de manière excessive/過剰な仕方で働く人”。別のサイトでも“individu travaillant beaucoup/たくさん働く個人”とありますから、働き過ぎの人を指して言うわけです。日本語では「仕事の鬼」、もしくは「仕事中毒/ワーカホリック」に当たるでしょう。 実際、ネットで“bourreau de travail/仕事の死刑執行人”の用例を探してみると、この言葉が「両義的」であることが分かります(https://www.lesechos.fr/2016/01/je-suis-un-bourreau-de-travail-et-jaime-ca-194455)。一方で「仕事を生きがいにしてバリバリ働く人」というニュアンスでの使い方がある。上のリンク先(↑)のタイトルにあるように、“Je suis un bourreau de travail et j’aime ça/私は仕事の死刑執行人で、それが好きなんだ”といったケースです。彼らはもっぱら“leur libre choix/自分の自由な選択”によって働いているので、疲れることを知りません。 他方で、“la crainte de ne pas être à la hauteur/有能でないことへの恐怖”から、追い立てられるように働く人たちがいます。彼らは自分の仕事が「生きがい」ではないので、仕事自体からエネルギーを補給することはない。だから彼らは“s’épuisent/疲れ果てて”しまいます。 フランスと日本では仕事に対する考え方や一般的な職場環境は大いに異なりますが、「働き過ぎ」に二通りあるという点は共通しているようですね。 さて、私自身の職業生活について言えば、私はフランス語の教師であると同時に、フランス哲学の研究者(直近の論文ではアメリカの道徳哲学を扱いましたが)であるという、「二面性」を持っています。学期中は、火曜から金曜は授業とその準備(+課題の採点等)に忙殺されて新聞を読む時間も十分に取れません。私は大学2年の夏、新聞は隅から隅まで(スポーツ面等、エンタメ関係の記事は除いて)読むことを心に誓ったので、土曜日は当日の新聞の他に、その週の新聞の読み残した記事を読むことになります。これで丸々一日が潰れることもある。以上に加えて、フランス語と英語の語学研修(週に3~4回)にも時間を使います。自分の研究に当てられるのは日曜と月曜だけになりますが、かといって一日中本を読んでいられるわけではありません。上記の新聞と語学研修に加えて、掃除、洗濯、炊事も自分でこなさなければなりません(一人暮らしなので)。このように、私は毎日10時間程度、必ず何らかの仕事をして、本当に休めるのは年に数回、実家に帰ったときだけです。それでも、特に「忙しい」という感覚もありません。私も生粋の“bourreau de travail/仕事の死刑執行人”だということでしょうか。

自分に花を投げる(se jeter des fleurs)

2024/01/18  -ブログ

こんにちは。バゲットです。 ここでも何度か書いたように、私の実家は集落から少し離れた、山に囲まれた場所にあるので、家の周囲がほとんど実家の所有地です。そのため、かなり広い庭があって、私が物心ついたころには、庭の隅にちょっとした「お花畑」がありました。ツツジ、椿、サザンカ、菊、ダリアなどいろいろな花が植えられていましたが、その中で特にダリアは「毒があるから触れてはいけない(間違いだそうですが)」と言われていて、私は「なぜそんな危険な花がここにあるのだろう」と、少し恐れると同時に不思議にも思っていました。それらの花が、誰によってどんな経緯で植えられたのかは聞いていません。怠け者だった祖母(実話w)がしたとはとても思えませんから、恐らく嫁いできたばかりの母が植えた(あるいは種をまいた)のでしょう。 家の前の畑には梅の木がたくさんあって、早春には花が咲き誇り、なかなか壮観な眺めでした。桜の木も二本あって(父がもらってきて植えたそうです)、毎年春になると花を咲かせていました。ソメイヨシノではないので短期間で散ることもなく、かなり長い期間、咲いていたように思います。 私が中学三年生のとき、家の隣の1メートルほど高まった梅畑(老木でもう実をつけていませんでした)を潰して、新しい家を建てました。その家にも庭を作ったので、わが家は庭を二つ持つことになったのです。車の出し入れや農作業には古い方の庭を使っていたので、新しい庭はただの「観賞用」。無意味に高そうな(w)大きな石をいくつも置いて、そこに母親が花をつける野草の種をまきました。上記の「お花畑」も含めると二十種類近くあるので、実家の庭では一年を通して、いつもどれかの花が咲いています。 ・・・ということで、今日のテーマは「花」です。 さて、フランス語に“se jeter des fleurs/自分に花を投げる”という表現があります。 例の通りネットで検索してみると : « dire de bonnes choses sur soi-même/自分自身について良いことを言う de bonnes choses sur soi-même/自分自身について良いことを言う”、“faire des compliments à soi-même/自分自身を称賛する”。別のサイトでも“se faire des compliments/自分を称賛する”。ヴァリアントとして、“se lancer des fleurs/自分に花を投げる”、“s’envoyer des fleurs/自分に花を送る”という言い方もありますが、要するに、自分のことを自慢する、自画自賛するということです。 使用例としては“Arrête de te lancer des fleurs !/自慢するのはよせよ”、“Je suis, sans me jeter des fleurs, une jolie fille/私は、自慢するつもりはないけど、カワイイ女の子よ”。あるいは、“Il se lance des fleurs tout le temps/アイツはいつも自慢話をしている”。最終例のように、本人のいないところで多少の批判を込めて使うのが、一番普通かもしれません。 私の大学一年・二年次の語学(英語・フランス語)のクラスの同級生に、変に自惚れが強く、いつもいつも自分のことを賛美している男がいました。柔道の有段者で、クラシック音楽に造詣が深く、何より文学・哲学について他の友人たちを圧倒する知識を持っていましたから、自然と仲間内ではリーダーのような存在となり、そのことがまた彼の自惚れに拍車をかけて、自慢話に花を咲かせることになったのでしょう。まぁ、相手が私だから言っていたのかもしれませんが、無邪気に「オレって○○で、なかなか凄いんじゃないかなぁ」と、ニコニコしながら話すのです。根はいい男で、私は嫌いではなかったのですが、上から目線で他の友人を批判することも多々あったので、劣等感に凝り固まったK君(以前ここで書いた「墓石が洋服を着て歩いているような男w」です)などは、彼のことを心底嫌っていたようです(https://lecoledefrancais.net/un-homme-qui-broie-du-noir/)。 その後、彼は留年したり大学院の入試に失敗したりした結果、予備校の英語教師になりました。授業は上手だったらしく、一時は業界最大手の一つで教えていたこともあったのですが、クセの強い性格が災いしたのか、一部の生徒から苦情が出て、解雇。それから転職した個人経営の小さな塾も、数年で倒産してしまい、彼は郷里の秋田に帰りました。今では実家に住んで、家庭教師をして生活しているようです。 もう20年以上も会っていませんが、大学時代の、天衣無縫と言ってもいい彼の言動を思い出すと、思わず微笑んでしまいます。

生徒さまからいただいた声

レコールドフランセの生徒さまからいただいた声

2024/01/06  -お知らせ

生徒の皆さま、入校予定の皆さま、当校レコールドフランセの生徒さまからいただいた声を、ホームページに掲載しましたので、紹介させていただきます。お声を頂戴いだいた生徒さまには、この場をお借りして感謝申し上げます。当校在籍の皆さまにコンタクトをとり、お話をいただく中で、こちらからも感謝を述べる良い機会となりました。生徒さまのご期待に添えるよう、これからも学校をより良くしていく所存です。2008年の創立以来ここまでがあるのは、皆さまのおかげであることを忘れません。 皆さまを学校でお待ちしております! 暖かい雰囲気の中で、一緒に学びましょう。

c'est du chinois

それは中国語だよ!(C’est du chinois !)

2023/12/19  -ブログ

もう40年以上も昔のことですが、私が大学生のとき、授業は今のようなセメスター制ではありませんでした。それは全て「通年」で、語学など一部の授業では「前期試験」がありましたが、基本的には学年末に試験かレポート提出があって、それで成績がつくシステムでした。そんな時代、私が一年生のときに選択した「社会思想」の授業は、夏休みに「自主レポート」(←出しても出さなくてもいい)を提出すると必ず「S」評価が貰える、「楽勝科目」とされていました。「レポート」の課題は特に指定されておらず、授業に関係することなら何でもよかったように思います。 私は担当講師の著作である教科書から、「カミュ=サルトル論争」(註・ソ連の共産主義を巡ってアルベール・カミュとジャン=ポール・サルトルとの間でなされた論争)についての章を選び、それについて書こうと考えました。で、教科書を読んでみたのですが、これが全く理解できないのです。本当に、さっぱり分からない。当時19歳の私にとって、哲学・思想関係の本を読むのは、それが初めてだったのです。とは言え、レポートは何としても書かなければなりません。結局、分からない中から「分かったような気がするw」箇所だけを繋げて、「多分、こういうことが書いてあるのだろうw」と「想像w」し、稚拙きわまりない事柄で原稿用紙(←当時はパソコンがなかったので、手書きです)5枚を埋めて、提出したのを覚えています。 続いて、その年の秋のこと。当時私は、クラスの友人たちで作った「読書会サークル」に所属していて、毎月一回、同じ本を読んで集まって、皆でその内容について議論していました。そして私たちが11月のテキストに選んだのが、サルトルの小説『嘔吐』だったのです。「まぁ、小説だから、読めば分かるだろう」と考えたわけですが、実際に読み始めてみると、全く分からない。かと言って放り出すわけにもいかず、分からない中を三分の一ほど読んで、いざ読書会に臨むと、メンバーの4人が4人とも読了していないのですw。結局、一週間延期することにして、その日は雑談だけして別れました。で、一週間後に再集合すると、このときもまだ誰も読み終わっていないww。さらに一週間延期して、三度目の会合では、さすがに皆最後まで読んでいましたが、誰も内容を「議論」できるほど理解できていないのです。最終的に全会一致で、「よかったね」(←これは「本音」です)と「結論」を出し、こうして私たちの「『嘔吐』読書会」は幕を閉じたのでしたwww。 ——————————————————– さて、フランス語に“C’est du chinois/それは中国語だよ”という表現があります。例の通りネットで検索してみると( wiki « c’est du chinois » ) “se dit pour quelque chose d’incompréhensible, de compliqué, d’abscons/理解不可能、複雑、難解な何かについて言われる”とあります。別のサイトでは“c’est complètement incompréhensible/それは完全に理解不可能だ”。要するに、難しすぎて理解できないことについて言うわけですが、用例を見ると必ずしも「難解・複雑だから理解できない」ということではなく、「言っていることが支離滅裂で分からない」とか「やることなすことメチャクチャで行動原理が理解不可能」など、相手を非難・批判するような文脈でも使えるようです。 18世紀の終わりから使われている言い回しだそうですが、「由来」については説明するまでもないでしょう。フランス人にとって中国語は、その発音や語彙や文法以前に、まずその文字体系(=漢字)からして、「理解不可能」でしょうから。 “C’est du chinois pour moi/それは私にとっては中国語だよ”のように、“pour moi/私には”を入れて使うことも多いようです。 ——————————————————————- 私は大学三年時、「フランス思想文学」というタイトルの講義を受講しました。担当教師は後に大学院で私の指導教授となるT先生です。この授業で春学期に扱ったのがサルトルの『嘔吐』で、三ヶ月間、先生による詳細な解説を聞いて、夏休みに小説本文を再読してみると、何と(!)「理解できる」のです。さらに翌年の春休み、卒論のテーマをサルトルに決めたこともあって、一年生のとき選択した「社会思想」の教科書を再読して、ひどく驚きました。「この本、こんなに易しかったの?」と。本当に、二年半前にはあれほど難解に感じた書物が、ひどく平易に思えたのです。 このブログを読んで下さっている方の中には、大学の教養課程で、教科書の難しさに戸惑っている方、専門課程に入って専門書の難解さに途方に暮れている方もいるでしょう。でも、だからと言って、「こんなの中国語じゃん/C’est du chinois !」と投げ出してしまってはいけません。決してあなた方に能力が欠けているわけではなく、単にまだ十分な訓練を積んでいないだけなのです。 専門書には専門書を読むための「技術」があり、それは「訓練」を受けなければ身につけることはできません。今は理解できない書物でも、根気よく読み続ければ、いずれ分かるようになるでしょう。頑張って下さいね。

joindre-les-deux-bouts

二つの端を合わせる(joindre les deux bouts)

2023/10/16  -ブログ

こんにちは。バゲットです。   以前も書いたことがありますが、私は5年前の春に住宅ローンの返済を終了し、経済的には一挙に、かつ大幅に余裕が出来ました。来年の秋には年金(国民年金と国民年金基金)の保険料の支払いも終わるので、その後は少し仕事の量を減らそうかとも考えています。 このように現状では困窮しているわけではありませんが、私も若いころはお金には大変苦労したものでした。フランス政府関係の安定した仕事を辞めて、31歳で博士課程に入り直したものの、その後大学のフランス語教師の仕事がなかなか見つからなかったからです。それがまず私自身の実力不足に起因することを秘匿するつもりは全くありませんが、原因はそれだけではありません。私はフランス語教育業界に人脈がほとんど無かったのです。私の指導教授は仏文科の所属でありながら、専門は哲学で、他大学の仏文科教師とは全く交流がない。研究室では私が最初の博士課程の学生で、直系の先輩で教職に就いている人が一人もいない。おかげで私は、学習塾で中学生相手に、大学生のアルバイトとあまり変わらない時給で英語を教え、糊口をしのぐしかありませんでした。 ———————————————————————————- さて、フランス語に“joindre les deux bouts/二つの端を合わせる”という言い回しがあります。ネットで検索してみると、(https://fr.wiktionary.org/wiki/joindre_les_deux_bouts)、“gagner suffisamment d’argent pour assurer une vie décente entre deux versements de salaire/二つの給料日の間にまずまずの生活を確保するのに十分なお金を稼ぐ”。別のサイトを見ると、“parvenir à maintenir pour soi-même un niveau de vie correct/自分自身のためにそこそこの生活レベルを維持することが(やっとのことで)できる”。要するに、どうにかこうにか「人並み」と言える生活を維持している状態を指して言うわけです。ただし、実際の用法では大抵が「彼女は二つの端を合わせることができない/Elle n’arrive pas à joindre les deux bouts」とか、「私は二つの端を合わせるのに苦労している/J’ai du mal à joindre les deux bouts」のように、否定的な文脈で使用します。   この言い回しの起源を調べてみると、ネットでは二つの説が見つかります。まず「農業説」。それによると、この表現は18世紀に出現したそうで、農業において穀物の十分な収穫が得られず、翌年の収穫まで食糧がもたない、端境期を乗り切れないことを「二つの端を合わせられない」と言ったそうです。 もう一つが「モード説」。16世紀に貴族の間でコルレット(collerette)という大きな飾り襟が流行しました。食事のときにそれを汚さないために、大きなナプキンを首に巻くのですが、貧しい貴族は十分に大きなナプキンが買えなくて、首に巻くことができない、つまりナプキンの端を首の後ろで結べない。そこから、経済的に困窮していることを「二つの端を合わせられない」と言うようになった、という説です。私にはどちらが正しいのか判断できませんが、「モード説」の方は複数のサイトに自身満々で詳細な説明があって、何となく「こっちが正解なのかなぁ」という気にさせます。 ———————————————————————————- 上で書いたように、私は若い頃いつもお金がなくてピーピー言っていましたが、今になって考えてみると、それは収入が少なかったためと言うより、お金の使い方がすごく下手だったからだと気づきます。年収は一番少ないときでも250万円前後はありました。親戚の経営するアパートに住んでいたので家賃は相場の半額程度、学費(スライド制だったので大学1年生から変わらず、しかも「奨学金」名目で半額になっていた)も、自分で払えないときには父が出してくれました。他方で、毎日タバコ(当時、一箱270円くらい)を50本以上吸い、そのタバコを吸うために一日に2~3回喫茶店(コーヒー 一杯350円~400円)に入る。食事はほとんどが外食で、渋谷のセンター街で1000円以上するランチをしばしば食べる。今思い出すと、「お前、バカか?」と思います。 そんな私も前世紀の終わりにはタバコをやめ、それに伴って喫茶店にもあまり入らなくなり、さらに2004年に今のマンションを買ってからは、住宅ローンの支払いもあったので、いろいろな面で節約に努めるようになりました。基本的な「生活費」は、おそらく以前の半額程度に減っています。 もっとも、実際には読みもしない(時間上、読「め」もしない)本を衝動買いしているのは、昔も今も変わらない。そういう意味で言うのなら、「バカは一生治らないw」ということなのかもしれませんwww。

インゲンマメの終わり(C’est la fin des haricots)

インゲンマメの終わり(C’est la fin des haricots)

2023/09/04  -ブログ

こんにちは。バゲットです。 もう20年以上も昔のことですが、文部科学省からの派遣で、カーン大学(l’Université de Caen-Normandie)にてフランス語の教育研修に参加したときのこと。世界中から参加している研修生たちは皆、母国では「教師」だということもあるのか、キャンパス内にいくつかあった学生食堂の一つが研修生専用に割り当てられ、私たちには一般の学生よりも「贅沢な」食事が提供されていました。 料金は全額フランス政府が負担する研修費に含まれていて、私たちにとっては実質無料です。もう昔のことなので詳細は記憶していないのですが、昼食・夕食では毎回、キッチンの前に並んだいくつもの品々の中から、野菜の煮込み一品、肉または魚二品、デザート一品(+パン、バター・ジャム・ママレード、飲み物)を選ぶことができて、野菜にはお米(riz ←「野菜」です)、ジャガイモ(pommes de terre)、ニンジン(carottes)、インゲン豆(haricots verts)、ホウレンソウ(épinards)などがあったように思います。私は特にインゲンマメとホウレンソウが好きで、いつも大量に(!)取って食べていました。おかげて、1ヶ月で3キロも太ってしまいましたがw。 さて、フランス語に“la fin des haricots/インゲンマメの終わり”という言い回しがあります。ネットで検索してみると(https://www.expressio.fr/expressions/la-fin-des-haricots)、“la fin de tout/全ての終わり”、“la perte complète d’espoir/希望の完全な喪失”。要するに、「失敗・挫折・敗北等が確定した状態」を指して言うのでしょう。多くは「もうダメだ」「万事休す」という意味で、“C’est la fin des haricots/これはインゲンマメの終わりだ”の形で用いられるようです。 「具体的にどんなときに使うのだろう」と、これもネットで調べてみると、いろいろな例が見つかります。たとえば、サッカー・ワールドカップでフランスのナショナルチームが負けたとき、経済危機で会社の売り上げが激減し、倒産が必至となったとき、学生にとって留年が避けられないときなど、一口に「もうダメだ」と言っても、深刻さの程度には大きな幅があります。要するに、負けや挫折が決定的な状態になったのなら、たいていのケースで使えるのでしょう。 20世紀の初頭に生まれた比較的新しい表現ですが、その由来には諸説あるようです。航海中の船乗りの食糧として、インゲンマメさえ無くなることは「もう食糧が無い」ことを意味する、という説。寄宿舎や刑務所では財政的に苦しくなるとインゲンマメを食べていて、そのマメが無くなることは「もう食べ物が全く無い」ことになる、という説。家族や友人でするゲームの「掛け金」として乾燥したインゲンマメを使っていて、マメが無くなるということはゲームの負けを意味した、という説。皆それなりに説得力がありますが、どれが正解なのかは分からないそうです。 ここでも何度か書いたように、私は大学入試に失敗し、浪人した上で滑り止めの大学に入学しました。そのときは「もうインゲンマメが終わった/C’est la fin des haricots」と思いましたが、こうして初老と言われる年齢になってみると、今でも好きな研究を続け、数年に一本は論文を発表し、それなりに満足できる人生を生きています。 友人達を見ても、大学院の入試に合格できなかった者、修士論文が書けずに中退した者、修士は出たけれど博士課程の入試に何度も失敗し諦めた者など、恐らく本人にしてみれば、「インゲンマメが終わった」と感じたであろう人たちは、たくさんいます。しかしそんな彼らも、その後、フランス政府の出先機関に就職したり、大手予備校でスター講師になったり、地元に帰って学習塾を開いて成功したりと、皆それぞれ、そんなに悪くない人生を送っているようです。 結局、人間は生きている限り、完全にインゲンマメが終わることは決してない、ということなのでしょう。

ワインを抜いたら・・・(Quand le vin est tiré…)

2023/07/25  -ブログ

こんにちは。バゲットです。 もう35年も昔のことになりますが、私が初めてフランスに行ったとき、驚いたことの一つはお酒がすごく安いことでした。 私は毎晩(ほとんど例外なく!)床につく前にお酒を飲むのですが、そのころ飲んでいたのはもっぱら日本産の安いウィスキー。当時、日本政府は洋酒の輸入に高額の関税をかけていて、スコッチやバーボンはボトル一本が最低でも4000円~5000円(買ったことが一度もないので、ただの想像ですがw)もしました。大学院生だった私にはとても手の出る代物ではありません。それがフランスに来てみると、近所のスーパーで日本円に換算して1000円~1500円程度で買えるのです。私は文字通り「狂喜」し、最初のころはスコッチばかり飲んでいたように思います。 しかし、わざわざフランスまでやって来て、もっぱらイギリスのウィスキーを飲むというのも奇妙な話です。そこで、しばらくして寝酒はワインにシフトしたのですが、こちらもウィスキーに輪をかけて安い(!)のです。私は(恐らくほとんどの日本人と同様に)フランス製のワインと言えば「高級」というイメージを持っていたのですが、スーパーでは一本10フラン(=当時のレートで250円くらい)程度で売っています。こうして、毎晩寝る前にワインをボトル一本空けるのが、私の習慣になったのでした。 ※ さて、フランスには“Quand le vin est tiré, il faut le boire/ワインの栓を抜いたときには、飲まなければならない”という「ことわざ」があります。「栓を抜いたら」と訳しましたが、正確には“tirer le vin”は「(樽の栓を抜いて)ワインを樽から汲み出す」ということです。   いつものようにネットで検索してみると(https://www.expressio.fr/expressions/quand-le-vin-est-tire-il-faut-le-boire)、“Il faut aller au bout d’une affaire dans laquelle on s’est engagé/一旦始めた仕事はやり遂げなければならない”。あるいは別のサイトでは、“se dit en parlant d’une affaire où l’on se trouve trop engagé pour reculer/コミットしすぎてもう退却はできない仕事について話すときに言われる”。要するに「一旦始めたことは最後までやり通しなさい」という人生訓のようなことを意味したり、「ここまで来たらもう後には引けない」という、引くに引けない状況を指して言うのでしょう。 ※ 私もフランス文学・哲学の学会で末席に名を連ねる者として、定期的に論文を発表しています。若いころは、ポストを見つけるために「研究業績」を作らなければなりませんでしたし、指導教授(←その分野では「権威」とされる有名な先生でした)の厳しい目もあったので、毎年必ず一本か二本は大学関係の雑誌に投稿していました。初老と言われる年齢に達した現在では、ペースは多幅に落ちましたが、それでも二~三年に一本は発表するよう努めています。で、そのように論文を書く際に最も高いハードルとなるのは、「覚悟を決めて書き始めること」なのです。実際、一旦書き始めてしまいさえすれば、たとえ苦労しても(てか、大抵は苦労しますがw)、何とか最後まで書けるのです。 それは本を読むときも同様です。読みたいと思って購入し、そのまま「積読」状態になっている恐らくは10000冊近くある書物の中から、「次はこれだ!」と決意して読み始めるまでに、何ヶ月も何年も、時としては何十年もかかる(←実話)。こちらも、実際に読み始めてしまえば、その後「読む価値なし」と判断したものを除いて、大抵は最後まで読み切れます。 実を言えば、このブログについても同じです。一番大変なのは、テーマを決めて書き始めるまでで、一旦書き始めてしまえば、普通は最後まで書ける。 そういう意味で言うのなら、今回の「ことわざ」、“Quand le vin est tiré, il faut le boire/ワインの栓を抜いたときには、飲まなければならない”は、私にとってはごく自然なことで、むしろ本当に大変なのは「ワインの栓を抜くこと」自体なのかもしれません。

パリの地下鉄

会話サロン 木曜日(6月8日)

2023/06/06  -お知らせ

次の木曜日(6月8日)・(14時~15時50)の会話サロンのテーマは、19世紀の歴史のテーマです。 パリとロンドンの地下鉄の建設に関するものです。 ロンドン初の地下鉄は蒸気機関車でした。 一部の地下鉄インフラは戦時中に人々を避難させるために使用されていた可能性があることがわかります。 お待ちしております。予約システムでサロンの時間で予約してください。  

会話サロンの再開

6月~会話サロンの再開!

2023/05/31  -お知らせ

  皆さん、会話サロン再開、約2年ぶりに学生向けが6月より再開します! 次回の会話サロンは6月8日木曜日の午後2時から午後3時50分までの予定です。 中・上級(学校のレベル3~4)。来週会話サロン開催日時とテーマをお知らせいたします、ぜひたくさんお越しいただき、予約システムからの登録をお忘れなく!

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