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自分のベルトを締める(se serrer la ceinture)

2019/07/21   -未分類

こんにちは。バゲットです。 現代の日本で、ダイエットは国民的関心事の一つと言ってもよいでしょう。老若男女を問わず、美容のため、あるいは健康のため、多くの日本人が自身の体型と体重、摂取カロリー、血糖値や中性脂肪やコレステロールを気にかけて生活しています。 かく言う私もその一人で、若いころはダイエットとリバウンドを繰り返していましたが、40代半ばに夕飯だけ炭水化物を抜くようにしたところ、半年程度で10キロ以上痩せて、その後はずっとその体重を維持しています。 ダイエットの醍醐味は、努力すればしただけ、必ず報われるということです。プロボクサーレベルならいざ知らず、一般人は我慢して食事を減らせば、必ず体重も減るでしょう。毎日体重計に乗って、自分の体重が少しずつ、でも確実に落ちていくのを確認することは、貯金通帳の残高が日々増えていくのを確認するのと同じように、ある種の充実感をもたらします。そこにあるのは、自分が「世界」を支配しているかのような感覚です。 人生において、入学試験も就職も、恋愛も結婚も仕事も昇進も、努力したからといって成功するとは限りません。むしろ、どんなに努力しても、希望どおりに行かないことの方が多いでしょう。平凡な人間にとって、人生で自分の思い通りになるものと言ったら、自分の体重ぐらいしかないですねw。      ※      ※ さて、「痩せる」ことに関連して言えば、フランス語には、“se serrer la ceinture(自分のベルトをぎゅっと締める)”という表現があります。ここで“serrer”は「締め付ける」、「ぎゅっと締める」、「さらに引き締める」というニュアンスです。 例のごとく「ウィクショネール(https://fr.wiktionary.org/wiki/se_serrer_la_ceinture)」で検索してみると、“ne pas manger à sa faim(お腹いっぱい食べない)”、“par extension, être contraint de réduire ses dépenses, son train de vie(転じて、支出を削減するよう、生活水準を下げるよう強いられる)”とあります。念のために他のサイトも見ると、“s’alimenter peu, faute de moyens(お金がないため、ほとんど食事を取らない)”、 “se priver pour économiser de l’argent(お金を節約するために生活を切り詰める)”。つまり、原義としては「貧乏なのでお腹いっぱい食べられない」、そこから転じて「生活を切り詰める」、「窮乏生活を送る」という意味になったのです。 語源を調べてみると、十分な食料がないため痩せてしまい、その結果ウエストが細くなって、ベルトを留める穴の位置が変わる、ということのようです。日本語だと「締める」のは「財布のヒモ」ですが、フランス語では「自分のベルト」なのですね。 個人だけではなく、国や自治体の財政、会社の財務についても用います。たとえば、収入が減ってしまった人は、“Je dois me serrer la ceinture(私はベルトをぎゅっと締めなければならない=私は生活を切り詰めなければならない)”と言うでしょう。同様に日本の財務省や政治家たちが「政府は財政再建に努めなければならない」と言うときは、“il faut que le gouvernement se serre la ceinture(政府はベルトをぎゅっと締めなければならない)”ですね。      ※      ※ 私は低額所得者(économiquement faible=経済的弱者)ですが、住宅ローンの返済が終了し、いくぶん生活が楽になったことは、以前ここにも書きました。とは言え、かなり無理をして繰り上げ返済を続けたために、私にはほとんど貯金がありません。「老後資金2000万円問題」も論議を呼んでいる中、私もまだ当面は(てか、永久にw)、「ベルトを緩める(desserrer)」ことはできそうにありません。

金魚

金魚の記憶力(une mémoire de poisson rouge)

2019/07/13   -blog

こんにちは。バゲットです。 「ニワトリは三歩歩くと忘れる」と言います。小学校五年生のときの担任がユーモアのある先生で、何かの機会に教えてもらったように記憶しています。 祖母がニワトリを飼っていて、私は日常的にニワトリと接していたので、それを聞いたときは奇妙に納得したものでした。実際、庭にいるニワトリを私がイタズラでw追いかけると、追いかけている間は必死に逃げるのですが、私が追いかけるのをやめるとニワトリも逃げるのをやめ、何もなかったかのように悠然とした態度を取るのです。他の動物や鳥だったら、追いかけるのをやめても、まず安全な場所まで逃げるでしょう。「ニワトリは三歩歩くと忘れる」というのは比喩ではなく「事実」であって、バカな生き物の代表としてニワトリが選ばれるのは、私にはすごく自然なことのように思われたのでした。 ※      ※      ※ さて、フランス語ではバカな生き物の代表は、ニワトリではなく金魚です。 「金魚の記憶力(mémoire de poisson rouge)」という言い回しがありますが、いつものように「ウィクショネール(https://fr.wiktionary.org/wiki/mémoire_de_poisson_rouge)」で検索してみると、“mémoire courte(忘れっぽさ←短い記憶力)”、“très mauvaise mémoire(非常に悪い記憶力)”と出てきます。多くは動詞“avoir(持っている)”と共に用いられ、たとえば、“il a une mémoire de poisson rouge(彼は金魚の記憶力を持っている)”で、「彼は忘れっぽい」、「アイツは物覚えが悪い」。あるいは、子供が宿題をしなかったり、部屋を片づけなかったりしたとき、親が「何度言ったらわかるの!」という意味で、“Tu as une mémoire de poisson rouge(お前は金魚の記憶力を持っている)”と言ったりするようです。 上のサイトの“Étymologie(語源)”の箇所には、「俗説(idée reçue)によれば、金魚の記憶は5秒を超えない」とあります。別のサイトでは「3秒」です。社会通念(idée reçue)上、金魚は記憶力が弱いとされていて、それ故、忘れっぽい人、物覚えが悪い人のことを「金魚の記憶力を持っている」と言うわけですね。 他方で、さまざまな科学的研究が反対のことを示しているそうです。たとえば、あるサイトには「金魚を訓練して、レバーを押すとエサがもらえることを覚えさせた(entraîner des poissons rouges à pousser un levier pour récupérer leur nourriture)」とあります。記憶5秒説は単なる「俗説」で、金魚の記憶力は本当はそれほど悪くはないのです。 では、なぜそんな「俗説」が出来たのでしょうか。ヤフー・フランスの質問コーナーに、なかなか興味深い「回答」が寄せられていました。それによると、「ものを考える動物を小さな金魚鉢の中に閉じ込めておくとしたら、それはあまりにも恐ろしいことだ(il serait trop horrible de laisser un animal pensant enfermé dans sa petite boule)」。一説によれば、金魚がストレスを感じることなく生活するためには、少なくとも50リットルの水が必要だそうです。小さな金魚鉢の中に閉じ込めて、「金魚はバカだから何も感じないはずだ」と、人間が自分を安心させるために、この「俗説」が作られたというのです。 ※      ※      ※ 先日のことですが、ある本を探して、書斎の読み終わったFolio(←フランスの文庫本)を置いてある棚をガサガサやっていたら、カミュ(Albert Camus)のLettres à un ami allemand(『ドイツ人の友への手紙』)とL’envers et l’endroit(『裏と表』)が出てきて、ひどく驚きました。私はそれらの本については「未読」だと思っていたからです。開いてみると、赤のボールペンで重要箇所にチェックが入っています。読んだ本の内容を忘れるならまだしも、読んだという事実そのものを忘れるとは!!! 私もあまり、ニワトリや金魚をバカにすることは出来ないようですねw。

他に鞭打たなければならないネコがいる

ネコを鞭打つ(fouetter un chat)

2019/06/30   -blog

こんにちは。バゲットです。 2018年8月のネット記事によれば、フランスには1,350万匹のネコと730万匹のイヌがいるそうです(https://particulier.sollyazar.com/actualites/les-chiffres-cles-des-chiens-et-chats-en-france)。日本では、やはり2018年の統計で、ネコが965万匹、イヌが890万匹ですから、フランスの人口(6700万人)が日本の半分程度であることを考慮すると、人口比でいえばフランス人は日本人の2.6倍のネコと1.5倍のイヌを飼っていることになります。 別の統計(←ちょっと古いのですが)によれば、ネコとイヌに、ハツカネズミ、ハムスター、鳥と魚を加えると、フランスには6,000万匹のペット(animaux de compagnie)がいるそうです。ほとんど人口一人当たりに一匹の計算になりますね。 ※      ※      ※ さて、フランス語にはペットの名前を用いた慣用句がたくさん存在します。このブログではそんな言い回しをいくつか紹介してきましたが、今回紹介したいのが、“avoir d’autres chats à fouetter(=他に鞭打たなければならないネコがいる)”。ご参考までに英語に直訳すれば、“have others cats to whip”。“à fouetter”は、英文法風に言うと「to 不定詞の形容詞用法」です。 ネコを鞭でひっぱたくとは、虐待するみたいで穏やかな話ではありません。ネコ好きの方の中には、「何てことをするのだ!」と怒髪天をつく(?)方もいらっしゃるかと思います。でも、この表現はあくまでも比喩であって、実際にネコをいじめるわけではないのでご安心くださいませ。 いつものように「ウィクショネール(https://fr.wiktionary.org/wiki/avoir_d’autres_chats_à_fouetter)」で調べてみると“avoir d’autres préoccupations(=他に心配事がある), avoir quelque chose à faire de bien plus important(=もっとずっと重要な、しなければならないことがある)”、と出てきます。別のサイトでも“avoir des préoccupations plus importantes(=もっと重要な心配事がある)”とあります。要するに、「他にやらなければならないことがある」ということですね。 他人から何かを頼まれたり、勧められたりしたとき、“J’ai d’autres chats à fouetter(=私には他に鞭打たなければならないネコがいる)”と言えば、「他にしなければならない用事があるから、私には出来ない」という意味。部下や同僚から提案があって、「その前にもっと優先しなければならない仕事があるだろう」と却下するときは、“Nous avons d’autres chats à fouetter(=私たちには他に鞭打たなければならないネコがいる)”と言えばよい。 さて、それにしても、なぜネコを鞭で打つのでしょう。さらに調べてみると、フランス語には、過失など否定的な出来事について「たいした失敗ではない」、「それは重大なことではない」という意味で、“Il n’y a pas de quoi fouetter un chat(=ネコを鞭打つほどのことでもない)”という言い回しがあるそうです。そこから派生した表現のようですね。 ※      ※      ※ 現在、千葉の私の実家では、ネコを二匹飼っています。3年ほど前にどこかからオスのクロネコがやって来て、母がエサをあげたら居着いてしまい、翌年さらにケガをしたメスの子ネコ(←恐らく近くの山の中に捨てられた)がやってきて、それをクロネコが「受け入れた」ため、実家で飼うことになったのです。 二匹とも、ときどき帰省する私のことは怖がって、近づくと逃げてしまいます。私はネコ好きなので、ちょっとショックです。十日くらい実家にいれば、私にもなついてくれるのでしょうが、仕事があって、なかなかそうもいきません。何か、短期でネコをなつかせる名案はないものでしょうか。 「マタタビでもあげてみるかw」とヒラメいたので、冗談半分にネットで検索してみると、なんと、ネコ用の「マタタビ」がいくつもヒットするじゃないですか!!! 今度の週末、渋谷で探してみることにしますw。

メロンを持っている

彼はメロンを持っている(Il a le melon)

2019/06/24   -blog

こんにちは。バゲットです。 以前も少し書いたように、フランスはヨーロッパ随一の農業国です。国土の52,5%が農業用地で、それはEU全体の農地の16%に相当し、農業生産額もフランス一国でEU全体の18%を占めています。 そんなこともあるのか、フランス語には農作物や家畜の名前を用いた慣用句がたくさん存在します。このブログではそんな言い回しをいくつか紹介してきましたが、今回紹介したいのが“avoir le melon(メロンを持っている)”。 過去の記事を読んで下さった方はご記憶のことと思いますが、“Elle a la pêche(彼女はモモを持っている)”と言えば、「彼女は元気ハツラツとしている」という意味でした。ケースによっては「彼女はバリバリ働いている」とか「ウキウキしている」というニュアンスも持ちました。ところが、同じように美味しい果物なのに、“Il a le melon(彼はメロンを持っている)”は全く別のことを意味しているのです。 “avoir le melon”を「ウィクショネール(https://fr.wiktionary.org/wiki/avoir_le_melon)」で調べてみると、“avoir la grosse tête(大きな顔をしている)”と出てきます。他のサイトでも、 “se sentir important, supérieur(自分を重要な、優れた人間だと感じている)”、あるいは“prétentieux(うぬぼれの強い、気取っている)”とあります。要するに、「でかい面をしている」「傲慢である」「うぬぼれている」ということですね。 ですから、“Il a le melon(彼はメロンを持っている)”は、「アイツは傲慢だ、うぬぼれている」という意味。逆に「彼女はうぬぼれていない」なら、“Elle n’a pas le melon(彼女はメロンを持っていない)”です。 Prendre le melon(メロンをつかむ)という表現もあって、過去形で“Il a pris le melon(彼はメロンをつかんだ)”は、「アイツは傲慢になった」ということ。命令文でも使えて、「うぬぼれちゃダメよ」は、“Ne prends pas le melon(メロンをつかまないでね)”ですね。 ※      ※      ※ さて、フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre/1964年ノーベル文学賞の受賞を辞退)の基本概念の一つに、「偶然性(contingence)」があります。難しいことは抜きにして暴力的に単純化すれば、「どんな人間にも生きている価値なんてない」ということです。もう少しソフトに、「誰もが、いてもいなくてもいい人間だ」と言ってもいいでしょう。このことが人間の「平等」の哲学的根拠になります。 私は大学生のときにサルトルを読み始め(最初はアタマが痛くなりましたがw)、「偶然性」についても理屈としては、かなり早い段階で理解できていたと思います。具体的なレベルでも、自分が「いてもいなくてもいい人間」だということは、理論的には十分に納得し、了解していたつもりです。 他方で心情的には、それについて消化しきれないものが、長い間、残っていました。心の底の底では、自分が「必要な人間=いなくてはならない人間」であるかのような「幻想」が消え去らなかったのです。 しかし40歳を過ぎて、結局自分には大したことが出来ないこと、歴史に残るような輝かしいことは何も出来ないことが明白になってくると、そうした「幻想」もいつしか消えました。今の私は、自分が「いてもいなくてもいい人間」だと、感情的にも完全に受容して生きています。 だから、高慢な人、自分を「エライ」と思っている人を見かけると、皮肉の一つも言ってやりたくなるのです。でも、実際にはなかなか口に出して言えないので、心の中でつぶやきます、「アイツはメロンを持っているw」と。

聖霊降臨祭

キリスト昇天祭と聖霊降臨祭(L’Ascension et la Pentecôte)

2019/06/13   -blog

こんにちは。バゲットです。 私が若いころ、毎年、私の誕生日(anniversaire=記念日)になると、旧ソビエト連邦の赤の広場で、盛大な軍事パレードが催されました。その日、11月7日は私が生を受けた日であると同時に、1917年にロシアで共産主義革命が勃発した日、すなわち「革命記念日」だったのです。 当時は米ソ冷戦の真っ只中。明言する人はあまりいませんでしたが、日本にとって旧ソ連は「仮想敵国」です。その国が私の誕生日を軍事パレードで祝うのです。私はテレビでその光景を見るたびに、プライドをくすぐられると同時にバカにされているような、腹立たしいと同時に誇らしいような、何だかわけの分からない、ひどく不思議な気分になったものでした。 その後、大学に入ってフランス文学を勉強し、11月7日がアルベール・カミュ(Albert Camus)の誕生日であることを知りました。私とカミュは誕生日が同じなのです。カミュの小説や戯曲は好きだったので、こちらの方は素直に喜び、友人たちにも自慢しまくりましたw。そんなこともあって、後に知人の一人がドストエフスキー(Dostoïevski)と同じ誕生日(11月11日)だと知ったときは、微妙な「敗北感」を感じたものですがw。 で、ここで話は大きく飛躍しますw。最近フランスでは、キリスト教関連の二つの大きなイベントがありました。「キリスト昇天祭(今年は5月30日/祝日)」と「聖霊降臨祭(同じく6月9日/翌月曜日は休日)」です。「これも一種の記念日(anniversaire)だなぁ」(←ちと、強引かもしれませんがw)と思い、何を「記念する」日なのか、ちょっと調べてみました。 ※      ※      ※ イエス・キリストは金曜日に十字架にかけられて死去し、翌々日の日曜日に復活します。それを祝うのが「復活祭(Pâques)」。 復活したイエスはいろいろな人の前に姿を現わします。弟子たちの前にも現れて、福音を全世界に伝えるよう命じます。そして彼らが見ているなか、イエスは天に昇るのです。「復活祭」から数えて40日後のこと。そのことを祝うのが「キリスト昇天祭(L’Ascension)」だったのです。 復活祭が日曜日ですから、昇天祭は自動的に木曜日になります。複数のフランス人に確認したところ、当日は教会でミサが行われ、家族によってはお墓参りに行ったりするそうですが、それ以外に特にパーティーを催したりする習慣はないそうです。ただ、翌日の金曜日を休みにして、四連休になる職場も多いとのことでした。 昇天祭の10日後が「聖霊降臨祭(la Pentecôte)」、こちらは日曜日です。イエスは昇天する直前、弟子たちに「近いうちに聖霊が降る」と予言していました。そしてその日、イエスの弟子や身内たちが「エルサレムの上の部屋(le Cénacle de Jérusalem)」(←「最後の晩餐」が行われた部屋)で祈っていると、「猛烈な風(vent impétueux)」のような音が聞こえ、天から「舌の形をした炎(langues de feu)」が各人の上に降って、「彼らは皆聖霊によって満たされた(ils furent tous remplis du Saint Esprit)」のです。このことを祝うのが聖霊降臨祭ですが、この日も特にパーティー等は行わないそうです。翌月曜日が国民の祝日です。 エリック=エマニュエル・シュミット(ピラトによる福音書) さて、フランスの作家エリック=エマニュエル・シュミット(Éric-Emmanuel Schmitt/国際的に著名な劇作家)に『ピラトによる福音書(L’Évangile selon Pilate)』という小説があります。イエスを十字架にかけたローマ総督ピラトの視点から、イエス・キリストの復活を描いた小説です。私は原書で読みましたが、設定が独創的でストーリーも面白く、大いに楽しむことができました。邦訳もあって、タイトルは『小説 イエスの復活』(https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000053702001.html)。現在は「品切れ」ということですが、興味をお持ちの方は図書館で探してみたらいかがでしょう。なお、原文も平易なので、フランス語の得意な方は原書でどうぞ。

ラタトゥイユ

ラタトゥイユを作る(faire de la ratatouille)

2019/06/03   -blog

こんにちは。バゲットです。   数年前に初めて気づいたのですが、私は授業をしていて黒板に「100」という数字を書くとき、どういうわけか二つの「0」を同じ大きさで書くことができません。どんなに注意して丁寧に書いても、いつも「0」の大きさが異なった不細工な「100」になってしまうのです。「100」でさえそうなのですから、「10,000」とか「100,000」とかになると、もう目も当てらない始末です。 多分そのことと関係して、私は料理をするときも、食材を同じ形、同じ大きさに切り分けることができません。ナスを切っても、ニンジンを切っても、ジャガイモを切っても、最後には形も大きさも非常に異なった諸部分が、雑然とまな板の上に残るのですw。どうせ私が食べるんだし、お腹の中に入ってしまえば同じですから、特に実害があるわけでもないのですが。 で、そんな不器用な私でも簡単に作れるのが、今回のテーマ「ラタトゥイユ(ratatouille)」なのでした。 さて、ラタトゥイユは、ニース(Nice)発祥とされる南仏プロヴァンス地方の郷土料理です。もともとは貧しい農家の食べ物だったようで、端的に言って「野菜のごった煮」ですね。 フランスの料理サイト「マルミットン(marmiton)」で検索してみると、いろいろなレシピが出てきます。いくつか読んでみて共通しているのは、ナス(aubergine)、ズッキーニ(courgette)、タマネギ(oignon)、ピーマン(poivron)、トマト(tomate)を、オリーヴオイル(huile d’olive)を加えて蒸し煮にすること。難しくはなさそうですが、おおむね調理に一時間以上かかるようで、普通の日本人にとってはあまり現実的ではありません。ヴィデオ・レシピがあったので、ご参考までにリンクしておきましょう (→https://www.marmiton.org/recettes/recette_ratatouille_23223.aspx)。 日本の料理サイト「クックパッド(cookpad)」で検索しても、たくさんレシピが見つかります。たとえば、これなんか(→https://cookpad.com/recipe/5235804)簡単そうですね。 生のトマトの代わりに「トマト缶」や「トマトソース」を使うこともできますし、さらにネットで調べてみると、スパゲティの「ナポリタン用ソース」を使うヴァージョンも出てきます。「カゴメ/基本のラタトゥイユ用ソース(https://www.kagome.co.jp/products/food/A5672/)」などという究極の手抜き(?)ソースまで売っていて、これだとナスとズッキーニを煮込むだけで作れます。 ※      ※      ※ 私は料理については何も知らないので、ラタトゥイユのことも長い間、見たことも聞いたこともありませんでした。たまたま同僚たちが話しているのを耳にして、「簡単だよ」と教えてもらったのが、五年ほど前のこと。 最初は缶入りのトマトソースで作ったのですが、少々値段が高い(←私にはw)ので、その後はペットボトル入りの野菜ジュース(トマトベース)に変えて、さらに私は子供のころ「野菜ばかり食べていて肉を食べないと、顔がキリギリスになるw」と脅されて育ったので、肉は絶対に欠かせません。で、ザックリと(=不揃いにw)切った野菜の中に激安のブタ肉をガバッ!と入れて、オリーヴオイルで炒め、そこに野菜ジュースをドクドク!と注いで、コンソメを入れて煮込むのですが、味の方はまずまずです。 まぁ、このような(↑)料理を「ラタトゥイユ」と呼ぶのかwという根源的な疑問は残ります。ラタトゥイユ原理主義者(fondamentaliste)の方々からはお叱りを受けるかもしれませんが、私一人で作って私一人で食べて、誰にも迷惑は掛けていませんので、どうかご容赦くださいませ<m(__)m>。

複合過去

続・「複合過去」って何?(Qu’est-ce que le passé composé ?/être+p.p.)

2019/05/20   -blog, grammaire

こんにちは。バゲットです。 今回も引き続き、複合過去について書きましょう。 フランス語の動詞の95%以上は、avoir を助動詞にして複合過去を作りますが、ごく少数の移動を意味する自動詞(=直接目的語を取らない)は、être+過去分詞(以下p.p.と略します)で複合過去を表します。たとえば、aller/venir(行く/来る)、partir/arriver(出発する/着く)、sortir/entrer(出る/入る)、monter/descendre(上る/下りる)、naître/mourir(生まれる/死ぬ)、rester(とどまる)、tomber(落ちる、倒れる)、passer(移る、立ち寄る)、retourner(戻る)などの自動詞、及びそれらからの派生語(revenir [帰る]、devenir [~になる]、rentrer [帰る] など)です。 「移動を意味する」と書きましたが、marcher(歩く)、courir(走る)、nager(泳ぐ)、voler(飛ぶ)など「移動する行為」は、助動詞にavoir を用います。ですから、正確には「移動した結果としての状態を意味する自動詞」ですね。 なお、私は学生たちには「生まれる/死ぬ(naître/mourir)は移動の一種だ」と言っています。言語学的な根拠があるか否かは知らないのですが、宗教的に考えれば「この世」に来るのが「生まれる」、「あの世」に行くのが「死ぬ」ですから。 複合過去 注意しなければならないのは、avoir+p.p. では過去分詞が原則的に「不変」だったのに対し、être+p.p. のときは過去分詞が主語に「性数一致する=女性形になったり複数形になったりする」ということ。たとえば、「彼は東京に行った」なら Il est allé à Tokyo ですが、「彼女は東京に行った」は Elle est allée à Tokyo と過去分詞が女性形になり、「彼女たちは東京に行った」だと Elles sont allées à Tokyo のように女性複数形になります。 ※      ※      ※ さて、以上はどの教科書・参考書にも書いてある、いわば「基本事項」。私が本当に書きたかったのは、これからです。 実は私自身、若いころにちょっと戸惑ったのですが、上に挙げた動詞のいくつかはavoir+p.p. で複合過去を作ることもあるのです。 と言うのも、先に書いたように、être+p.p. で複合過去を作るのは、移動した結果としての状態を意味する「自動詞」だからです。つまり、上記の動詞の中には「自動詞(=直接目的語を取らない)」の用法の他に、「他動詞(=直接目的語を取る)」の用法も持つものがあって、「他動詞」として、目的語を伴って用いるときは、avoir+p.p. で複合過去になるのです。 具体的には、monter、descendre、passer、sortir、retournerなど。これらの動詞には自動詞と他動詞の両方の用法があり、自動詞のときはêtre が助動詞になりますが、他動詞のときはavoir が助動詞となるのです。 たとえば、Elle est montée au sommet(彼女は山頂に登った)/Elle a monté la côte(彼女は坂を上った)、Elle est descendue à la cave(彼女は地下室に下りた)/Elle a descendu l’escalier(彼女は階段を下りた)、Elle est passée chez moi(彼女は私の家に立ち寄った)/Elle a passé la frontière(彼女は国境を越えた)などです。慣れないうちは区別が難しいかもしれませんが、注意してください。 ※      ※      ※ 「今日、ママが死んだ(Aujourd’hui, maman est morte)。あるいは昨日だったかもしれないが、分からない(Ou peut-être hier, je ne sais pas)」。アルベール・カミュ(Albert Camus)の小説『異邦人(L’Étranger)』の冒頭、フランス文学史上最も有名な書き出しの一つです。ここで複合過去(est morte)が用いられていることに、お気づきのことでしょう。 このように、「ル・モンド20世紀の100冊(Les cent livres du siècle)」で一位にランキングされたこの名作は、主に複合過去で書かれています。構文も単純ですし、何よりも作品自体が短いので、フランス語の基本文法を終えたばかりの方が、初めて読む原典としては最適かと思います。興味をお持ちの方は、ぜひとも手に取ってみることをお薦めします。

複合過去

「複合過去」って何?(Qu’est-ce que le passé composé ?)

2019/05/14   -blog, grammaire

こんにちは。バゲットです。 私は若いころから一生懸命にフランス語を勉強してきましたが、最初は基本的な文法事項でも十分には理解できていないことがあって、その後、友人たちとの原書講読会で間違いを指摘され、唖然としたことが何度もありました。 他方で、自分が大学でフランス語を教えるようになり、いろいろな教科書を使って、いろいろな参考書にも目を通してみると、重要なことでありながら、どの教科書・参考書でもほとんど問題にされていない事柄があることに気づきます。若いころの私のように、「暗中模索」(あるいは「右往左往w」)する学生には、そのような参考書は何の役にも立ちません。 フランス語学校のブログですので、今後はそうした初学者が誤解しやすい、混乱しやすい文法事項についても書いて行きたいと思います。 ※      ※      ※ ということで、今回のテーマは「複合過去」です。まずは基本事項を確認しましょう。 「複合過去(passé composé=構成された過去)」はフランス語の過去時制の一つで、それが「複合=構成された」と呼ばれるのは、助動詞+過去分詞(以下p.p.と略します)の二語で「構成される」ため。換言すれば、一語で表現される「単純過去(passé simple)」との対比で、「複合過去」と呼ぶわけです。 助動詞はほとんど(95%以上)の動詞で avoir を用います、たとえば Il a dansé avec Jeanne (彼はジャンヌと踊った)のように。 英語の「現在完了=have+p.p.」と同じ形です。ここで、ほとんどの初学者は次のように考えるのではないでしょうか、フランス語の複合過去と英語の現在完了とはどのように違うのだろうか、と。 フランス語の複合過去も、昔は現在完了でした。ですから、今でも時には現在完了、つまり経験や完了・結果を意味することがあります。例を挙げれば、Vous avez visité Notre-Dame ? (あなたはノートルダム大聖堂を訪れたことがありますか)とか、J’ai déjà mangé (私はもう食べました=だからお腹は空いていません)といった場合です。 しかし、実際にはそうした事例はあまり多くはなく、おそらく90%以上(←個人的な「印象」ですが)のケースで、意味しているのは「ただの過去」。現在完了の用法が拡張して、あるいはズレて、「ただの過去」になったのです。たとえば、Elle a voyagé en France cet été (彼女はこの夏フランスに旅行した)。このように、フランス語の複合過去は過去形なのです。 このことから、英語の現在完了との重大な差異が生じます。英語の現在完了は過去形ではありませんから、過去の時を意味する副詞(yesterday [昨日]、last week [先週]など)と共に用いることはできません。I have worked yesterday はNGです。一方、フランス語の複合過去は過去形ですから、過去の特定時を指す副詞と共に用いることができるのです。J’ai travaillé hier (私は昨日働いた)と。 さて、上で複合過去の現在完了的用法として、経験と完了・結果を挙げました。では、英語の現在完了が持つ継続用法はどうなのでしょう。この点はちょっと複雑です。 たとえば「私は10年前から東京に住んでいる=現在も住んでいる」。英語ではI have lived in Tokyo for ten years です。英語のネイティヴ複数に確認しましたが、このケースで現在形は使えません。ところがフランス語では、J’habite à Tokyo depuis dix ans と、現在形で言うのです。ちなみに、J’ai habité à Tokyo pendant dix ans (註・前置詞は pendant)のように複合過去を使うと、「私は東京に10年間住んでいた=現在はもう住んでいない」という意味になってしまうので、注意して下さい。 このように過去から現在への継続については、フランス語では一般に現在形を用います。ただし、否定文では複合過去が使えて、Je n’ai pas vu Marie depuis cinq ans (私は5年前から マリーに会っていない=今もまだ会っていない)はOK。さらに、副詞のtoujours(いつも=英語のalways)を付加して、J’ai toujours voulu visiter la Tour Eiffel (私はずっとエッフェル塔を訪れたいと思っていた=今も思っている)と言うこともできます。 ずいぶん長くなったので、続きは次回に回しましょう。

ホウレン草にバターを入れる

ホウレン草にバターを入れる(mettre du beurre dans les épinards)

2019/05/01   -blog

こんにちは。バゲットです。 今回はホウレン草について書きましょう。 私の実家の周囲には果樹園と小さな畑があって、畑では今でも母がいろいろな野菜を栽培しています。そうした野菜の中で、私は子供のころからホウレン草が好きでした。それは大人になっても変わらず、数年前にはホウレン草カレーを作るためだけに、フードプロセッサーを購入したほどです。 この記事を構想するまですっかり忘れていたのですが、フランス語教育研修で派遣されたカーン大学(Université de Caen)のレストランでも、ホウレン草(épinards)をよく食べました。研修生(=母国ではフランス語の教師たち)には一般の学生とは別のホールがあてがわれ、そこでは学生たちよりちょっと「格上」の料理が出されます。オードブル、野菜、肉・魚、デザートとあって、それぞれ何種類かある中から一品(オードブルは二品)ずつ選ぶのです。6種類の野菜の中には、ホウレン草もありました(他はライス[←野菜です]、ジャガイモ、ニンジン等です)。こんな感じ(↓)の料理だったように思います。 考えてみれば、私はその時以来、一度も食べたことがありません。「食べたい!」と思って、フランスの料理サイト「マルミットン(marmiton)」で検索したら、レシピが見つかりました(https://www.marmiton.org/recettes/recette_epinards-cremeux_27147.aspx)。 「エピナール・クレムー(épinards crémeux)」という料理で、日本語にすると「ホウレン草のクリーム煮」。「とても簡単(très facile)」で「安く(bon marché)」て「所要時間は25分(temps total : 25 min)」。フランス語のできない方のために、暴力的に単純化しつつレシピを要約すれば、ホウレン草にバターを入れて蒸し煮にして、ニンニクとクリームとナツメグと塩・胡椒を入れて、混ぜるだけ。これなら私でも作れそうです。「ナツメグ」って、何のことか知らないけどw。まぁ、近日中に試してみましょうか。 ※      ※      ※ フランス語に mettre du beurre dans les épinards(ホウレン草にバターを入れる)という表現があります。ネットで検索してみると(たとえばhttp://www.linternaute.fr/expression/langue-francaise/222/mettre-du-beurre-dans-les-epinards/)、意味するところは、améliorer ses conditions de vie (生活条件を改善する)、さらに補足として en général dans le domaine financier (一般に財政の領域で)とあります。要するに、金銭面で「生活が楽になる」ということですね。 生活が楽になって、ホウレン草にバターを入れる余裕ができて、美味しい料理を食べることができるという連想ですが、いかにも、料理好きなフランス人が考えつきそうな表現です。 さて、20年ほど前のこと、文部科学省の方針が変わって、大学での第二外国語が必修ではなくなりました。その煽りをモロに受けたのが、私たち大学の語学教師、特にフランス語とドイツ語の教師です。履修する学生が激減し、それに伴い担当する授業数(=収入)も減少したからです。 私も一時はパニックをおこし(w)、部分的な転職を視野に入れて法律系の資格を複数取得したり、英会話の勉強を始めたりと、悪戦苦闘したこともありました。ところがそんな風にジタバタ(w)している内に、昨年の4月ですが、とうとう住宅ローンの返済が終了したのです。 溺れそうでワラをつかんでいた手が、気づいてみたら陸地に触れていたような、そんな気分です。私もこれからは、ホウレン草にバターを入れることができるでしょう。

復活祭のタマゴ

復活祭とチョコレートのタマゴ(Pâques et des œufs en chocolat)

2019/04/19   -blog

こんにちは。バゲットです。 フランス語の勉強を始めたばかりのころ、「日曜日」に対応する語を知ったときは、ちょっと戸惑いました。「月」が lune で「月曜日」は lundi、「火星」が Mars で「火曜日」は mardi。ところが、「太陽」は soleil なのに「日曜日」は dimanche なのです。英語の日曜日は「Sunday=太陽の日」ですから、やっぱり奇妙です。 そんなことがあったので、ずっと後になって、dimanche が「主=イエス・キリストの日」を意味することを知ったときは、何か胸のつかえが取れたような、目からウロコが落ちたような気がしました。と同時に、そのとき初めて日曜日が休日である理由を知って、少し驚きました。 そんなことを知らなかったのは私だけなのかもしれませんが、念のために書いておけば、日曜日が休日なのは、それがイエス・キリストが復活した日だからです。実際、キリストは金曜日に十字架に架けられて絶命し(それが、金曜日が不吉とされる理由の一つです)、二日後の日曜日に復活しました。だから、カトリック教会では日曜日にミサが行われるのだし、キリスト教徒にとって日曜日は「安息日」なのだし、古代ローマ帝国の時代から日曜日は休日なのです(註)。 ※      ※      ※ ということで、キリストが復活した日、すなわち「復活祭」。キリスト教ではクリスマス(Noël)を上回る最大のイベントで、クリスマスが12月25日に固定されているのに対し、こちらは年によって日付が変わる移動祝祭日(fête mobile)です。「春分の後の最初の満月の日の次の日曜日」という、天文学者でもなければいつになるか分からないような日で、19年は4月21日がそれにあたります。各地の教会で大規模なミサが執り行われますが、著名な大聖堂(cathédrale)はキリスト教徒のみならず、興味本位wの観光客も殺到して、立錐の余地もないほど混むそうです。 フランス語では Pâques と言い、無冠詞で用います。「復活際には」と時の副詞にするときは “à Pâques”、「復活祭おめでとう」は “Joyeuses Pâques !” ですね。 子供たちが楽しみにしているのが「復活祭のタマゴ(œufs de Pâques)」(↓)。 復活祭の朝のプレゼントで、昔は茹でタマゴを彩色していたそうですが、現在は卵形のチョコレートが主流だとのこと。プラスチックのタマゴを使い、中にお菓子を入れることもあるそうです。前夜にウサギ(復活祭のウサギ=lapin de Pâques)が来て置いていくという伝承があって、子供たちは朝起きると、屋内や庭でこのタマゴを探します。 ※      ※      ※ キリストは神だから復活しましたが、一般の人間は一度死んだら(少なくとも「最後の審判の日」までは)復活したりはしません。 さて、アメリカの作家ダン・シモンズの小説『ハイペリオン』(←超有名なSF)には、復活する(=生き返る)部族が登場します。彼らは、もとは銀河系の辺境の惑星に移住した地球人です。どういう訳か、胸に赤い十字架(←キリスト教への示唆)を埋め込まれていて、病気や事故で死亡しても、その赤い十字架が残っている限り、「復活」するのです。その部族は、当然、その惑星に植民した当時は高度な科学文明を持っていました。ところが数百年後、小説の物語に登場するときは原始的な狩猟・採集の生活をしています。 詳述はしませんが、私には非常に説得力のある「末路」のように思えます。そんなものでしょう、「不死」を手に入れた人類なんて。 註・321年、ローマ皇帝コンスタンチヌス1世が日曜日を休日と定めました。

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